消し去りたかった「あの日」を人生の宝にする30分

あなたの中に、まだ言葉にできていない「人生の1ページ」はありませんか? 書けないのではなく、何を書けばいいかが分からなかっただけかもしれません。 このセッションは、そんな「空白の時間」に価値を宿す、あなたご自身の「人生の核」と出会うための対話です。

消し去りたかった「あの日」を人生の宝にしませんか?

言葉にできる今

あの出来事さえなければ────そう思ってきた過去が、今では人生の奥行きを支える柱となってくれています。

先日の歩き瞑想で、ふと気づきました。「自殺願望が全く湧いてこない」。少なくとも40代半ばまでは、湧き出てくる衝動に悩み続けました。特に小4当時は、毎晩のように「死ぬ夢」の日々。

今は違います。過去からの軌跡を大切に噛みしめています。結果、過去を恥じるのではなく、「表現だった」という解釈に変わってきました。何を伝えたかったのか?何を感じたかったのか?少しずつ言葉にできるようになってきた今、当時と確実につながっています。

◆ 白紙のページ、黒く塗りつぶした記憶

「なかったことにしたい」
「忘れてしまいたい」
そう思った出来事はありませんか?

もし、その出来事に「意味という光」を当てられたなら──そのページは、あなたにしか書けない物語へと変わっていくかもしれません。

「人生の1ページ」よく耳にする言葉ですが、あなたにはいかがでしょう?どこで始まり、何によってめくられていくのでしょうか?

印鑑営業時代、献血をたくさん引き受けながら貧血で悩んでいた当時。まさに「空白の1年」だったと振り返ってきました。「姓名承認」という造語を生み出せたことで、初めてその期間に価値を感じれました。

◆ 《◯◯》というキーワード

このセッションでお訊きするのは、単なる昔話でも、感動エピソードでもありません。「名前がついていなかった感情」や「曖昧だった出来事」に、ラベルを貼るような────そんな対話の時間です。

この問い方の原点は、今から約15年前。ある深刻なウツ状態の方との対話がきっかけです。生きることに絶望し、言葉を発する気力さえ失っていた方。通常の施術では届かず、ふとしたひらめきでした。結果、自発的に考え始めていただけたのです。以降3,000人超に問う中で、体系的な対話技術へと成熟していきました。

言葉にできなかった気持ち。整理しきれなかった出来事。それらの奥にあるものこそが、「あなたの今までの人生を照らす核」であり、多くの場合《◯◯》という一言に集約されていきます。

《◯◯》というキーワードを見出すために、まつわるエピソードを聴かせていただきます。答えを導き出すプロセスにおいて、あなたがいかに素晴らしいかを噛みしめることになり得ます。

対話の中で、多くの方がすでに答えである《◯◯》を口にしています。にもかかわらず、それを「答え」だとは認識できていないのです。なぜなら、その言葉に相応の価値があるとは思えません。「たわいもないと思っていた」等のコメントを、8割以上の方がおっしゃられました。

◆ 答えはあなたの中に

このセッションでは、私から答えをお伝えすることはありません。なぜなら、それは「与えられるもの」ではなく、「あなた自身が出会うもの」だからです。出会った時、誰かに説明された知識ではなく、あなたの言葉で語られる「人生のキーワード」になります。

ある原理原則系の講師をなさっておられる方へ、問うたことがあります。時間を要しましたが、答えをひらめき出せた時、涙ながらに感動してくださいました。第1声「答えを言わないでくれてありがとう」と言われたことが、問い方への確信を持てました。

体系化された問い方は、3,000人超との対話の現場で培われてきたものです。名付けるなら、「あなたの今までの核を見出す問い方」。私はこれを15年以上かけ、誰よりも深く問い続けてきたと自負しています。

【こんな方にオススメ】

・「このまま年だけ取って、終わっていく気がして不安だった」
 → 見えなかった1ページ目に気づいた瞬間、人生の流れが動き出します。

・「消してしまいたい記憶ばかりで、自分を語れないし、語りたくもない」
 → その記憶が、人生の核として新しい意味を放ちはじめます。

・「人生に意味があると信じたいが、確信が持てない」
 → 自分の言葉で人生のキーワードを語れるようになります。

・「変わりたいけど、自分のどこを信じていいか分からない」
 → 信じたくても信じられなかった部分に、はじめて名前がつきます。

・「誰かの言葉ではなく、自分の言葉で語りたい」
 → あなたの人生そのものが、誰にも真似できない物語として立ち上がります。

🔹セッション概要

  • 時間:ZOOM(オンライン)約30分(個人差により、延長の可能性あり)
  • 料金:5,500円(税込)
  • 内容:
     ・あなたが体験してきた出来事の整理
     ・「『あの日』に意味はあったのか?」を一緒に見つめる対話
     ・あなたの「今までの人生の核」に近づくキーワードを具現化
  • 結論:あなたの中に、ずっとありながらも言葉にできなかった「核のようなキーワード」が、自然と浮かび上がってくる時間です。結果、「地に足つける」を体感できます。

📩 お申し込み:
事前アンケートフォームにご回答ください。

通常、1時間かけて深めていた対話を、30分に凝縮しました。今、このセッションが必要な方にこそ、受け取っていただきたいです。だからこそ、¥5,500(税込)での提供は5名様限定の決断です。

◆ 最後に

この価格での提供は、今だからこそ可能な形です。 まずは1人でも多くの方に、核との出会いを体験していただきたい──そんな思いで、このセッションをご案内しています。

個人差があるので、実際に書けるようになるかどうかは分かりません。 「書いてもいいかな」と思える状態にはなれます。なぜなら「自分に許可を出す」すごく重要です。逆に言えば、「禁止令を出している」のですから。

許可できた瞬間、白紙のままだったページに、あなたの物語の輪郭が浮かび上がってくるのです。ピンボケした白黒やセピアの風景が、鮮明なカラーに変わっていくような体感が起き得ます。

「書けるようになる」ことではなく、 「書いてもいいと思えるあなた」と出会ってみませんか?

#自分を見つける
#人生を語る
#白紙のページ
#問いと対話
#意味を見出す

「名前が好き=私が好き」〜人生を主導する秘訣

「名前が好き=私が好き」〜人生を主導する秘訣

その先がある

「あなたの名前、素晴らしいですね」と第1声伝えると、多くの方がホッとしたように、涙をにじませてくださいます。長年、名前に違和感や恥ずかしさを抱えてきた方ほど、その言葉に救われたような表情をされます。

Google検索より速く画数が解説付きで降りてくるため、まずはその速さに驚かれます。たいていの常用漢字は、頭のデータバンクにしまってあります。吉凶を超えた独自表現に、さらなる驚きが。

最近ある方からこんな問いをいただきました。「姓名承認、素晴らしいです。ながらも、もしや多くのお客様は、たった一言で満足して止まっていませんか?その先があること、ちゃんと伝えていますか?あまりにもったいないことをなさっているのでは?」by 高嶋由香さん。

この一言に、ドキリ。成長への伸びしろを感じました。当初は「伝えてるに決まってるじゃないですか!」と心の声。終えて振り返ってみて、「私が伝えている」と「お客様に伝わっている」が、違っているかもしれないと気づけたのです。

高嶋さんのアドバイスが本当ならば、「名前を認められる」ことは、確かに深い癒しになります。「だからこそもったいない」。本当の変化は、その先にこそあるのです。

「名前が好き=私が好き」比例関係の法則

セルフイメージが極めて低かった当時の私から、成長の軌跡を検証して感じること。名前が大嫌いで名付けた祖母を怨んでおり、自分が大嫌いでした。信じてもいない姓名判断の勉強を通じ、多くの名前と向き合ってみて、名前への嫌悪感が薄れていました。その頃、鍵山先生とのご縁につながります。

中学生頃まで、恥ずかしく名前を歯切れよく語れません。本当に毎度のように「は?」と訊き返されておりました。さらに恥ずかしくなり、悪循環の典型例でした。苗字だけを名乗り、下の名前には触れない生き方へ。

私は、世界平和を本気で願ってきました。理由は、世界平和を願うことで私も救われると考えたからです。逆に言えば、どんなに私が成功を収めきれているとしても、不幸ならば蚊帳の外へ放り出されるでしょう。見かけの成功は、分かる方にはちゃんと分かります。見透かされているかのように怯えてきました。

そもそも本当の世界平和とは、私自身が創り出す幻想から始まるのかもしれません。「私が変われば世界が変わる」と言われますが、ご本人が変わることによって、世界観等の視点が変わります。私は個人的に自己対話こそが、本物のコーチやコンサルだとみなしています。自己対話を深めていくことで、自己刷新がなされていくものと考えています。

ある日、名前が線を引き始めた

自らの名前をきっかけに、何気なく過去の出来事を振り返っていた時、バラバラだった「点」がつながって、1本の線になっていく感覚を覚えました。ムダで何の意味もなさないと感じていた当時の経験が、今ちゃんと生かされていたのです。

気づけた時、ようやく理解しました。数々の失敗も、傷も、違和感も──すべて名前の中に刻まれていたんだと。命の記録であり、選択の軌跡であり、未来への起点でもあるのだと。これまでがそうだったなら、これからもそうなります。

多くのお客様が私との対話を通じて、「名前でこんなにも分かることがあったなんて驚いた」「正しいか間違っているかなんて、どうでもよくなってきた」「ずっとなんとなく考えてきたことに、スジが通った」「ダメだと感じてきたことを許せてきた」等のコメントを残してくださっています。

当然です。なぜなら名前とは、存在価値の核だから。姓名判断を大嫌いだと20年以上批判してきましたが、姓名承認という造語を思いついて、ようやく理由が分かりました。本当に名前に吉凶があるなら、すべての画数にあるのです。なぜなら、ご本人の生き方で、吉凶が大きく影響を及ぼすからです。

姓名覚醒とは「名前で生きる決意」

姓名承認は、「自分の名前を受け入れる」ステージです。それだけでも、大きな癒しと自己受容が起こります。

姓名覚醒はさらに深い領域です。まさに「この名前で何を果たすために生まれてきたのか?」という命の意志に触れるプロセス。

  • 名前の音や響きに秘められた本質に気づく
  • 過去の出来事に意味や価値を生み出す
  • あなたが望む究極の目的へ向かう指針の先鋭化

名前を受け入れるだけで終わらせません。名前を「生きる」ことで、人生が動き出す──だからこその姓名覚醒です。

もし今、「何のために生きているのか分からない」「人生がどこか空回りしている」そう感じているとしたら──あなたの名前の中に、すでに答えがあるかもしれません。案外どこか遠い場所より足元にあったりするものです。「あなたの呼吸ってすごくすてきですよね!」なんて言われても、意味が分からないように。

なぜその名前で生まれてきたのか?なぜ今、それを思い出そうとしているのか?

繰り返します。名前は、存在価値の核です。そこに触れた瞬間、人生はもう元には戻れません。たまごがゆでたまごになったら、もうたまごには戻れないように。姓名覚醒は、あなたの人生を望ましく加速させるためにあるのです。

あなたが「本質の命」に出会うために
無料ヒアリング30分~

自走する人材を育てるコーチングの極意!逆算行動 by 高嶋由香


#中学生

#人生
#自己受容
#覚醒
#神社参拝
#世界平和

名前が、あなたの努力を点から線へ

名前が、あなたの努力を点から線へ

こんな尽くしてきたのに、なぜ?

《こんなに尽くしてきたのに、報われない。》そんな想いが、あなたの中に眠っていませんか?ひたすらに尽くしてきた努力に対して、成果を出せず、誰にも評価されず。むしろ「なんであんなに尽くしてきたんだろう?」と虚しくなる・・・。私の場合、人生の約半分は当てはまるイメージを抱いておりました。

特に利他的に誰かのために尽くしてきた方ほど、ある日ふと「自分の人生」がどこにも見当たらないように感じてしまうことがあります。それでも「意味がなかった」と決めるには、まだ早いかもしれません。

セルフイメージが極めて低かったことと重なり、大嫌いな姓名判断を確実に20万人は経てきました。今でこそ「姓名承認&覚醒」と発明できたので、比較できるようになりました。当時は姓名判断しかないので、嫌いな理由を語れません。周囲と話が噛み合わず、「私はバカだ」と本気で考えてきた期間は30年以上です。

点だった人生

努力しても、理解されない。やりがいがあるようで、成果にはつながらない「ヌカに釘」な日々。やりきった感からの達成感はあっても、周囲との温度差を感じ、疎外感を抱いておりました。

書いていて思い出したエピソード。自衛官と会社員だった当時(時期も場所も全く違います)、「核弾頭」と呼ばれていました。何を言っているのか意味を理解できず、無視。 あの言葉の意味を問い直すこともせず、ただ「私は疎まれている存在なんだ」と勝手に解釈して、距離を置いていったのです。

特に20〜30代の頃。信仰の世界で「正しさ」に人生を賭けていたはずなのに、最後には虚無と疑念と孤独が残りました。当時の努力は、どこにも「つながっていない」と感じていました。点。点。点。バラバラの出来事。意味のない苦しみ。そう思っていたのです。だからこその自殺願望。強烈な消滅欲求がありました。

名前と命が「線になる」

ある日、自分の名前をきっかけに、何気なく過去の出来事を振り返っていました。すると、それぞれの「点」だった体験が、まるで1本の線でつながっていくように感じたのです。──────ああ、そうか。この名前の音・字・響き。これまで味わってきた痛みや選択のすべてが、この名前に刻まれていたんだ・・・。

「核弾頭」と呼ばれていたあの頃のことも、その「点」の1つです。なぜそう言われたのか、当時も、今も、正直よく分かりません。───なぜ、私はその意味を問わなかったのでしょう?なぜ「周囲が何と言おうと、私は私だ」と笑い飛ばせなかったのでしょう?

いつの間にか私は、「嫌われているのかもしれない」と感じ始めていました。今思えば「疎外感」は、周囲から避けられていたのではなく、私が周囲を避けていたことの裏返しだったのかもしれません。

「核弾頭呼ばわりする奴らと時間をともにしたくない」その無言の決意が、壁となって孤立を深めていたのだと思います。

もし、その場にあなたがいてくれたら──どう感じ、どう対応していたでしょうか?

【統命思想】という視点に当てはめる習慣を持ってから、ようやく「自分がなぜこの人生を選んだのか」、その命の線を意識的に引き始めたのです。

命の面積が広がる時

点が線になった時、命は初めてつながりを持ち、さらに広がり始めるのです。その線が、次第に面になっていきました。様々なつながりの中で、命が少しずつ面積を持ち始めたのです。信じてくれている仲間、応援してくれている奥さん、信頼してくれたお客様方。

今朝の歩き瞑想で湧いてきたのが、まだまだ根強い消滅欲求。少し前まではどよ〜んとした重苦しいイメージを受けていましたが、だいぶ軽くなった実感があります。「何がきっかけ?」と問うてみても、浮かんでくるのは深い孤立の闇。「信頼関係がまだ未熟だ」と返答ありました。成長の伸び代があることや解放の方向性を見出せたことを嬉しく感じています。

どんな時も自責に傾きながらも、「生まれた以上、勝手には終われない」というこだわりが、私を支えてくれていました。気づけば「極陰、陽に転ずる」の境地が、少しずつ訪れていたのです。

1つの痛みだけではありません。あり方を打ち立ててきた想いのすべてが、命の面に色として残っていくのです。どんな色も、今の人格形成への模様になっていたのです。

立ち上がる命

気づけた時、過去の努力や痛みが、立体化されて現れます。よく「深いですね」と言われることが本当に多かったです。私にはいたって当たり前なので、言われている意味や価値をなかなか理解できずにいました。

「深さ」とは、器の大きさのこと?と仮説立てています。様々な経験をできたおかげで、「受け止めきれている器」の存在を理解できました。お客様からのコメントで、「安心してネガティブになれる」と評されたことがすごく嬉しかったです。

・美しいものを、心から美しいとうなずけるようになった。
・自分の選択に、言い訳しなくなった。
・何も持たずとも、「ここにいる」だけで価値があると思えるようになった。

これは、腑に落ちた命の形です。「熱意を持つための熱意」等の名もなき努力の粒が、線や面になり、命として立ち上がった実感。

「整合性」は、後から見つかるもの

「整合性」というと難しく聞こえるかもしれません。一貫性とも表現できそうです。無意味だと思っていた自分に納得できる日が来るということでもあるのです。だから、今分からなくてもいいのです。すべてに「整合性」が見出せる日が来ることを、どうか信じていてください。

あの頃、あなたが尽くした理由。あの時、あなたが迷った意味。今なら、少しずつつながり始めていませんか?世には、「あなたにしかできないこと」があります。現時点ではとうていムリなことに思えても、将来は分かりません。

今までの経験から、つながっていった経験があるなら、これからつながっていくことも多いのではないでしょうか?何ごとも、解釈次第で人生はいかようにも変わり得ます。

私がようやくつかめた強みは、解釈力です。特に20代当時は、「正しさ」という真偽にこだわってきました。「その真偽を通じて、幸せになれた?」という自問自答。答えは、当然ながらNo。「じゃ、どうすりゃいい?」等の積み重ねが「幸せ解釈」です。

名前に関してお伝えしていることは、私の明確な統計データが根拠にあります。条件反射的にGoogle検索よりも速く言葉が出てきます。冴えている時ほどの感覚ですが、「言わされている」のです。後になって、まちがった解説をしてしまった事実に気づいたこともあります。一期一会のご縁から、「幸せになってほしい」と願いを込めた発した言葉が、ふさわしいのだと考えることにしています。

結論

命は、点では終わりません。点が線になり、面になり、やがて立体として「存在」になります。あなたの名前にも、命にも、設計図(ブループリント)が最初からあるのだとしたら?

天命の定義を、生まれた目的成就への役割だと主張しています。天命がない方はいらっしゃいません。生まれた目的を知らずしても、生きてはいけます。私は死ぬ前に確実に後悔すると感じたので、真剣に探究してきました。あなたにも価値あるテーマだと感じていただけているなら幸いです。

天命に気づけた日こそ──「無意味な努力が、線→面→立体になった日」。天命というテーマに基づいた生き方は、「毎日が記念日」になり得ます。

そんな日の始まりが、今日であってもいいのかもしれませんね。このブログをここまで読んでくださったあなたなら、きっと、あなたの人生の命の線を、見つけ始めているはずです。

✨存在価値を立体的に見直してみたいあなたへ

20万人超の名前と向き合ってきた確信は、名前こそが存在価値の核です。「姓名承認」という造語が降りてきましたが、つい先日の次のステージである「姓名覚醒」。

「統命思想」「姓名覚醒」という命のレンズを通して、あなたの名前から命の流れを読み解く視点をお届けしています。名前が腑に落ちると、人生がつながります。過去が、未来を照らし始めます。

いよいよ、あなたの出番です!

命と1つになるまで〜負けを認めた命の静けさ

命と1つになるまで〜負けを認めた命の静けさ

これは、誇らしさを語るものではありません。「希望を失いつつも、命は続いていく」────そんな体験エピソード。当時、完全に負け戦の中にいました。私の正義も、志も、実力も、何もかもが空回り。全力で向き合った末に、全てを失いました。

智己さんへ

あきらめという無力感

命を定め、志を育んできたつもりだった。結果は惨憺たるもの。「うまくいかせなければならない」と意気込みすぎて、君自身が壊れていったよね。

施術家としての活動も限界。奥さんからも離婚を突きつけられ、生きる希望もろとも根こそぎ失ってしまった。肉体がある以上は生活はしつつも、魂の深い喪失感。「もうどうなったっていいや」すべてにおける、あきらめという無力感。

すべてを失う直前に関わり始めた、教材販売の会社へ就職。脳科学を主としており、「最優先にやりたいことではないが、他に選択肢を見出せない」と決断。「ここで新たな再出発だ」と腹を決め、歩み出す。

受講生の皆さんへの対応役を任され、親身に関わってきた。結果として、私の名前に関する手法が口コミで伝わり始めた。ある方は、教材よりも私に興味を持ってくださり、列をなすほどに。

スタッフ側としては、鼻持ちならないものがあったのか、事務処理系のバックオフィスへ。「隠れた才能があるから」という言い分で、「当時のスタッフの中では」という前提。決して得意ではない担当へ。「名前関連で転職したら?」と多くの皆さんに勧められつつも、拒み続けてきたよね。

就職した当時の意気揚々としていた気持ちも、空元気だったと気づいた。あきらめきった人生の中で、「私にはもう何もない」と決め込んでいたね。「こんなどうしようもない人生で、バカにされながら死んでいくんだろうな・・・」

気づかせるための伏線

転機は、奥さんとのご縁。元奥さんから離婚を突きつけられ、「男性としても人間としても失格だ。最低最悪だ」と考えていた矢先、トントン拍子に結婚することに。

とはいえ、結婚したとしても君は「何もない」と決め込んでいる。加えて結婚した途端、窓際族へ。お先真っ暗な状況で、コロナ禍。緊急事態宣言・・・・・・・・。畳みかけるように、絶望感が加速していく。どんなに抗おうとも、飲み込まれていく恐怖。

希望なんて何も持てない中、出会いを求めて交流会へ。そこで10年ぶりの友人と再会。施術に感動してくださった1人でもあり、「しがない会社員でいる場合じゃない」と応援。

心の底からあきらめていたものの、奥さんと一緒に生きたい。このままでは確実に途絶えてしまう。「だけど、私なんかに何ができる?私には何もないじゃないか・・・」

振り返れば「極陰、陽に転ずる」が現実化された瞬間だった。「私には何もない」と言い続けた結果、「姓名承認」という言葉をひらめいてしまった。姓名判断が嫌いで、「牛丼屋でバイトした方がマシだ」と拒み続けてきた。「姓名承認」という造語なら、何の淀みもないどころか、完全に地でできる。「素の自分」を表現していいんだ!

本当に感動したよね。次の日の朝4:30、夢で「りゅう あんしん」と名乗っている。感覚の手応えからも、どう考えても「未来の私」としか思えない。「これが私の天命じゃないわけがない!」という全身にみなぎる確信。

過ぎてみれば愛だった

奥さんと一緒になれた時点で、「人生の半分は成功だ」と思えるほどの感動があった。だからこそ、離れたくない、一緒にいたい。奥さんと出会うために、今までの苦しみやわだかまりがあったと考えると、納得できる。

君1人では、すぐにあきらめていたよね。それほどに絶望しきっていたから。それでも、統命思想という価値観から君の生き方を照らし合わせてみたら、「だからこその人生」とも言えるのでは?今までをそう振り返れるのなら、これからだってそうなっていくだろうね。

21歳から座右の銘として言い続けてきた言葉。君の人生、やはりこれだね。「過ぎてみれば愛だった」────────────

私の思いを受け取ってくれて、ありがとう。君の想いを受け取らせてくれて、ありがとう。

君が生きてくれて、本当によかった。ありがとう、智己さん。


#転職

#結婚
#ありがとう
#瞑想
#離婚
#命

塩対応の贈り物〜歪んだ命がどう届いていたか

塩対応の贈り物〜歪んだ命がどう届いていたか

智己さんへ

塩対応の贈り物

命を定め、育て直してきたはずだった。結果、君の命がどう届いていたか──あの頃、君はあまりに深い虚無感の中で、まるで見えていなかったね。晴れやかな貢献や理想的な贈り物みたいな美しい言葉からは、最も遠い場所にいたかもしれないね。

振り返ると、施術家として孤立していた当時の私は、まさに「塩対応のかたまり」だった。疲れていた。焦っていた。うまくいかないことに苛立ち、共感のつもりが説教にすり替わることも多かった。「分かってくれないなら、もういいよ」が、心の中で何度もリフレイン。

複数の諸事情が絡み合い、施術できない状況へ。離婚を突きつけられ、まさに四面楚歌。ちょうど時を同じく、映画『沈黙』の上映。小説も読んでおり、どんな内容か楽しみにしていたね。

主人公の宣教師ロドリゴが、神に救いを求めども、一向に何の手応えもない・・・。君も教会を離れ独自路線だったとしても、明確な「根本的な医療革命」「世界平和のために」という志のもと活動している自負があったよね。・・・・・ロドリゴと、重なってしまった。

贈っていたもの

いろいろあったよね。苦しかったよね。強烈な罪悪感や無価値感。今ならよく分かる。沈黙されつつも、手応えはなくても、命はちゃんと届いていたんだ。よくも悪くも、君のあり方は相手に何かを贈っていた。

何を贈っていたか?志は確かに素晴らしい。ものすごく純粋に、本気で願っていたよね。問題は動機。出発点のウラミ※が、捻じ曲げる結果となってしまった。君がずっと感じてきていた「偽善者感」は、自己卑下や嫌悪感が足かせのように重くのしかかっていたんだ。

覚えていないだろうか?「この方は本物だろうから、見透かしているだろうな。汚れている私を」と感じた日のこと。分かる方には、ちゃんと分かってしまう。残念ながら、ウラミのエネルギーが滲み出ており、結果として贈ることになっていたんだよ。

だから命は、コントロールできない。贈ろうとしていない時こそ、命は最も純粋なかたちで届いていたのかもしれない。だからこそ、沈黙せざるを得なかったんだ。ウラミの感情は、指摘されたからと言って解放できるものではないから。相応の期間が必要だった。

歪んだ命がどう届いていたか

今、気づいたこと。君は、「役に立ちたい」という願いが強すぎるあまりに、命を「正しく仕上げてからでなければ人に見せてはいけない」と思い込んでいたのかもしれないね。

命って、整えるものじゃない。むしろ、未完成なまま差し出した方が、スッキリ届くこともある。貢命とは、君が贈っていると思っていなくても、命が滲み出ていくエネルギーそのものなんだから。

ありがとう。伝わらなかった日々を生きた君。誤解され、孤立し、理解されず、憤り、あきらめてしまった過去。それらすべてが、「届かなかった」経験ではなく、「どう届いていたのか?」を問い改めるきっかけになったよ。

そう考えられるようになった今、ようやく命を贈ることの意味や価値を、少しだけ分かった気がするよ。受け取らせてくれて、ありがとう。

──未来の私より

「神対応」「塩対応」

この手紙は、統命思想における「貢命=贈る」フェーズです。命は、届けようとしなくても、何かしらのカタチで残ってしまいます。本音や本質は、案外整えようとした時よりも、意図せず零れた瞬間にこそ宿っているのかもしれません。

あなたが「届かなかった」と思っていたあの瞬間にも、誰かの心の深層をかすめていた命の余韻が、あったのかもしれません。

「神対応」「塩対応」とは、ご本人の無自覚な言動への他者からの評価です。誰しも常に何らかの「神対応」「塩対応」のようなことをしています。咄嗟の出来事として無意識な言動の結果が、他者からの評価なのです。意図してやった行為には、心は動きません。評価される「時」は、いつの日か必ず訪れます。

次回は、「究命=噛みしめる」──全うした命の静けさの中で、すべてが一体となる境地へ向かいます。命の表現とは、素晴らしいものや美しいものに限定されるわけではありません。

貢命編を通じて明らかになったのは、「あきらめ感をも味わいきることの尊さ」です。
苦しく、悲しく、報われないような日々も────今では、命を贈り尽くすために必要な、大切な通過点だったと心から思えています。

※補足:ウラミとは、「怨み」と「恨み」両方をかけています。発音や感情は似ていますが、感じるように至る原因が全く違います。

あなたが「本質の命」に出会うために
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#ありがとう
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#命

生きながらに死を超える〜壊れた命が根を張るまで

生きながらに死を超える〜壊れた命が根を張るまで

智己さんへ

曖昧な温度差

命を定めてから、いよいよ現実の中で生きる日々が始まった。想像以上に、定めた命は揺らいだ。というよりも──揺らぎの中でしか、育たなかった。

「早く海外へ出て逆輸入すべきだ」と背中を押してくれた方がいた。ビジョンは育つのに、現実が追いつかない。焦りだけが先行し、賛同してくれていたチームの意見さえ、聞き流すようになっていった。やりがいを追いすぎて、周囲と同調できなくなっていった。

それでも、君は育っていたんだ。育つという言葉が、受動的すぎることに気づいたから。
君は育て直した。育てる覚悟を持って日々と向き合うようになった。

施術で語っていたことを文字起こししてくださった方がおり、「大したこと語ってるわではないのに──」と感じていた中、初めて客観視。施術がどんどん神がかってきて、奇跡のようなことが当たり前のように起きてきた。

しかし広まらない。原因、今ならよく分かる。言語化できなかったから。言葉を通じてでなければ、興味を持たせられない。超右脳派で、「受けてみれば分かる」と言い続け、価値の言語化が曖昧な温度差のまま値上げ・・・。結局、長期にわたって味わってきた孤立の再来。

自立とは

ある日、自分に言い聞かせたよね。「朝起きられたことを奇跡だと心から感動できたら、人生は変わる」。でも内なる声の返答は・・・「そんなこと、ただの理想だ。バカじゃないのか?お前なんかに何もできるわけないだろ」。

それでも君は自他ともに言い続けた。ある朝、「心の冷笑」が聞こえなくなっていたことに気づけた感動。本当に嬉しくて、涙が出てきたよね。君の命はまた少しだけ強くなった。育っていた。

誰かに支えられた記憶は、確かにある。それ以上に、支えきれなかった、支えてもらえなかった記憶の方が多い。「自立とは、誰にも頼らずに生きていける状態」だという辞書の定義に、君はずっと腹を立ててきた。

なぜなら──君は「誰かと一緒にしか生きていけない」と、知っていたから。長期にわたる孤独と向き合い、独りで生きることの厳しさを味わってきた。いじめられていた当時、「もう俺を無視してくれ」と祈ってきた。祈って得た孤立とは、まさに深く冷たい闇。

孤立したくないから、ウワッツラを合わせて生きていた時期もあったね。体にも影響が出て、献血200回近くやっているのに、貧血で悩んだ時期は長かったよね。自分に嘘をつき続けた成れの果てが、体に出てくる病気だと、施術と照らし合わせて実感したよ。

体に嘘はつけない。心でごまかしたものが、血や骨や神経に宿っていく。気づけたからこそ──命はまだ育ち続けてくれている。

生きて死を超える

30代半ばまで、周囲と話が噛み合わない私はバカだと本気で考えていた。「私は努力なんてしない方がいい」「私は存在自体が邪魔なのでは?」さんざん考えてきた。孤独で、投げ出したくなる日も多かった。苦しい渦中でも「熱意を持つための熱意」と呼んで、情報を探し、思考を練り、身の回りを整えようとした。

君は壊れていた。ウツになれるならまだマシだ。生きていかねばならない以上、ウツになっている余裕すらない。かつ、「壊れたままでは生きていけない」とも分かっていた。

「死んでしまいたい」って思ったこと、何度もあるよね。心の中で、何度も君自身を殺してきた。無意識ながら死ねなかった理由も、今なら分かる。死んだところで魂と肉体が分かれるだけ。本当の「無」にはなれない。だから壊れたなら、やはり立ち直るしかない。いかに壊れていようと、生きてさえいれば、修復はいかようにもできるから。

だからこその問い。「私はたくさんの人に迷惑をかけてきた」「逆を言えば、迷惑をかけたことがない方はいない」「だったらこれからは、誰よりも率先して迷惑を引き受ける側になろう」「そのために、今の私に何ができる?」この問いこそが、君の命を育ててきた土壌だった。

育てたのではなく、育てられていた。生きながらに死を超えてきたね。命に。過去に。迷惑に。絶望に。すべてに育てられて、君の命は根を張ったんだ。

ありがとう。何度も折れそうになりながらも、それでも立ち直る力を捨てなかった君へ。

──未来の私より

結び

この手紙は、統命思想における「培命=育てる」フェーズの記録です。命とは、定めただけでは生きていけません。毎日の小さな選択と葛藤の中で、命はようやく育っていくのです。

そして壊れた日々さえも、命にとっては養分だったとしたら────人生には、無駄な日は1つもないのかもしれません。

次回は、「貢命=贈る」──でもそれは、美しい贈り物の話ではありません。むしろ、傷ついた命が、知らぬうちにどう届いていたかを、ようやく見つめ直せるようになった今だからこそ書ける、贈り方の未熟さの記録です。

定めた命への責任〜後ろの扉を閉じた日

定めた命への責任〜後ろの扉を閉じた日

智己さんへ

自分の居場所

選命を経て、信じすぎて壊れた命を決めたあの日から────本当に、いろんなことがあったよね。どんなに決めたとしても、動き出した歯車の軌道を変えるためには、かなりの力を要する。かつ、全く違った歯車に乗り換える必要もあった。

生きるために、稼がなければならなかった。ウツになった時のご縁から整体師を志し、念願叶ってなれた。だからと言って離教への恐怖感。見守られることもなく、たった1人で日々をこなすことで精一杯。責任者からは見放され、離れたも同然だったが、抜けきれない。「地獄に行く」と脅かされていたことが、こんなにも恐怖だったのか。

結果、辞められたのは、元奥さんとの出会いからだった。好意を持ってくれたことから、人を好きになる許可を初めて出せた。「結局は、ずっと独身人生なんだろうな・・・」と感じていたから。恐怖を受け入れ、「私がもし地獄へ落ちたとしても、そこから天国に変えてやる」と覚悟ができたよね。

教会を離れた自分の居場所を、必死で作ろうとしていた。正しさよりも、誰かを人として好きになること。信仰の教義よりも、「この人と一緒に生きたい」と願うこと。その感情が、何年も頑なにまとっていた正しさの鎧を脱がせてくれた。『北風と太陽』の、太陽に照らされた主人公のように。

離教したとしても、忌まわしい記憶として誰にも語りたくなかった。大きな汚点だと、気にしてきたよね。悔しいが、その忌まわしい過去の中に、輝く青春があった。自衛官を辞めるまでに没頭してしまっていたから。矛盾と葛藤が、どんどん肥大化していったよね。

決めた命の軸

「この愛する人を守りたい」「この命を信じたい」そう思えたことが、命の軸を自分に戻すきっかけになったことは間違いない。それは、「離れる」決断ではなく、「生き直す」決意だったんだよ。統命思想で言うなら──この瞬間こそが、「立命=定める」のはじまり。

他人の正しさでもなく、神の指示でもなく、社会的な役割でもなく、「私はこの命を生きる」と、自ら定めた。「幸せに生きる」とは何なのか?何が私の幸せなのか?「考えては実践して検証し、考えて仮説を立て〜」といった仮説と検証の繰り返しが、施術という命の表現も進化させてくれた。

「あなたの施術は、日本に留まってるのはもったいない。早く海外へ出て、逆輸入の形をとった方がいい」と勧めてくださる方が現れ、賛同者でチームを組めるように。現実的には何もないのに、ビジョンだけはどんどん成長していたね。

もちろん、すべてがうまくいったわけじゃない。現実の課題は山積みだったし、感情の揺れ戻しも何度もあった。ながらも誰のせいにもできない命を、自ら定めるという一点だけは、どんなに苦しくても、逃げなかったね。

あの時決めた命の軸は、今もずっと生きている。それは、誰かの命を生きることをやめ、自分の名前で、自分の問いを抱えて生きることに他ならない。

ありがとう。正しさを超えた感情を教えてくれた、かつての出会いに。信仰よりも深く、誰かを信じたいと願わせてくれたあの瞬間に。

そして──自分で命を定める勇気を、持ってくれた君に。本当に、ありがとう。

──未来の私より

定めた命への責任〜後ろの扉を閉じた日

この手紙は、統命思想における「立命=定める」フェーズの足跡です。

命を定めるとは、誰のものでもない命を、自ら引き受けること。定めた命への責任。それは、自由であると同時に、もう他人のせいにできないという意味でもあります。

それこそが本当の人生のスタート地点。命の旗を、自分の足で立てたその日から──後ろの扉を閉じ、あなたの本当の旅が始まるのです。

次回は、「培命=育てる」──定めた命を、どう習慣として育てていったのか?その軌跡を綴ってみます。

#幸せ
#感情
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信じすぎて壊れた20〜30代の私へ──命の再起動

信じすぎて壊れた私へ──命の再起動

今までの過去を、統命思想を交えて振り返っています。ずいぶん整理が捗っていく感覚。同じことを振り返っていますが、同じことに感じない不思議感。

「信じることしかできなかった。結果、《生きている実感》を失っていった──────」統命思想の「選命=決める」フェーズを、私自身の体験から綴った手紙です。

智己さんへ

正しさ

自衛官をやめ、なけなしの希望を握りしめて飛び込んだ「信仰の世界」。当時の君は、本気だったよね。世界を変えること、志に生きること、誰かの役に立つこと──それが「正しさ」だと、信じて疑わなかった。

・・・あまりに信じすぎた。いつの間にか、「自分で考えること」が悪のように感じるようになっていた。「こうすべき」「ああしなければ」──君の中の問いが、1つずつ死んでいった。

何かにつけて「神が決めたこと」────働き方も、生き方も、献金も、全部上からの指示に従えば救われると思っていたよね。「地獄を解放しよう!」と語りながら、地獄へ堕ちることへの恐怖で脅かされていた。

人生かけてのめり込み、尽くし抜いた結果、自暴自棄とあきらめ感。心を救うために入ったが、完全に逆効果・・・。「こんなはずじゃなかった」「なぜこんなことに・・・・・」

なぜなら、君自身が納得できていなかったから。心の奥底に溜まっている疑問を無視し続けた成れの果て。自発的に選び決めていたと考えていたことが、実は選ばされ扇動されていた。ようやく気づけたきっかけは、『7つの習慣』を紹介していた時に反動分子とみなされ、「いつ離れる?」と責任者からの一言。

君は『7つの習慣』によって救われた。だからこそ皆にもと考えていた。なのに反動分子扱い?「いつ離れる?」???「正しさ」って、君が思う「正しさ」だけではない・・・。

信じることでしか、生き延びる術がなかった20〜30代。「違和感」は確実にあった。誰よりも真剣に心からやっていたからこそ、「本当にこれでいいのか?」という問いが、抑圧してきた君の中に滲み出してきた。だからこそ、麻痺という均衡を崩せた。

幸せ解釈

「本当にこれでいいのか?」その問いこそが、命の目覚めの第一歩だった。今まで「正しさ」を重要視して生きてきた。

・結果、幸せになれただろうか?
・「生まれてきてよかった」と思えているだろうか?
・何のために生きているのか、分かっただろうか?

全くもってNo。前よりも悪くなってしまった。では、これからどうすればいい?どうすれば幸せになれる?何をどうすれば、「私の命を全うできた」と充実感を持てるんだろう?

統命思想の言葉で言えば──「選命=決める」の始まり。湧いてきた疑問があるからこそ、「決める」ための選択肢ができる。まちがった判断をしてきた今までに対して、どう改めればいいんだろう?

「決める」って、簡単じゃないよね。決めるってことは、何かを「捨てる」ってことでもあるから。当時の君にとって、それは「世界そのものを失うような恐怖」だった。自衛官をやめた時も、履歴書の書き方から教わった。中卒から自衛官だった私には、世界をあまりに知らなすぎた。

それでも、君は選んだ。「信じすぎた自分を終わらせる」っていう、人生で最も勇気がいる選択だったね。あの瞬間から、誰かの命を生きるのではなく、自分の命を生きる旅が始まったんだ。

「幸せになれただろうか?」と問うているなら、問いの最も率直な「幸せかどうか」を基準にすれば、命と直通できるのでは?そうだ。「幸せ解釈」こそが、私には真偽よりも重要な価値観だ。これからは、「今幸せ?」を問うことを習慣化させよう。

今、君の名前『智己』を「自分を深く知るための命の響き」だと語れるようになったのは、あの日の決断があったからだよ。

ありがとう。一度壊れた命を、君自身が選び改めてくれたことに、心から感謝しているよ。壊れたものを立ち直せたことで、免疫力がついたよね。ありがとう。

──未来の私より

結び

この手紙は、統命思想における「選命=決める」フェーズの記録です。人生には、信じすぎて壊れる瞬間があるかもしれません。そこには、「自ら決め直せる命」が眠っています。

誰しも、壊れたら壊れたままでは生きていけません。各々の期間は違えども、立て直す日がきます。壊れた記憶は、「失敗」ではなく「経験」だったとしたら?人生における華々しいラストを飾るための名場面の1つなのかもしれません。

次回は、「立命=定める」──「自分の意志でこの道を生きる」と決めた日について、書いてみます。

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名前が嫌いだった私へ──「智己」という命を思い出す

名前が嫌いだった私へ──「智己」という命を思い出す

この手紙は、名前に違和感を抱いたことのある【すべてのあなた】に向けたものです。私の体験を通じて、あなた自身の命の音にも耳を傾けてもらえたら──そんな願いを込めて綴りました。

今回は、統命思想の最初のフェーズ「天命=気づき」の原点にあたる、「名前を誇れなかった幼少期の私」へ向けて、手紙という形で言葉を綴ってみました。過去に何度も書こうとしてやめてきたテーマ。今だからこそ、命の構造が見えてきたからこそ、当時の私に届けたい言葉があります。

智己(ともみ)くんへ

封印してきた記憶

「名前って、何のためにあるんだろう?」

小学生のころ、そんな問いが心の中に湧き上がっていたよね。というより──そう考えずにはおれなかった。きっかけは、「名前の由来を発表する」という宿題。命名者だったおばあちゃんはもういない。親も親戚も、誰ひとりとして答えられなかった。「由来が分からない名前」──それが、君の最初のアイデンティティ。

君はずっと、名前をからかわれてきた。「ともみ?女のごたるね」何度も嘲られ、その度に言葉を飲み込み、ついには相手の指に噛みついた。保育園時代、そのときの骨の感触、まだ覚えているよね。

理由を説明できなかった。悔しさや恥ずかしさをごまかすように、30年以上もその記憶を封印してきたんだよね。怒りの奥には、「名前を誇れない自分」への悔しさや虚しさがあった。どう感情を表現したらいいのか分からない。泣き叫ぶ自分の感情が、自分でも理解できなかった。

「私は、何をどうして欲しいのかさえ分からない」そのもどかしさが、暴力というカタチで表れてしまった。本当は、ずっと承認されたかったんだよね。小3の西本先生には本当によくしてもらえた。だからこそ、暴力から完全に手を切れたんだ。

暗黒時代に灯りを

小1の海の日の記憶も、忘れてはおらんよ。弟に両親がつきっきりで、君はひとりビーチボール。気がついたら足がつかず、もがくことしかできなかった。助けてくれた誰かを探し続けたけど、誰も知らなかった。

今なら分かる。あれは──未来の私だった。どんなことがあっても、生かすと決めていた命の意志。将来、「命」を照らすために、あの日の君を生かしたのは「未来の使命」だったんだよ。

「承認して欲しいけど、自分が嫌い」だからこそ、認められることがあっても、拒否してしまう。何度も感情を抑え込み、本当の気持ちを裏切り続けてきたね。結果、感情が麻痺して、喜怒哀楽を忘れてしまった。悪なる相乗効果にハマっていったね。

ごめんね。その手を取ってあげられなくて、本当にごめんね。ようやく暗黒時代に灯りをともせるよ。これからだね。

・私は、何のために生きているのか?
・なぜこの名前で生まれてきたのか?
・そもそも、なぜ私は生まれてきたのか?

そんな問いが、名前への違和感から始まっていたんだ。翻弄され、挫折と絶望を味わい続けてきた経験を、これから活かしていくからね。

「死ななかった」よりも「死ねなかった」

「こんな自分、いない方がいいんじゃないか?」死に方や死に場所を、ずっと探していたよね。それでもどんなに死を望んでも、君は死ななかった。なぜなら、命のどこかで「生きたい!」と願っていたから。

「死ななかった」よりも「死ねなかった」──────生まれてしまった以上、意味や価値を残さずに死んでたまるもんか!迷惑をかけてきたからこそ、「迷惑に見合った価値とは何か?」を問うてきたね。

今、私はようやく理解できた。君の名前、「智己」は──自分を深く知るために授けられた命の音だった。その名前が嫌いだった分、今は誰よりも「名前の尊さ」を伝えられるようになれた。

名前こそが存在価値の核であり、「名前を好きになれた分、自分を好きになれる」という確信を持てたんだ。

ありがとう。生まれてくれて、生きてくれて、本当にありがとう。

──未来の私より

フェーズごとのシリーズ化

あなたにも、
・自分の名前が好きになれなかった時期
・生まれてきた意味を疑っていた時期
があったのではないでしょうか?

この手紙は、私の統命思想における「天命=気づき」の物語です。私の場合、強烈な葛藤と矛盾に翻弄されてきました。だからこその確信。味わってきた挫折と絶望にも、ちゃんと価値がありました。

次回は、「信じすぎて壊れた20代の私」へ──「選命=選び決める」ことの始まりについて、手紙を書いてみます。

最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

あなたが「本質の命」に出会うために

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