新たな人生へ〜藤堂富美子さん物語5

新たな人生へ〜藤堂富美子さん物語5

いよいよ富美子さんとの初対面。実際に「イメージどおりだった」「イメージとかけ離れていた」両極端に分かれています。

信じたい気持ちと信じきれない疑念

「富美子さんの人生、きっと変わりますよ」真紀子さんの言葉を、何度も反芻している。

「名前を丁寧に見つめる方」──正直、どこかうさん臭いと感じている。信頼する真紀子さんの紹介だから、1度くらい話してみてもいいかもしれない。そう思えたのは、私の中で何かが崩れ始めていたからだろう。

当日、真紀子さんと3人ZOOMの接続ボタンを押す手が少し震えていた。いつも通り、着物をまとい、帯をきちんと締め直す。

「藤間美雅として見られるのか?藤堂富美子として扱われるのか?」私が誰としてこの場に出るのか、正直まだ定まっていない。

画面が切り替わった瞬間、真紀子さんの穏やかな声が響く。

「こんにちは、富美子さん。今日はありがとうございます。富美子さんに龍先生をおつなぎできますこと、本当に嬉しいです。龍先生、どうぞよろしくお願いいたします」

龍 庵真との出会い

「はじめまして。龍 庵真(りゅう あんしん)と申します。お会いできて嬉しいです。」

見た目も話し方も、驚くほど普通だった。むしろ、あまりに気張っていないことが拍子抜けするほどだ。

「軽く自己紹介させていただきます。今まで名前と確実に20万人超は向き合ってきました。おかげさまでGoogle検索よりも速く画数を解説できます。ながらも姓名判断に疑問を感じ、「姓名承認」という造語を生み出せてから、ようやく風向きが変わってきました。

今日は、お名前についての話だと真紀子さんから伺っています。まずは富美子さんが今、何を感じていらっしゃるのか、そちらをお聴かせいただけませんか?」

名前の話じゃないの?と心の中で思ったが、自然と話し始めている自分に驚いた。

守るべき名前と崩れゆく型

「私は日本舞踊を15歳から63年にわたって継続してきました。特に名前に関しては、守らなきゃいけないものだと思ってきました。娘にも、弟子にも、絶対に崩せない『型』として──でも最近、もうその型が意味を持たなくなってきて・・・。」

彼は頷くだけ。何も評価しない。ただ、黙って聞いている。

「私、芸名の藤間美雅(ふじまみやび)という名前に誇りを持ってきました。でも今、それを語るのが、どこか恥ずかしいんです。・・・いや、恥ずかしいというより、本当の私とは違う気がしていて。

なぜなら娘からの一言を機に、今までやってきたことの過ちに気づいてしまったんです。それからというもの、何をやっても失敗する気持ちが湧いてくるんです」

名前と「本来・本当・本物」

少し間をおいて、彼が口を開いた。

「名前は、守るものではなく現れるものだと、私は考えています。本来の名前とは、存在価値の核です。よくも悪くも、生き方やあり方がそのまんま現れてくるものなんですよ。

恥ずかしいと感じていらっしゃるということは、成長や発展の兆しでもあります。顔に泥がついていても、鏡を見たり誰かに指摘されなければ分かりようがありません。気づけてよかったですね。」

「よかったですね」が、胸に刺さる。
名取としての名を守ってきた私には、裏切りにも似た響きだ。過ちを指摘され、追い詰められていくような先入観を抱いていたイメージからは、ずいぶんかけ離れている。

「富美子さんは、『本来』『本当』『本物』の違いって分かりますか?」

「初めて考えます。気にも止めませんでした。」

「まず本来とは、生まれたままの純粋無垢な状態。そこに経験が加わって本当です。さらに同時並行な場合もありますが、価値が加わった状態が本物です。

先ほど、『本当の自分とは違う気がして』とおっしゃられましたね。そう感じてしまうのは、富美子さんが成長したからです。次のステージがあることを知ってしまったんですよ」

「・・・そんなとらえ方は、今までしたことがありませんでした。」

新たな人生の出発記念日

真紀子さんがニコニコしながら聴いている。
「富美子さん、どうぞ感じたことをどんどん話してください。ここでの情報は、誰にも漏らすことはありません。私は、今日が富美子さんの新たな人生の出発記念日になると信じています」

「私、まだやれるんでしょうか?」

「当たり前じゃないですか!私なんて、叩けば埃だらけですよ!それでもちゃんと生きています。人生って、立体構造なんです。苦しく辛い出来事は、後の感謝や感動に変わります。チャンスは不幸の顔してやってきますから」

「そう言っていただけると、なんだかとても楽になれます。真紀子さん、本当にありがとうございます。では、何から話していきましょうか?・・・・・・・・・」

30分経たずに終わってしまうイメージが、結局2時間に。初対面の方に、こんなにも言葉が溢れ出てくるなんて、初めての体験だ。

#着物
#記念日
#娘
#本当の自分
#姓名判断

名前に揺れる夜〜藤堂富美子さん物語4

名前に揺れる夜〜藤堂富美子さん物語4

静けさと雅子への衝動

真紀子さんとの対話が終わったあとも、しばらく画面の前から動けなかった。

あの短い時間に、私は確かに話していた。けれど、それ以上に聴いていただけたような気がする。画面が消えたあと、空気の音が急に聴こえてきた。久しぶりに、自分の中の静けさに思い出せた感覚だ。

今、雅子にたまらなく会いたい。けれど──会って何をどうしたいのか?謝りたいのか?「ありがとう」を伝えたいのか?もう一度だけ母としての誇りを語りたいのか?

筆が進まない。どんな言葉を選んでも、どこか「私の正当化」になってしまう。

真紀子さんの提案

その夜、真紀子さんからメッセージが届いた。

「富美子さん。今日はありがとうございます。よければ、おつなぎしたい方がいます。お会いしてみませんか?私がとても信頼している方で、名前をとても丁寧に見つめていらっしゃいます。

富美子さんと話していて、昔の私を思い出しました。まだよく分からない点はありつつも、似ている点がありそうな気がしています。今の私は、彼のおかげでもありますから。

富美子さんの人生、きっと変わりますよ」

自問自答

名前────────
舞台で生きてきた「藤間 美雅」と戸籍上の「藤堂 富美子」。私はそのどちらでもあり、どちらでもないのかもしれない。

「名前を丁寧に見つめて・・・」とあるが、名前を丁寧に見つめたところで、何が変わるの?名前なんて呼ばれるための識別情報よね?真紀子さんがおっしゃられるなら、会ってみてもいいけど、また新しい名前や印鑑なんて作らされるのかしら?家族そろって象牙の3本セット買ったじゃない。また?

名前を変えたところで、雅子との信頼関係がよくなるわけじゃないだろうし、私の過ちが解消されるわけでもない。私の人生は失敗だったのだ。これからどんどん転落していくのかしら?

いったん歯車が狂い始めると、至るところで不協和音が起きてくると聞いていたが・・・。まさか私がそんなことに陥るとは、考えてもいなかった。周囲の幸福そうな家庭が羨ましく思えてくる。私だって必死に生き抜いてきたのだ。「ハシゴのかけ違い」が、こんなにも深く、自分を迷わせるものだったとは。けれど──名前を見つめることで、何かが変わるのだろうか?今の私は、ただ湧き出てくる問いに立ち尽くしている。

信じてみよう

湧き出てくる感情と向き合ってみての結論。やはり会ってみようと思う。決め手は、真紀子さんの最後の一言「富美子さんの人生、きっと変わりますよ」。「彼」というから男性なのだろう。

嬉しかったのが、こんな私と真紀子さんが「似ている」と言ってくださったこと。私も真紀子さんのように、輝ける日が来るかもしれない。雅子との和解ができるかもしれない。

期待と不安が行き交いつつも、日程調整の返信を終え、眠りにつけた。30分経たないうちに終わるかもしれないが、真紀子さんを信じてみよう。

#ありがとう
#感情
#舞台
#信頼関係
#魂

自分を語ってもいい〜藤堂富美子さん物語3

自分を語ってもいい〜藤堂富美子さん物語3

言葉にしてしまう恐怖

──コメント欄に返信が届いてから、何度もその文章を読み返している。

「『自分が崩れていく音』とはどういうことなんでしょう?よろしければ、ぜひお聴かせいただけませんか?」

何でもないような言葉。でも、どこまでも優しく鋭かった。読み返すたびに胸が詰まる。すぐに返事を書こうと思ったのに、できないでいる。言葉にならないのではない。言葉にしてしまうことが恐怖なのだ。

画面を閉じて、しばらく考えた。そして、ふと思い立ち、鏡の前に立った。

帯で整える芯

「そうだ、帯を結ぼう」

人と会う予定もない。誰に見せるわけでもない。でも今、私は自分自身のありようを整えたい。箪笥の奥にしまっていた淡い藍色の名古屋帯。軽やかながら芯のある一本。お気に入りの1つだ。

自分の手でゆっくり結んでいく。ひと結び、ひと呼吸。帯のひと巻きごとに、心が落ち着いていくのが分かる。

「私はまだ、言葉にならないものを抱えたままでいる」
「でも・・・それでも、伝えてみたいのかもしれない」
「このままでは絶対にダメだ。どうしても変わりたい。一歩を踏み出したい」

自分を語ってもいい

帯を締め終え、スマートフォンの画面を開く。メッセージ欄に、少しずつ言葉を綴り始めた。

ーーー

佐藤真紀子さん

コメントを読んでくださり、ありがとうございます。
あの一言に、どれだけ救われたか、うまく言えません。

「崩れていく音」というのは──
私の中にずっとあった型が、今、音を立てて壊れていっている感覚です。
それは恐怖でもありますが、どこかで「ようやく」という安堵も混じっています。

この歳になって、初めて「自分を語ってもいい」と思えた気がしています。
よろしければ、少しだけお話しさせていただけましたら嬉しいです。

ーーー

送信ボタンを押したあと、自分の姿を鏡で見た。久しぶりに、自分の顔が「私の顔」に見えた気がした。

毅然とした雰囲気と魅力

メッセージのやりとりから数日後、
「もしご都合よければ、一度だけZOOMでお話ししませんか?」
真紀子さんからの提案が届いた。

迷ったが、その迷いこそが「行くべき方向」だと、今回は思えた。

約束の午後。髪を軽く結い、帯を締め直し、画面の前に座る。

パソコンに映し出された真紀子さんの顔は、写真よりもずっと柔らかく、芯を持っていた。何があっても動じない、毅然とした雰囲気に、魅力に吸い込まれていく。

「初めまして。お会いできて嬉しいです」
「・・・こちらこそ。少し緊張していますけど、ありがとうございます」

2人とも微笑み、しばらく言葉がない。ながらも沈黙が気まずくないのは、久しぶりだ。

「崩れていく音・・・という表現が、とても印象的でした」真紀子さんから。

私は、小さく頷いた。ほんの少しずつ、語り始めた。

矛盾

「私は、舞にすべてを捧げてきた人間です。弟子たちには厳しくしてきましたし、娘にも・・・ずいぶんと、ですね。でも、自分は間違っていないという想いがどこかにあったんです」

「それが娘からの一言で、音を立てて崩れていって・・・もう、何を信じてきたのかも分からなくなってしまって。もう何をやってもうまくいかない気持ちが湧いてくるんです」

真紀子さんは、ただ、静かに頷いていた。傾聴という言葉の価値を、初めて体感できた。聴いていただけているという態度だけで、涙が込み上げそうになる。

「型に閉じ込めていたのは・・・・・、私自身だったのかもしれません。今までの私の生き方は、失敗でした。過ちに気づかず突っ走ってきたことを後悔しています」
「でも・・・、型にはめてきたからこそ私は私ではいられたんだと思います。・・・そんな矛盾を、今も抱えています」

「・・・矛盾を抱えたままでも、言葉にしてくださって、ありがとうございます」

真紀子さんがそう言った時、やっと「私は自分の話をしてもよかった」のだと気づいた。画面越しに深く頭を下げた。それを見た真紀子さんも、穏やかに微笑んだ。

#生き方
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#傾聴
#命
#恐怖

揺らぎ〜藤堂富美子さん物語2

揺らぎ〜藤堂富美子さん物語2

初コメント

佐藤真紀子さんのブログを開くのは、もう何度目だろう。最初はただ読んでいた。けれど、読み返す都度、言葉が自分の内側に深く沁み込んでいくのを感じる。

「私は、誰の人生を生きてきたんだろう?」「私が追い求めてきた幸せって何?」そんな問いが浮かんでは消える。ブログの一文に、ふと目が止まる。

「自分にまとう言葉を洗練し改めるだけで、人生は変わるのかもしれません。」

これまで、私は「まとうもの」として、帯や衣装のことしか考えたことがなかった。今、「言葉をまとう」という感覚を、初めて知ったのかもしれない。

ページの下部、「コメントを残す」という欄。そこにカーソルを合わせるだけで、指先が震える。

文章を書いては、消した。
「素敵な文章でした」
「私も娘を持つ母です」
「舞を生きてきました」
どれも、本当の気持ちではあるけれど、どこか誰でも書ける言葉のように思えてならない。そもそも「本当の気持ち」とは?真紀子さんの言葉を読むほどに、「私は自分の人生を生きようとはしていなかった」のだ。

芸名と本名の揺らぎ

私は今、「誰として」書くのか。それが最も難しかった。芸名「藤間 美雅(ふじま みやび)」なら、何度もTV出演したこともある。本名は、役所に用がある時くらいにしか使うことがない。娘の言葉を機に、「名取り」という権威に、全く価値を感じなくなっている。今までこんなこと初めて。

いろいろ考えようやく、1行目にこう記した。

「佐藤 真紀子 様
はじめまして。藤堂富美子と申します。」

書いた瞬間、胸の痛みを感じた。私の名前は、私がずっとまとうことで守ってきた「型」そのものだった。

「この名前を、公共以外で誰かに見せるのは、何年ぶりだろう?」心の中でそう思いながら、続けて書いた。

「長年、日本舞踊を通して生きてきました。今、思いがけず自分が崩れていく音に耳を澄ませています。

あなたの文章に、女性らしいしなりと凛とした覚悟を感じました。どこかで・・・・舞と同じ匂いを感じます。

勝手ながら、コメントさせていただきました。ありがとうございます。」

送信ボタンに指を置いたまま、しばらく動けなかった。この差し出すという行為に、まさかこんなに多くの感情が詰まっているなんて。その時ふと──「これでいい」という思いが、胸に沁み渡っていった。

心の揺らぎ

次の日。返信が届いた。

「藤堂富美子さん──お名前の響きに、舞うような静けさと強さを感じました。
コメント、心より嬉しく読ませていただきました。『自分が崩れていく音』とはどういうことなんでしょう?よろしければ、ぜひお聴かせいただけませんか?」

たったそれだけの言葉だったが、感極まる思いが込み上げてくる。娘の一言から今までで最も「届いた」と思える言葉だった。真紀子さんへなら、この心の揺らぎを言葉にしてもいい──そう思えてしまう。

舞台でもTVでも、いかなる状況でも物怖じすることはなかった。真紀子さんからは、私の虚無感や偽者感を見透かされそうだ。逆を言えば、それだけ真紀子さんに見てほしい。・・・いや、見抜いてほしいのかもしれない。

──そして、娘のことが脳裏によぎった。

娘に今までの過ちを謝罪しても、本当の意味でお互いのわだかまりが消えることはないだろう。謝罪よりも、「雅子のおかげで」と言えるようなことになれば、感動を分かち合える。きっと雅子は、そんな結末を願っているのではないだろうか?

#舞台
#自分の人生
#娘
#感情
#日本舞踊

崩れゆく誇り〜藤堂富美子さん物語1


崩れゆく誇り〜藤堂富美子さん物語1

気づいてしまった

「・・・それって、お母さんの満足じゃない?・・・・・・・」通話後も、しばらく携帯を手に持ったまま、動けない。衝撃的な娘からの一言。

雅子が舞を始めたのは、小学2年。同級生がバレエを習い始めたのに触発されたのがきっかけだった。「だったら、うちは日本舞踊よ」と笑いながら始めさせた。

最初は物珍しさを楽しんでいた。私の目には、娘の才能が確かに見えた。「この子は私よりも大成する」今となってはただの親バカだったのだろうが、当時は揺るぎない確信があった。

だからこそ、稽古は厳しくした。
「舞は甘くない。遊びじゃない」
「気持ちで踊ってはダメ、型がすべて」
何度も泣かせてしまった。

中学に上がる頃、雅子は何度か「やめたい」と言った。その度、言葉を選ばずに返した。

「せっかくここまで来たのに、やめるなんて無責任よ」
「あなたは本当に、惜しい人ね」
「本気でやったこと、一度でもあるの?」

あの時、どんな顔で言ったのだろう?──その時の雅子は泣かなかった。ただ、無表情。

その後、雅子は舞の道には進まず、教員の道へ。今でも趣味として続けてくれてはいるけれど、「母の顔色を見てのこと」だったのかもしれないと気づいてしまった。自分の中の「誇り」だったものが、ただの自己満足だったのではないか?と感じている。

「私が見てきた娘の才能は、勝手な思い違いだったのかしら?」
「私は母親として、娘に何をしてあげたのかしら?」
「舞台の拍手は聞こえても、あの子の小さなため息は聴けていたの?」

崩れゆく誇り

私は、着付け塾「舞乃庵」を主宰する藤堂富美子(とうどうとみこ)、77歳。かつて日本舞踊の名取として舞台に立ち、今は後進の指導にあたっている。弟子の数は年々減り、後継者も見つからないまま。それでもこだわり続け、凛と帯を結び続けている。

会社員だった夫の定年後、5年経たずに看取る。肝臓ガンだった。1人娘の雅子も巣立ち、孫も成長した。やり尽くしたと充実感を持っていた、昨日までは。 今、積み上げてきたものが音を立てて崩れていっている。

「そもそも私は、何のために生きてきたのかしら」
「結局私は、何も遺せないまま死んでいくんじゃないの?」
「ただ舞にしがみつく老女になってしまうの?」
「後継者がいないのも、皆が雅子と同じように私の顔色をうかがってきただけなのかしら?」
娘 雅子からの一言で、現実が浮き彫り化されてきた。今、得体の知れない恐怖感という闇が湧き出ている。

「このままでは終われない──とはいえ、どこへ向かえばいいのか分からない」
「誰かに話したい。けれど、話したところで変わりそうに思えない」
「何もかもがダメに思えてくる。何をやっても失敗しそうな気持ちになる」

歳月を慈しみ、なお花ひらく

初夏の日差しが爽やかな午後、久しぶりに書店へ。本を買うつもりはなかったが、なんとなく足が向いた。書店に入って即目に止まったのが、『婦人画報』。表紙の色合いが優しくて、よく読む愛読書の1つ。

「何かを探していた」というより、「何かが自分の中からほどけてくれるのを、待っていた」のかもしれない。表紙の「歳月を慈しみ、なお花ひらく」という言葉に惹かれていった。

ああ、なんて美しい言葉。それは「頑張れ」でも「前を向け」でもなくて、「今のままでも、咲けるんですよ」と、そっと肩を撫でてくれるような響き。

ある女性の写真が目に留まった。──佐藤真紀子さん。どこかで見たことがあるような、でも初めて出会うような、不思議な気配をまとう女性。

服を仕立てるアトリエで静かに佇むその姿から、派手さは一切感じないながらも、言葉1つひとつに、静かな力が宿っている。

「娘が巣立ったあと、何もない自分と出会えた気がした」
「そこからもう一度、自分に似合う服を探したくなったんです」

私は・・・《何もない自分》を、いまだに怖がっているのかもしれない。

型を持たぬ言葉に救われて

長年、舞だけに人生捧げてきた。教えて、舞台に立ち、結い、支え、怒り、泣かせ、・・・。「私はそれでよかったのだ」と信じてきた。最近になって少しずつ、その信じていたものに亀裂音が響いていた。なんとなく気にしていたことが、娘の一言で一気に崩壊していったのだ。

気づけば、スマートフォンで彼女の名前を検索して、SNSやブログもすぐに見つけた。どの記事も、肩肘張っていなくて、等身大で、でもどこか品のある空気に包まれていて。読みながら、何度も深呼吸している。

そしてふと──「・・・この人に、一度会ってみたい」そんな気持ちが、ふわりと湧き上がってきた。

人と会うのが億劫だったのに、誰かに気を遣って言葉を選ぶのが面倒だったのに。この人なら、何も飾らずに話せる気がした。

あれほど「型がすべて」と言いきってきた私が、型のない言葉に救われる日が来るなんて──ようやく、言葉にならない何かが、ほどけ始めた気がした。


#孫

#舞台
#娘
#塾
#バレエ

「絶望が私を育てた」は卒業できるか?

歩き瞑想で見つけた、新たな胆力の育て方

今朝の歩き瞑想からの自己対話にて。結論は、「潜在意識の更新の重要性」です。無自覚のうちに進めてきましたが、「自覚してみてどうするか?」への道があることへの感謝。

「絶望を乗り越えた先にしか胆力は育たない」と信じていた──────改めて湧いてきた疑問。「本当に唯一の道?」今、「穏やかさの中にも深さは育つ」と確信し始めています。

絶望を越えた先に道がある

絶望こそが私を育てた

これまで、何度も何度も「もうダメだ」と感じてきました。孤立・貧困・拒絶──。まるで、誰からも必要とされていないとさえ思えるような状況。その度、なぜかほんのわずかな光を見出してきました。思いがけない方から手を差し伸べていただけてきた体験談は、数えきれません。

振り返ってみて「絶望が私を育てた」という解釈ができあがってきました。確かに、とんでもなく深く冷たい暗闇を経なければ、今の境地に至れなかったと思うのです。

名前からも「Mr.波瀾万丈」という名前のエネルギーを持っています。当時の師匠からも「もしあきらめたら、濁流の中の小舟のように飲み込まれていく」等脅されてきました。まさに誰もが納得するような、波瀾万丈の典型例のような生き方でした。おかげさまで「あきらめられない」にすがるうちに、「あきらめきれない」ものとご縁できました。

混乱に困惑

ところが最近、「安心・安定・穏やか」をテーマに生きていきたいと、心から望んでいる自分に気づきました。きっかけはライフプロファイリング(あなたの人生傾向を読み解く診断技術)。穏やかに生きることが、私の人生の大動脈であることを痛感しました。

それなのに、今朝の歩き瞑想で心に浮かんだのは「絶望を味わいたい」。「なぜ?」と問うと、「胆力をつけたいから」という声が返ってきました。「絶望を感じずとも、胆力を鍛える方法はある」と答えました。返ってきたのは、「絶望でなければダメ」・・・。

正直、強い矛盾を感じました。絶望という感覚は、挫折が前提にあります。努力を積み重ねて無残に壊れていく状況だからこそ湧いてくる感情です。「安心・安定・穏やか」への方向転換を強く望んでいる今、絶望からは遠のいていくものとみなしていました。混乱に困惑する状況が、ど〜んと覆い被さりました。

矛盾の理由

「なぜ波瀾万丈の人生が起きてしまうのか?」長期における強烈な疑問でした。「リーダーエネルギー診断」を作成する上で、1〜120画の性質エネルギーをすべて名づけております。プロセスにおいて、理由が浮き彫り化されてきました。

ポイントは、一貫性です。出会った多くの方々の共通点は、誠実かつ実直な印象をお持ちです。ご本人において一貫性にこだわるがゆえに、周囲に整合性を当てはめようとします。一貫性のエネルギーに比例して、周囲が矛盾だらけに見えてきます。それでも整合性を保とうとするほどに、気になってしまう感覚が、現象化した状態だとしたら?

そう考えた時、ものすごくスッキリしました。同じ画数をお持ちの方々へ、共有させていただき、現状100%賛同していただけています。今回も、今までの一貫性ゆえに私の意識がこだわってきました。

潜在意識の倫理観は、世の一般的な価値基準とは違う場合が大半です。なぜなら、「ご本人が、強く長く願ってきたこと」が最優先だから。私の場合、挫折や絶望がいかにデフォルトだったのかを思い知りました。

信念の衝突

「違和感を瞑想を通じて感じた」ということは、今までは何も感じなかったのです。私の価値観として「絶望によって鍛えられる」が一体化していたのです。無意識ながらに考えていた自分に、恐怖を感じました。

今までは、絶望が私を鍛えてくれました。確かに事実です。だからといって、今後もずっと繰り返す必要があるのでしょうか?「穏やかな日々の中で胆力を養い器を深め広げていく」のは、本当に不可能なのでしょうか?

過去の私と、これからの私。信念の衝突が起きていたのだと客観視できました。まさに映画でも観るかのように、困惑している私を把握できたのです。理解できたからには、セルフセッションです。大いにスッキリできました。

徹底的に向き合い、癒しと浄化に努めてきました。「マイナスからプラスへ転じる瞬間だった」のではないかと振り返っています。潜在意識を数値化できるようになれたことは、とてもよかったと感謝しています。一見何も変わっていないようでも、数値上の変化があるからこそ、認めることができました。

「穏やかな強さ」という生き方

例えば
・平凡な日々の中で「感謝」を育む。
・「何もない」ことに、自分の存在価値をじわじわと認めていく。

こうした経験も、立派に胆力を育てているのではないでしょうか?

よく、歩き瞑想中に裸足になります。 砂利道の上は涙が出るほど痛くて、靴のありがたみが身に染みます。こういった「小さな気づき」の積み重ねもまた、胆力を深める道だと感じました。物事に適切に敏感であるほどに、ふさわしい対応ができるもの。

感情解放の重要性を20年以上にわたって強調してきましたが、さらに確信が深まっています。感情を抑え込んでいると、感動が響きにくくなり、他をも抑え込もうとします。

「苦しまなくても、本物になれる」 「絶望に頼らなくても、深さは育つ」 「穏やかさの中でも胆力を育てていい」新しい信念への移行です。 過去を否定するのではなく、未来をより豊かにする選択肢として。過去にすがる必要はありません。今を見据え地に足つけた更新にこそ、今の自分の真価があるのです。

【追伸】あなたは今、どんな「ご自身の育て方」を選んでいますか?私には波乱や絶望を通じてしか得られないと思っていた強さ────実は、穏やかな日々の中でも、じわじわと育まれているのかもしれません。

もし「生き方に変化を生み出したい」と感じているなら、それこそがあなたの新しい道。過去を否定せず、今を見つめ、これからを主導する勇気を持てた時──あなたの「深さ」は、穏やかに、確実に深まっていくのです。その歩みこそが、誰にも真似できない、あなただけの成熟の道です。

#エネルギー
#瞑想
#感謝
#浄化
#生き方

消し去りたかった「あの日」を人生の宝にする60分

あなたの中に、まだ言葉にできていない「人生の1ページ」はありませんか? 書けないのではなく、何を書けばいいかが分からなかっただけかもしれません。 このセッションは、そんな「空白の時間」に価値を宿す、あなたご自身の「人生の核」と出会うための対話です。

答えを1つだけ、全体の中に入れています。あなたには分かるでしょうか?

消し去りたかった「あの日」を人生の宝にしませんか?

言葉にできる今

あの出来事さえなければ────そう思ってきた過去が、今では人生の奥行きを支える柱となってくれています。

先日の歩き瞑想で、ふと気づきました。「自殺願望が全く湧いてこない」。少なくとも40代半ばまでは、湧き出てくる衝動に悩み続けました。特に小4当時は、毎晩のように「死ぬ夢」の日々。

今は違います。過去からの軌跡を大切に噛みしめています。結果、過去を恥じるのではなく、「表現だった」という解釈に変わってきました。何を伝えたかったのか?何を感じたかったのか?少しずつ言葉にできるようになってきた今、当時と確実につながっています。

◆ 白紙のページ、黒く塗りつぶした記憶

「なかったことにしたい」
「忘れてしまいたい」
そう思った出来事はありませんか?

もし、その出来事に「意味という光」を当てられたなら──そのページは、あなたにしか書けない物語へと変わっていくかもしれません。

「人生の1ページ」よく耳にする言葉ですが、あなたにはいかがでしょう?どこで始まり、何によってめくられていくのでしょうか?

印鑑営業時代、献血をたくさん引き受けながら貧血で悩んでいた当時。まさに「空白の1年」だったと振り返ってきました。「姓名承認」という造語を生み出せたことで、初めてその期間に価値を感じれました。

◆ 《◯◯》というキーワード

このセッションでお訊きするのは、単なる昔話でも、感動エピソードでもありません。「名前がついていなかった感情」や「曖昧だった出来事」に、記念日的な名付けをするような────そんな対話の時間です。

この問い方の原点は、今から約15年前。ある深刻なウツ状態の方との対話がきっかけです。生きることに絶望し、言葉を発する気力さえ失っていた方。通常の施術では届かず、ふとしたひらめきでした。結果、自発的に考え始めていただけたのです。以降3,000人超に問う中で、体系的な対話技術へと成熟していきました。

言葉にできなかった気持ち。整理しきれなかった出来事。それらの奥にあるものこそが、「あなたの今までの人生を照らす核」であり、多くの場合《◯◯》という一言に集約されていきます。

《◯◯》というキーワードを見出すために、まつわるエピソードを聴かせていただきます。答えを導き出すプロセスにおいて、あなたがいかに素晴らしいかを噛みしめることになり得ます。

対話の中で、多くの方がすでに答えである《◯◯》を口にしています。にもかかわらず、それを「答え」だとは認識できていないのです。なぜなら、その言葉に相応の価値があるとは思えません。「たわいもないと思っていた」等のコメントを、8割以上の方がおっしゃられました。

◆ 答えはあなたの中に

このセッションでは、私から答えをお伝えすることはありません。なぜなら、それは「与えられるもの」ではなく、「あなた自身が出会うもの」だからです。出会った時、誰かに説明された知識ではなく、あなたの言葉で語られる「人生のキーワード」になります。

ある原理原則系の講師をなさっておられる方へ、問うたことがあります。時間を要しましたが、答えをひらめき出せた時、涙ながらに感動してくださいました。第1声「答えを言わないでくれてありがとう」と言われたことが、問い方への確信につながりました。

体系化された問い方は、3,000人超との対話の現場で培われてきたものです。名付けるなら、「あなたの今までの核を見出す問い方」。私はこれを15年以上かけ、誰よりも深く問い続けてきたと自負しています。

◆直感力という「技術」

私には当たり前でしたが、多くの皆さんにはつながっていないもう1つの視点。直感力の構成要素として、重要な役割を担っています。なぜなら直感とは、本来、無数の◯◯の集積から生まれる「内なる反応力」だからです。

言葉にならなかった感情や出来事に名前がついた瞬間、それらが直感として力を取り戻し始めるのです。答えの《◯◯》を正しく適切に理解できれば、直感力を技術として扱えるようになり得ます。直感力が技術になることで得られるもの。大きく5つ思いつきました。

・感覚への信頼(頼っていい感覚になる)

・再現性(何度でも取り戻せる)

・自己確信(これでいい、と思える)

・判断の精度(迷いが減る)

・自己一致性(感覚と行動がズレない)

本来直感力とは、すべての皆さんに備わっています。にもかかわらず、あるなしで大きく分かれてしまいます。なぜなのでしょう?

◆謙虚と傲慢の分岐点

この問いに対する「向き合い方」が、その方の現在地(=謙虚と傲慢の境界線)を示します。

・即断しようとするか?
・いったん問いを抱えてみるか?
・他者の1ページに耳を傾けられるか?

それらすべてが、「答え」ではなく「答えの出し方に現れる人格の質」とも言えます。

■ 謙虚に向かう方の傾向

・「まだ分からないことがある」という未知の尊重を受け入れられる
・小さな経験や痛みの中に学びや意味を見出そうとする
・「自分の物語」を他人に誇示するものではなく、対話可能なものと解釈する
・答えのない問いを保持する内省的余白を持つ(脳のDMN活性化)
 → 自己探究・他者尊重・進化の余地を自然と持ち続ける姿勢

■ 傲慢に向かう方の傾向

・「そんなもの、もう分かっている」と既知で固め、執着にこだわり思考停止させる
・自分の経験を唯一絶対の正解とみなしてしまう
・他者の問いや視点に耳を傾けず、自己物語の押し付けになりやすい
・過去の解釈を再定義する柔軟性を失っている
 → 固執・断絶・内省拒否という内的スタンスに偏っていく

【こんな方にオススメ】

・「このまま年だけ取って、終わっていく気がして不安だった」
 → 見えなかった1ページ目に気づいた瞬間、人生の流れが動き出します。

・「消してしまいたい記憶ばかりで、自分を語れないし、語りたくもない」
 → その記憶が、人生の核として新しい意味を放ちはじめます。

・「人生に意味があると信じたいが、確信が持てない」
 → 自分の言葉で人生のキーワードを語れるようになります。

・「変わりたいけど、自分のどこを信じていいか分からない」
 → 信じたくても信じられなかった部分に、はじめて名前がつきます。

・「誰かの言葉ではなく、自分の言葉で語りたい」
 → あなたの人生そのものが、誰にも真似できない物語として立ち上がります。

◆ 理解できないままでいると、どうなるのか?

誰しも理解できないままの出来事を、無意識に「なかったこと」にしてしまいがちです。ながらも心のどこかではずっとくすぶり続けていて、気づかぬうちに言葉にできない不安や不信感の根源やルーツとなっていることもあります。

・なぜか同じような壁にぶつかる
・理由もないのに、自己否定が湧いてくる
・人の言葉を素直に受け取れない
・謎の遠慮や罪悪感が拭えない

こうした感覚の根っこには、「理解されなかったままの自分」がいます。もしや「理解できなかったあの日」が、いまだに「あの日」のままで止まっているということかもしれません。

言葉にできた時、ようやくそのページが「あの日」から「物語」へと昇華されます。理解するとは、「納得し、次に進める力を取り戻すこと」。逆に言えば、理解できない限り、「前に進む力」は、どこかで抑制されたままなのです。

🔹セッション概要

  • 時間:ZOOM(オンライン)約60分(個人差により、延長の可能性あり)
  • 料金:11,000円(税込)
  • 内容:
     ・あなたが体験してきた出来事の整理
     ・「『あの日』に意味はあったのか?」を一緒に見つめる対話
     ・あなたの「今までの人生の核」に近づくキーワードを具現化
  • 結論:あなたの中に、ずっとありながらも言葉にできなかった「核のようなキーワード」が、自然と浮かび上がってくる時間です。結果、「地に足つける」を体感できます。

📩 お申し込み:
事前アンケートフォームにご回答ください。

通常、2時間かけて深めていた対話を、60分に凝縮しました。今、このセッションが必要な方にこそ、受け取っていただきたいです。だからこそ、¥11,000(税込)での提供は名様限定の決断です。

◆ 最後に

この価格での提供は、今だからこそ可能な形です。 まずは1人でも多くの方に、核との出会いを体験していただきたい──そんな思いで、このセッションをご案内しています。

個人差があるので、実際に書けるようになるかどうかは分かりません。 「書いてもいいかな」と思える状態にはなれます。なぜなら「自分に許可を出す」すごく重要です。逆に言えば、「禁止令を出している」のですから。

許可できた瞬間、白紙のままだったページに、あなたの物語の輪郭が浮かび上がってくるのです。ピンボケした白黒やセピアの風景が、鮮明なカラーに変わっていくような体感が起き得ます。

「書けるようになる」ことではなく、 「書いてもいいと思えるあなた」と出会ってみませんか?

◆これまでにご参加くださった皆さまの声(抜粋)

🟡 「こんなに話したのに、[話した]という感覚がない。不思議なくらい軽くなりました」(50代女性・元教師)
「長年、誰にも言えなかった出来事を話したのに、重くならない。むしろ[そうか、それを私は伝えたかったのか]と腑に落ちて、まさかの涙・・・。『対話』というより、『人生の棚卸し』でした。」

🟡 「答えを言われなかったことで、初めて『これが自分の言葉』なんだと実感しました」(40代男性・経営者)
対話の中で、何度も《◯◯》という言葉を口にしていたようで、「この10分間で3回は言いましたよ」と言われて混乱しました。そのあとで初めて、《◯◯》がどれほど大切な感情だったのかを理解でき、自分がそれをどれほど蔑ろにしてきたかに気づき、涙が出ました。

「自分の中にあったのに、知らなかったことにしていた。」この気づきだけでも、私には十分すぎるほどの価値がありました。

🟡 「自分を認めたいのに、何を認めていいか分からない状態でした」(30代女性・元看護師)
「[名前がついた]ことで、自分を初めて受け止められた気がします。『これでよかったんだ』という安心感がじんわり広がって、夜ぐっすり眠れました。」

🟡 「まるで魂の輪郭が浮かび上がってきたような時間でした」(60代女性・カウンセラー)
「これまで散らばっていた経験の点が、線としてつながった感じです。この対話は癒しよりも統合でした。」

🟡 「直感は『技術』になるんだと、体感で理解できました」(40代男性・フリーランス)
「なんとなく当たる感覚は昔からあったけど、セッション後は[この感覚を信じていい]と思えるようになりました。『人生の取扱説明書』を受け取ったような気分です。」

#自分を見つける
#人生を語る
#白紙のページ
#問いと対話
#意味を見出す

命と1つになるまで〜負けを認めた命の静けさ

命と1つになるまで〜負けを認めた命の静けさ

これは、誇らしさを語るものではありません。「希望を失いつつも、命は続いていく」────そんな体験エピソード。当時、完全に負け戦の中にいました。私の正義も、志も、実力も、何もかもが空回り。全力で向き合った末に、全てを失いました。

智己さんへ

あきらめという無力感

命を定め、志を育んできたつもりだった。結果は惨憺たるもの。「うまくいかせなければならない」と意気込みすぎて、君自身が壊れていったよね。

施術家としての活動も限界。奥さんからも離婚を突きつけられ、生きる希望もろとも根こそぎ失ってしまった。肉体がある以上は生活はしつつも、魂の深い喪失感。「もうどうなったっていいや」すべてにおける、あきらめという無力感。

すべてを失う直前に関わり始めた、教材販売の会社へ就職。脳科学を主としており、「最優先にやりたいことではないが、他に選択肢を見出せない」と決断。「ここで新たな再出発だ」と腹を決め、歩み出す。

受講生の皆さんへの対応役を任され、親身に関わってきた。結果として、私の名前に関する手法が口コミで伝わり始めた。ある方は、教材よりも私に興味を持ってくださり、列をなすほどに。

スタッフ側としては、鼻持ちならないものがあったのか、事務処理系のバックオフィスへ。「隠れた才能があるから」という言い分で、「当時のスタッフの中では」という前提。決して得意ではない担当へ。「名前関連で転職したら?」と多くの皆さんに勧められつつも、拒み続けてきたよね。

就職した当時の意気揚々としていた気持ちも、空元気だったと気づいた。あきらめきった人生の中で、「私にはもう何もない」と決め込んでいたね。「こんなどうしようもない人生で、バカにされながら死んでいくんだろうな・・・」

気づかせるための伏線

転機は、奥さんとのご縁。元奥さんから離婚を突きつけられ、「男性としても人間としても失格だ。最低最悪だ」と考えていた矢先、トントン拍子に結婚することに。

とはいえ、結婚したとしても君は「何もない」と決め込んでいる。加えて結婚した途端、窓際族へ。お先真っ暗な状況で、コロナ禍。緊急事態宣言・・・・・・・・。畳みかけるように、絶望感が加速していく。どんなに抗おうとも、飲み込まれていく恐怖。

希望なんて何も持てない中、出会いを求めて交流会へ。そこで10年ぶりの友人と再会。施術に感動してくださった1人でもあり、「しがない会社員でいる場合じゃない」と応援。

心の底からあきらめていたものの、奥さんと一緒に生きたい。このままでは確実に途絶えてしまう。「だけど、私なんかに何ができる?私には何もないじゃないか・・・」

振り返れば「極陰、陽に転ずる」が現実化された瞬間だった。「私には何もない」と言い続けた結果、「姓名承認」という言葉をひらめいてしまった。姓名判断が嫌いで、「牛丼屋でバイトした方がマシだ」と拒み続けてきた。「姓名承認」という造語なら、何の淀みもないどころか、完全に地でできる。「素の自分」を表現していいんだ!

本当に感動したよね。次の日の朝4:30、夢で「りゅう あんしん」と名乗っている。感覚の手応えからも、どう考えても「未来の私」としか思えない。「これが私の天命じゃないわけがない!」という全身にみなぎる確信。

過ぎてみれば愛だった

奥さんと一緒になれた時点で、「人生の半分は成功だ」と思えるほどの感動があった。だからこそ、離れたくない、一緒にいたい。奥さんと出会うために、今までの苦しみやわだかまりがあったと考えると、納得できる。

君1人では、すぐにあきらめていたよね。それほどに絶望しきっていたから。それでも、統命思想という価値観から君の生き方を照らし合わせてみたら、「だからこその人生」とも言えるのでは?今までをそう振り返れるのなら、これからだってそうなっていくだろうね。

21歳から座右の銘として言い続けてきた言葉。君の人生、やはりこれだね。「過ぎてみれば愛だった」────────────

私の思いを受け取ってくれて、ありがとう。君の想いを受け取らせてくれて、ありがとう。

君が生きてくれて、本当によかった。ありがとう、智己さん。


#転職

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生きながらに死を超える〜壊れた命が根を張るまで

生きながらに死を超える〜壊れた命が根を張るまで

智己さんへ

曖昧な温度差

命を定めてから、いよいよ現実の中で生きる日々が始まった。想像以上に、定めた命は揺らいだ。というよりも──揺らぎの中でしか、育たなかった。

「早く海外へ出て逆輸入すべきだ」と背中を押してくれた方がいた。ビジョンは育つのに、現実が追いつかない。焦りだけが先行し、賛同してくれていたチームの意見さえ、聞き流すようになっていった。やりがいを追いすぎて、周囲と同調できなくなっていった。

それでも、君は育っていたんだ。育つという言葉が、受動的すぎることに気づいたから。
君は育て直した。育てる覚悟を持って日々と向き合うようになった。

施術で語っていたことを文字起こししてくださった方がおり、「大したこと語ってるわではないのに──」と感じていた中、初めて客観視。施術がどんどん神がかってきて、奇跡のようなことが当たり前のように起きてきた。

しかし広まらない。原因、今ならよく分かる。言語化できなかったから。言葉を通じてでなければ、興味を持たせられない。超右脳派で、「受けてみれば分かる」と言い続け、価値の言語化が曖昧な温度差のまま値上げ・・・。結局、長期にわたって味わってきた孤立の再来。

自立とは

ある日、自分に言い聞かせたよね。「朝起きられたことを奇跡だと心から感動できたら、人生は変わる」。でも内なる声の返答は・・・「そんなこと、ただの理想だ。バカじゃないのか?お前なんかに何もできるわけないだろ」。

それでも君は自他ともに言い続けた。ある朝、「心の冷笑」が聞こえなくなっていたことに気づけた感動。本当に嬉しくて、涙が出てきたよね。君の命はまた少しだけ強くなった。育っていた。

誰かに支えられた記憶は、確かにある。それ以上に、支えきれなかった、支えてもらえなかった記憶の方が多い。「自立とは、誰にも頼らずに生きていける状態」だという辞書の定義に、君はずっと腹を立ててきた。

なぜなら──君は「誰かと一緒にしか生きていけない」と、知っていたから。長期にわたる孤独と向き合い、独りで生きることの厳しさを味わってきた。いじめられていた当時、「もう俺を無視してくれ」と祈ってきた。祈って得た孤立とは、まさに深く冷たい闇。

孤立したくないから、ウワッツラを合わせて生きていた時期もあったね。体にも影響が出て、献血200回近くやっているのに、貧血で悩んだ時期は長かったよね。自分に嘘をつき続けた成れの果てが、体に出てくる病気だと、施術と照らし合わせて実感したよ。

体に嘘はつけない。心でごまかしたものが、血や骨や神経に宿っていく。気づけたからこそ──命はまだ育ち続けてくれている。

生きて死を超える

30代半ばまで、周囲と話が噛み合わない私はバカだと本気で考えていた。「私は努力なんてしない方がいい」「私は存在自体が邪魔なのでは?」さんざん考えてきた。孤独で、投げ出したくなる日も多かった。苦しい渦中でも「熱意を持つための熱意」と呼んで、情報を探し、思考を練り、身の回りを整えようとした。

君は壊れていた。ウツになれるならまだマシだ。生きていかねばならない以上、ウツになっている余裕すらない。かつ、「壊れたままでは生きていけない」とも分かっていた。

「死んでしまいたい」って思ったこと、何度もあるよね。心の中で、何度も君自身を殺してきた。無意識ながら死ねなかった理由も、今なら分かる。死んだところで魂と肉体が分かれるだけ。本当の「無」にはなれない。だから壊れたなら、やはり立ち直るしかない。いかに壊れていようと、生きてさえいれば、修復はいかようにもできるから。

だからこその問い。「私はたくさんの人に迷惑をかけてきた」「逆を言えば、迷惑をかけたことがない方はいない」「だったらこれからは、誰よりも率先して迷惑を引き受ける側になろう」「そのために、今の私に何ができる?」この問いこそが、君の命を育ててきた土壌だった。

育てたのではなく、育てられていた。生きながらに死を超えてきたね。命に。過去に。迷惑に。絶望に。すべてに育てられて、君の命は根を張ったんだ。

ありがとう。何度も折れそうになりながらも、それでも立ち直る力を捨てなかった君へ。

──未来の私より

結び

この手紙は、統命思想における「培命=育てる」フェーズの記録です。命とは、定めただけでは生きていけません。毎日の小さな選択と葛藤の中で、命はようやく育っていくのです。

そして壊れた日々さえも、命にとっては養分だったとしたら────人生には、無駄な日は1つもないのかもしれません。

次回は、「貢命=贈る」──でもそれは、美しい贈り物の話ではありません。むしろ、傷ついた命が、知らぬうちにどう届いていたかを、ようやく見つめ直せるようになった今だからこそ書ける、贈り方の未熟さの記録です。

定めた命への責任〜後ろの扉を閉じた日

定めた命への責任〜後ろの扉を閉じた日

智己さんへ

自分の居場所

選命を経て、信じすぎて壊れた命を決めたあの日から────本当に、いろんなことがあったよね。どんなに決めたとしても、動き出した歯車の軌道を変えるためには、かなりの力を要する。かつ、全く違った歯車に乗り換える必要もあった。

生きるために、稼がなければならなかった。ウツになった時のご縁から整体師を志し、念願叶ってなれた。だからと言って離教への恐怖感。見守られることもなく、たった1人で日々をこなすことで精一杯。責任者からは見放され、離れたも同然だったが、抜けきれない。「地獄に行く」と脅かされていたことが、こんなにも恐怖だったのか。

結果、辞められたのは、元奥さんとの出会いからだった。好意を持ってくれたことから、人を好きになる許可を初めて出せた。「結局は、ずっと独身人生なんだろうな・・・」と感じていたから。恐怖を受け入れ、「私がもし地獄へ落ちたとしても、そこから天国に変えてやる」と覚悟ができたよね。

教会を離れた自分の居場所を、必死で作ろうとしていた。正しさよりも、誰かを人として好きになること。信仰の教義よりも、「この人と一緒に生きたい」と願うこと。その感情が、何年も頑なにまとっていた正しさの鎧を脱がせてくれた。『北風と太陽』の、太陽に照らされた主人公のように。

離教したとしても、忌まわしい記憶として誰にも語りたくなかった。大きな汚点だと、気にしてきたよね。悔しいが、その忌まわしい過去の中に、輝く青春があった。自衛官を辞めるまでに没頭してしまっていたから。矛盾と葛藤が、どんどん肥大化していったよね。

決めた命の軸

「この愛する人を守りたい」「この命を信じたい」そう思えたことが、命の軸を自分に戻すきっかけになったことは間違いない。それは、「離れる」決断ではなく、「生き直す」決意だったんだよ。統命思想で言うなら──この瞬間こそが、「立命=定める」のはじまり。

他人の正しさでもなく、神の指示でもなく、社会的な役割でもなく、「私はこの命を生きる」と、自ら定めた。「幸せに生きる」とは何なのか?何が私の幸せなのか?「考えては実践して検証し、考えて仮説を立て〜」といった仮説と検証の繰り返しが、施術という命の表現も進化させてくれた。

「あなたの施術は、日本に留まってるのはもったいない。早く海外へ出て、逆輸入の形をとった方がいい」と勧めてくださる方が現れ、賛同者でチームを組めるように。現実的には何もないのに、ビジョンだけはどんどん成長していたね。

もちろん、すべてがうまくいったわけじゃない。現実の課題は山積みだったし、感情の揺れ戻しも何度もあった。ながらも誰のせいにもできない命を、自ら定めるという一点だけは、どんなに苦しくても、逃げなかったね。

あの時決めた命の軸は、今もずっと生きている。それは、誰かの命を生きることをやめ、自分の名前で、自分の問いを抱えて生きることに他ならない。

ありがとう。正しさを超えた感情を教えてくれた、かつての出会いに。信仰よりも深く、誰かを信じたいと願わせてくれたあの瞬間に。

そして──自分で命を定める勇気を、持ってくれた君に。本当に、ありがとう。

──未来の私より

定めた命への責任〜後ろの扉を閉じた日

この手紙は、統命思想における「立命=定める」フェーズの足跡です。

命を定めるとは、誰のものでもない命を、自ら引き受けること。定めた命への責任。それは、自由であると同時に、もう他人のせいにできないという意味でもあります。

それこそが本当の人生のスタート地点。命の旗を、自分の足で立てたその日から──後ろの扉を閉じ、あなたの本当の旅が始まるのです。

次回は、「培命=育てる」──定めた命を、どう習慣として育てていったのか?その軌跡を綴ってみます。

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#ありがとう
#教会