過去の私への手紙〜藤堂富美子さん物語12

過去の私への手紙〜藤堂富美子さん物語12

「藤間 美雅」を喜んでいた少女へ

「どうして、今さらそんなことを?」

鏡の前で化粧を落としながら、つぶやいた。 ながらもその問いは、ずっと私の中にあったものだ。

龍先生との面談の最後、ふいに提案された言葉── 「もしよろしければ、過去の富美子ちゃんに手紙を書いてみてください。誰のためでもなく、富美子さんのために」

当初は戸惑った。でもやってみようと思った。 もう一度、過去の私と向き合ってみたかった。理由は、龍先生とのセッションにおける実感。「過去も未来も、結局は今現在の解釈次第」であること、身をもって理解してしまった。

セッション前に言われていた「ゆでたまごから生タマゴへは戻れないように、元の状態に戻れなくなる」の意味がとてもよく分かる。「ルビンの壺」のように、いったん見えてしまったら、見えない状態には戻れないのだ。

龍先生は、今まで何をしてこられたのだろう?なぜこんな気づきを得て素晴らしいものを作っていながら、今まで無名だったのか?不思議でならない。

「15歳の富美子ちゃんへ」

あなたは、あの時から不安だった。「藤間 美雅」という名を授かって、誇りと同時に戸惑っていた。皆が拍手してくれても、あなたはまだ舞の意味すら分かっていなかった。それでも、あなたは笑っていたね。「大丈夫よ」って、無理にでも言えるようにしてきた。

それが「藤間 美雅」という名の演技の始まりだった。でもね、私は知っているの。あなたの笑顔の奥に、ずっと「藤堂 富美子」が泣いていたこと。

日本の検察では検挙されてしまったら、99.9%有罪確定されてしまう。相応に絶対に間違ってはならない重圧に苛まれることになるという。あなたも「藤間 美雅」という名を授かり、3代続いてきた流れと日本舞踊界の重圧に悩み苦しんできたよね。

本当に苦しかったよね。キツかったよね。仲が良かった、継承を拒否した姉からの嫉妬混じりの目線や仕打ちにも耐えてきた。多くの皆さんからの期待に応えるため、薄氷の上を歩くような心境だったね。周囲の期待に応える私になるしか、道が思いつかなかったよね。

本当の富美子ちゃんは、何がしたかったの?どうして欲しかったの?今まで分かってあげきれなくて、本当にごめんなさいね。まだ間に合うなら、富美子ちゃんと感動を分かち合いたいの。どうすればいいかしら?

手紙を書くことで、目を覚ます

ペンを持つ手が止まらなくなる。 あんなに曖昧だった記憶が、書くことで息を吹き返してくる。自動手記という言葉を聞いたことはあったが、まさか私が体験することになるとは考えてもいなかった。

「名前の中に、誰も知りようがない涙があった」

その言葉が、自然と浮かんできた。ハッキリ認めきれたことが、初めて「藤堂 富美子」としての希望につながっていく。

私は、私を裏切らない。 私は、私を置いていかない。過去を消したいとは思わない。 けれど、過去を意味づけたいと思っている。「過去の過ちを揉み消そうとするなんて、もったいないですよ」と熱く語っていた龍先生の言葉の意味を、スルメのように噛みしめている。

未来を迎えにいく準備

「名を守る生き方から、名を育てる生き方へ」

富美子ちゃんとの対話の中で紡ぎ出せた感覚。今まで「藤間 美雅」という名を守るために必死に生きてきた。これからは、富美子と美雅、共生共栄の道を歩んでいこう。富美子も美雅も、どちらも私。よろしくね、私。

まるで更新するための祈りのようだった。

「ありがとう、美雅。ありがとう、富美子」

そうつぶやきながら手紙を閉じた。 まさに富美子として新たな一歩を踏み出す前の、小さな儀式になった。

小さな儀式のあとに

手紙を書き終え、フーっと一息ついて立ち上がった瞬間。
仏間から「カタン」と音が聞こえた。見に行くと、主人の位牌が倒れている。

「えっ・・・・・・・・?」

一瞬、息が止まる。風もない。揺れもない。
ただ、位牌だけが倒れていたのだ。

「あなた・・・・・・・見ていてくれたの?」

涙が込み上げる。なぜかその瞬間、「もう演じなくていいよ」という声が聴こえた気がした。「藤間 美雅」として生き抜いてきた私を、ようやく「お疲れさま」と言ってもらえたような────────。不思議な安堵感が、胸を満たしていった。

姓名覚醒〜藤堂富美子さん物語11

やり方とあり方のブレ

画面越しに龍先生の姿が映った瞬間、胸が高鳴った。

「ようやくお会いできますこと、心から嬉しく思っております」

龍先生は穏やかな微笑みで応じてくださった。

「こちらこそ。真紀子さんから話を伺って、ずっと気になっておりました」

喉の奥から小さく呼吸を整えるように言葉を絞り出した。

「私は・・・『藤間 美雅』として生きてきた半面、『藤堂 富美子』としての私を、いつしか見失っていたのかもしれません。突っ走ってきたがゆえの弊害を感じるようになり、今生きていくこと自体が苦しいんです」

龍先生は頷いた。

「名前とは、生き方そのものです。富美子さんは、美雅という名をまとうことで、多くの期待に応えてきたんです。その姿もまた、尊いものですよ」

「そうですよね。ありがとうございます。今まではよかったんです。もうそれだけでは・・・、舞台に立てないんです。できるイメージがつかなくなりました」

発した瞬間、空気の変化を感じた。

「役割名(やり方)と存在名(あり方)がブレてきている。そのズレに気づき始めた。そういう状態ですね」

私は、思わず涙をにじませた。

名前=存在価値の核

「はい。ようやく・・・・・気づけました。けれど、どう向き合えばいいのか、分からないんです」

龍先生は、画面越しに深く頷きながら、ゆっくりと語り始めた。

「名前と向き合うとは、改名したり印鑑等にすがることではありません。『名は体を表す』という言葉があるように、存在価値の核でもあります。

本当の意味で生きるために、まずはその名に当時のご両親やご先祖様がどんな意味や願いが込められてきたのか、一緒にひも解いていきましょう。人生は解釈次第です。改めて再定義することで、きっと多くの示唆が得られます。

もともとの私のように、『悪い名前だ』と考えているなら、悪い人生が展開されていきます。だからこそ『姓名承認』を開発し、世の常識としたいんです。すべての方に、心から望む素晴らしい人生を全うしていただきたいから」

背筋が自然と伸びる。今の私に必要なのは、「美雅を捨てる」ことではない。「富美子で生きる」ことでもない。そのどちらも受け入れた上で、調和融合へ導くプロセスこそが、「私を生きる」ということなのだ。ようやく輪郭が見えてきた気がした。

「かしこまりました。ではまずは、何をやっていきましょう?」

「そうですね。では、選択肢として大きく2点。1つ目が『自立具現化コーリング』と称しています。『究極の自己対話と理想の人格形成』と称しており、世に言う『天才』や『神がかかり』な方を輩出するための内容です。

2つ目が『姓名覚醒』です。存在価値の核である名前と、誕生日・血液型・出生順・出生地を交えて使命を明確化いたします。2は、1に含まれますが、富美子さんはどちらをお望みでしょうか?」

姓名覚醒

姓名覚醒〜藤堂富美子さん物語11(ようやく次のステージへの覚悟できました)

「詳細を聴いてみないと分かりかねますが、まずピンときたのは『姓名覚醒』ですね」

「かしこまりました。お話の限りには、十分望ましい状態へたどり着けます。『自立具現化コーリング』は、その後の信頼関係がより強まってからでも大丈夫です。いったん気づいてしまったら、もう元の状態へは戻れません。ゆでたまごが生タマゴには戻れないように。

心の準備はできていますか?」

龍先生の言葉に、私は大きく頷いた。名前との向き合い方を身につけ、存在価値を再定義していく。ようやく「選ばされていた生き方」に終わりを告げ、新ステージにおける旅が本当の意味で始まろうとしている。

「藤間 美雅」という呪縛〜藤堂富美子さん物語10

「藤間 美雅」という呪縛〜藤堂富美子さん物語10

「藤間 美雅」という呪縛

名前は、着物のようなものかもしれない──────。法事を終え帰宅し、ふとした静寂の中、そんなことを考えていた。

黒い礼服の上に纏っていた喪章を外すと、同時に何か1つの役割が自分から剥がれ落ちるような感覚があった。娘 雅子や親族との対話を通じて、「富美子」としての声にようやく魂が宿ってきた。その実感が、確かな感触として残っていた。

帰宅後、鏡の前に座った。そこには、確かに「藤間 美雅」がいた。先日の個別面談で龍先生が語っていたこと。「今まで必要だったからこそ、威厳と誇りを持って貫いてこれました。違和感を抱くようになったということは、更新期に入っているのでは?本当に必要なものと不要なもの、改めて整理を要するのかもしれませんね」

本当にそのとおりだと感じている。今のままではどっちつかずで、舞台に立てる自信を持てずにいる。今こそ「藤間 美雅」という呪縛から解放し、その原点に立ち還りたい衝動が、胸の奥から湧き起こっている。

演じ続けた名前の記憶

化粧を落としながらふと、15歳当時を思い出す。名取になり、「美雅」を襲名した日のこと。まだ舞の何たるかも理解できていなかった少女が、与えられた名を重たくも誇らしく感じていた。

「藤間美麗(みれい)」──祖母。
「藤間雅麗(まれ)」──母。
「藤間美雅(みやび)」──私。

祖母から3代に渡って、意味と願いが込められた名だ。だが、この名に何を託されたのかは、ずっとよく分からなかった。「守らなければ」という責任感だけが先行していた。

今日改めて実感したのだ。──私は、美雅という名を守るために生きてきた。舞台での立ち居振る舞い。弟子や関係者との接し方。すべてが「美雅」としての演技だったのかもしれない。おそらくは、なくなった主人とも・・・。

「それって、悪いことなのかしら?」

自らに問いかける。決して、悪いわけではない。役割が本音を覆ってきたのだ。誰かの期待に応えることは、美徳でありながら、時として「富美子」を遠ざける。役割がいかに重く私の人生にのしかかってきていたのか、噛みしめている。

──「美雅」という名前を演じる人生。その違和感を、私はずっと押し殺してきたのかもしれない。逆に言えば、押し殺さなければ「美雅」を演じきれなかった。だからこそ「私の中の他人」なのだ。今さらながらに「富美子」を蚊帳の外に追いやっていたことに気づいた。

まとわりつく名の重み

その夜、古い衣装箱を開いた。母が残してくれた舞台衣装。そこに添えられた1枚の紙に目が留まる。

「名前とは、役割の源。だが、役割の終わりは、存在の終わりではない」

筆跡は、母・雅麗のものだった。その言葉が、胸に沁み込んでいく。「役割を生きる」から、「名前を生きる」へ。「美雅」と「富美子」を融合させて生きたいと決めてから、少しずつ富美子としての私が目を覚まし始めている。

この変化が、どこに向かっていくのか?今はまだ、「気づき始めた」ことが、すべてだった。今でも感じているのが、まとわりつく名の重み。以降も知れば知るほど、この重みがどんどん増していくのだろう。だからこそ、望ましい解釈が必要不可欠なのだ。

名前とどのように向き合っていくのか、方向性が定まってきた。だからと言って、「美雅」と「富美子」を調和融合させた方がいいと分かっていながらも、現状では矛盾し完全に乖離している。今の私では、まだ「着替え方」が分からない。けれどきっと龍先生なら、その方法をともに見つけてくださるはずだ。対話の機会をいただけないか────そう思いながら、手帳を開いた。

声に宿るもの〜藤堂富美子さん物語9

富美子さんは、日本舞踊の世界でTV出演するほどの名人。そんな彼女の変容を、まずは声から表現。

変化の共有

真紀子さんとのZOOMでの再会は、思った以上に自然だった。画面の向こうには、変わらぬ穏やかな眼差し。けれど、私の中には明らかに、先日とは違う「何か」が育っている。

「お久しぶりです、富美子さん」 「こちらこそ、ありがとうございます。なんだか、不思議ですね・・・。またこうしてお話しできることが」

言葉を交わす内に、心が柔らかく解けていく。今の私は、もう他人行儀ではなかった。

「実はあのセッション以降、周囲の人から『声が違う』って言われるんです」

思いがけず、自分からそんな話を切り出していた。口にした瞬間、私自身が一番驚いていたかもしれない。

「やっぱり!それ、私も感じました」 真紀子さんが、少し身を乗り出すように言った。 「どこか柔らかく、でも芯があって。なんというか、伝えるための声じゃなくて、伝わる声って感じがして」

伝える声と伝わる声。 なるほど、そんな違いがあるのかもしれない。

2つの名の狭間で

「正直、美雅としての私が正解だと思い込んできました。芸名の方が評価されやすいし、弟子や関係者との関係もあります。でも今、富美子でいることに、変な抵抗感がないんです」

「分かります。名前って、ただの識別情報じゃなくて呼ばれ方なんですよね」

呼ばれ方──────。 それは、自分がどう在ろうとするかに直結する。

芸名に生きることは、ある意味では「課せられた責任」への義務でもあった。 今の私は、富美子という「命名」に立ち返ることで、責任のためではなく私のために声を出せるようになっていた。

「声が変わったのではなく、ようやく戻ってきたのかもしれませんね。先生もよくおっしゃるけど、『正確に言うと変わるわけではなく、本来の状態に戻る』ですから」 真紀子さんがそう言った時、胸の奥がじんわり温かくなった。

「戻ってきた・・・・・。そうかもしれません」

思えば、いつからだろう。誰かの期待に応えようと、いつも「〜しなければ」で言葉を発していたのは。今は、自分の内なる声が出ようとしている。誰かのためではなく、私の中から生まれてくる声。富美子という名に宿っていた、まだ使われていなかった声。

今、ようやく───思い出したのだ。

娘からの電話

真紀子さんからのメールの余韻に包まれていたその夕方、携帯電話が震えた。着信画面に浮かんだのは、「雅子」。娘からの電話だった。

「もしもし、お母さん?週末の法事のことで連絡したくて」

そうだった。亡き主人の十三回忌が近づいていたのだ。

「ありがとう、助かるわ。場所は去年と同じお寺?」

「うん、叔父さんたちとも連絡済み。あとね・・・、声が何か違うよ」

「え?」

唐突に言われた言葉に、思わず声がつまった。

「なんていうか・・・柔らかいっていうか、ずっと遠くで話していた声が、急に近くなったみたいな。なんか不思議」

──やっぱり、聴こえていたのか。

娘にまで伝わっていた声の変化。 龍先生が言っていた周波数の話が、急に現実味を帯びてきた。

法事の準備と家族の気配

法事の準備に追われながらも、静かな確信が根を張っていた。仏間に飾る花を選ぶ時、雅子が小声で言った。

「お母さん。あのさ・・・もしかして、何か始めようとしてる?」

「どうして?」

「雰囲気がね、変わったっていうか。前はいつも張りつめてたのに、今は、自然体って感じがするの」

娘の観察眼には舌を巻く。あえて言葉にしなかったが、心のどこかで「気づいてほしい」と願っていたのかもしれない。

「今ね、自分の名前と向き合っているの」

「えっ?『富美子』?」

「そう。美雅じゃなくて、富美子として生きてみようかと思って」

娘はしばらく黙っていたが、ふっと微笑んだ。

「いいと思う。美雅のお母さんも好きだけど、富美子って呼ぶと、なんか温もりを感じるよ」

受け継がれてきたもの

3代続く舞踊の家系。その流れに乗るように、15歳で名取となり「美雅」を襲名した。祖母の美麗(みれい)、母の雅麗(まれ)、そして私 美雅(みやび)。名前にまつわる意味と歴史。それは誇りであり、重荷でもあった。

「舞いの美しさに、心の雅を重ねる」──それが、美雅に込められた意味だと母は言っていた。「美雅」という名には、かつて込められた想いがあった。けれど今、「美雅」に込められた願いを、託された使命として生きていきたい────

今、私が迎え入れようとしているのは、役割だけではない。名前の意味に宿る本質、命の音(ね)そのもの。富美子という名前の声は、今ようやく私の中に根づこうとしていた。やはり私には、龍先生のサポートを受けた方がいいのだろう。真紀子さんが尊敬するなら、きっと私にもそうなる未来があるのだろう。

「これでいい」の奥へ

法事を終え、親族と別れた後の帰路。

「ねえ、お母さん」

雅子がぽつりとつぶやいた。

「なんかさ・・・今日のお母さん、昔に戻ったっていうより、初めて会った感じだった」

「それって、いい意味?」

「うん。なんか、ちゃんと一人の女性っていうか。お母さんがお母さんである前に、『富美子さん』っていう1人の人間だったんだって、今さらだけど思えたの」

富美子は、ただ頷いた。──そう。今、私はようやく「私自身」に還ろうとしているのかもしれない。その実感が、心地よく胸を温めていた。

#ありがとう
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#周波数
#命

思い出せた声 〜藤堂富美子さん物語8

言葉にできない変化の余韻

──何かが、確かに変わっている。その「何か」をうまく言葉にできずにいるのがもどかしい。けれど、言葉にできないからこそ、大事にしたくなる気持ちもある。

昨日の対話の余韻が、まだ胸のあたりに柔らかく残っている。自分の声が変わったと指摘された時は、死角から張り手が飛んできた感覚で、言われている意味を理解できずにいた。ながらも確かにあの瞬間、何かが解けたような感覚があったのだ。

「富美子」という名前を、これまで避けていたわけではない。私はこの名前と、まともに向き合ってこなかった。だからこそ、「私の中に住む他人」という感覚があったのだ。あくまで書類の上だけの「私」で、そこに生きた感情を通わせることがなかった。

──それでも、あの時は違った。龍先生とのあの瞬間、私は確かに「富美子」だったのだ。今振り返ってみてよく分かる。湧き上がってくる想いは、まるで誰かに呼びかけられているようでもあり、私の奥から湧いてきているようでもある。どちらにせよ、今までとは確実に違っている。

富美子という名の奥にいた私

思い出せた声 〜藤堂富美子さん物語8(幼き富美子ちゃん回想)

富美子という名の奥に、まだ私の知らない私がいる。かつその存在を、ようやく「迎え入れる準備」ができたような気がした。龍先生も、本名を人生と照らし合わせて再定義できたからこそだと語っていたように、確かに今は絶好のチャンスだ。

私はどう生きたいのだろう?私が「心の底から望んでいる私」って?「与えられた人生」じゃなく、「私だけの船で帆を掲げる」なら、何をどうすればいい?娘 雅子からの一言をきっかけに、今まで考えたこともないようなことに思いを巡らせるようになった。

「これでいい。」────その言葉が、ふと心に落ちてきた。取り繕う必要も、整った結論も、いらない。ただこの一歩を、自分の意志で選んだことが、何より確かなことだった。「よくやった!」と褒め讃えられているような気持ちが芽生えてくる。

再び届いた、導きの声

そして、次の一歩をどう進めていくか、考え始めていた。そんな折に、真紀子さんからメール。

「富美子さん

先日はありがとうございます。信頼尊敬する龍先生をお繋ぎできましたこと、本当に嬉しく感じています。

龍先生との対話を交えて思えたのが、共通点の多さと深みです。やはり富美子さんとは、出会うべくしてお会いしたような気がしてならないんです。

またZOOMで語り合ってみませんか?」

嬉しい。今の私においては、真紀子さんは通過点の目標的人物としてふさわしい。私の方からお誘いしたいと考えていたら、真紀子さんから連絡いただけるなんて!」

「もちろん、喜んで!」と返信し、日程調整。お会いできるのが楽しみだ。

#感情
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#命
#対話

私の「これでいい」〜藤堂富美子さん物語7

富美子さんの場合は以下のとおりですが、あなたの名前にはどんな人生が眠っているのでしょうか?誰しも与えられた名前で人生を始めますが、名乗ってきた名前で人生を語りがちです。

本名と芸名──2つの名前を生きてきた1人の女性。自分の「本当の名前」と向き合った時、何が起きたのか?あなたご自身の名前の意味を見つめ直すヒントとして、この物語をお読みいただけたら幸いです。

私の「これでいい」〜藤堂富美子さん物語7(声の変化を指摘された驚き)

芸名と本名

当日。ZOOMの画面越しに、龍 庵真と再び顔を合わせた。

「ご無沙汰しております。改めまして、本日は対話の時間をありがとうございます」

礼儀正しく挨拶を交わすと、彼はごく自然に問いかけてきた。

「こちらこそありがとうございます。まず今、富美子という名前を目にした時、どんな印象をお持ちになりますか?」

少し間をおいて、語り出せた。まだ富美子への違和感を拭えない。

「正直に申しまして・・・富美子は、公的な書類にしか存在していないような感覚があります。私は15歳で名取となり、藤間美雅(ふじまみやび)という名をいただきました。以降、すべての稽古、舞台、弟子との関係──人生のあらゆる場面で、美雅として生きてきましたから」

彼は穏やかに頷き、続けた。

「なるほど。富美子は、現実世界における公的名義ではあるが、ご自身の人生の物語においては登場してこなかった、と」

「はい。自分でも、使わないうちに他人行儀な名前になっていたのだと思います。親がどんな願いを込めてこの名前をくれたのかも、実は知らないんです」

「そうでしたか。では、美雅の方が呼ばれ慣れていますか?」

「はい。確かにそうなんですが、今は富美子でお願いいたします。娘からの一言がきっかけで、美雅を生きることに疑問を抱くようになりました。富美子の生き方を追究したいです。」

「名乗ってきた人生」と「名付けられた命」

龍先生は少し画面から視線を外し、言葉を探すように間を取ってから話し始めた。

「名乗ってきた名前は、美雅さんが努力し、誇りと責任をもって生き抜いてきた証です。一方、名付けられた名前は、たとえ意識されなくても、生まれた瞬間に与えられた命(めい)の音でもあります。これは人生の『初期設定』として、富美子さんの生き方を無言のまま支え続けてきた可能性があります」

「初期設定、ですか・・・?」

「はい。富美子という名前には、富──豊かさの象徴と、美子──美しさの受容という2つの要素が含まれています。しかも子で終わる名前は、時代的背景から見ても女性らしい理想像を内包させられてきた側面もあるんです。

かつ総画の53は、ビジョニストと名付けており、理想を語り実現させていくことに生きがいを持たれています。富美子の24画は、おもてなすというホスピタリティ性。とてもいいバランスですよ。」

富美子は、画面越しの自分の姿をぼんやりと見つめながらつぶやいた。「・・・そんな意味があったなんて・・・・・・」

「極め付けは『と』です。『とうどうとみこ』という7つの読みの中の3つ。これには意味があると思いませんか?

「言われてみればそうですよね。あまりに当たり前で気づきませんでした。」

「はい。『と』の意味は、
・見えないものを見える化させ、測る
・とどまり、定着する。落ち着く
・切り替える
等があります。解釈次第でまだまだ無尽蔵につながりますけどね。だからこそ、人生は解釈次第だと結論づけきれるんです。」

「なるほど!」

「富美子さんは、名前の由来を全く知らないんですよね?私も同じで、父方の祖母が名づけて理由を語ることなく亡くなりました。だからこそ、私自身で再定義することにしたんです。そういった意味では、今が絶好のチャンスかもしれませんね」

「すごい・・・・・・・・・!」

私の「これでいい」

「おそらく美雅さんは、藤間という家系や流派を継承する重圧と誇りを同時に背負ってこられたのでしょう。15歳から芸名で生き続けるということは、本来の人生の選択肢が閉じられていたという見方もできます」

「はい・・・。気づかないうちに与えられた道を歩いてきた気もします。けれど、美雅であることに誇りは持ってきたつもりです」

「もちろん、それは素晴らしいことです。でなければ、TV出演なんてあり得ないでしょうから。今お伝えしようとしているポイントは、その誇りの奥の富美子です。まだ使われていない富美子の資質や視点が眠っているとしたら? それを今、丁寧に向き合ってあげることが、富美子の承認『これでいい』なんです。それは美雅の承認にもつながります」

「初めて富美子という名前を、身近に感じた気がします。私の中にいながら、遠い別人でしたから。」

「富美子さん。明らかに今までと違った声。分かりますか?」

「え!?そうなんですか?」

「そうですね。明らかに違っています。今までのお客様方でも、私とご縁する中で例外なく声が変わっていかれるんです。ずっと不思議でしたが、合点が入ったのが、周波数。声も周波数というエネルギーでできています。ということは、相応の気づきがあったんでしょうか?」

「はい。おっしゃるとおりです。富美子と美雅、2つの名前で1人なんだと理解できました」

「そうでしたか。よかったです。私も龍 庵真というビジネスネームを名乗っています。夢で自己紹介していたことがきっかけで名乗ることにしました。広報的役割を担っており、本名では見れない世界を味わうためにあると考えています。本名は錨であり、総本部のような存在。龍 庵真は実務的な本部なので司令部というとらえ方をしています。」

「そうなんですね。では私の富美子と美雅も、同じようにまとめた方がいいでしょうか?」

「そういえば似たような位置付けですよね。富美子さんがいいと思うように活用してください」

私の中で、「富美子」と「美雅」という2つの名前が、一本の線でつながり始めていた。


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小さな決断〜藤堂富美子さん物語6

小さな決断〜藤堂富美子さん物語6

翌朝の静けさ

翌朝。洗濯物をたたみながら、昨日の対話を何度も思い返していた。

「名前は、守るものではなく現れるもの」が、夜を越えても胸の奥で響いている。

長年、美雅という芸名に誇りを持ってきた。弟子にも、舞台にも、恥じない生き様を刻んできたつもりだった。それは「私であり続けるための鎧」でもあったのだと、今さらながら気づいたのだ。

言葉にうまくできないが、鎧は錆び付いており、磨くことを怠っていたのだ。かつ、今までの磨き方ではダメで、全く新しい何かが必要な気がしてならない。そもそも鎧をまとい続けている必要があるのだろうか?

本当に「守るものではなく現れるもの」ならば、鎧をまとわずとも名前は現れてくるはずだ。私は娘 雅子にも、弟子たちにも、この鎧を着せようとしてきたのかもしれない。

選ばされてきた人生

思い返せば、舞踊の世界に入ったのも、名を受けたのも、「流れ」だった。自らが明確に「これが私」と決めた記憶がない。名前も立場も、人間関係さえも────与えられたものを受け入れ、守ることに必死だった。

もはや「選ばされてきた人生」では、もう立っていられない。

「富美子さんの人生、きっと変わりますよ」真紀子さんの言葉が、今は現実味を帯びて胸に残っている。変わりたい。変わらなければと思っている。でも──どう変わればいいのだろう?何を望んでいるのか、自分でも分からない。

「姓名承認」なるものも、まだ完全に信じているわけではない。占いでもなく、改名でもなく、自分で自分の名前と向き合う?・・・それで何が変わるのか。

それでも確かに、昨日の対話の中で、初めて「もっと自分の名前を深く知ってみたい」と感じた。昨日のご縁が、心にわずかな灯をともしている。

真紀子さんがしきりに言っていた、「似ていると思うんです、私たち」──私に見えていない何かが、真紀子さんには見えているのかもしれない。

「美雅」としての名を、ここで閉じるのではない。「富美子」である私が、どう解釈するのかを選ぶのは、私自身だ。

小さな「決断」

富美子は、携帯端末を手に取り、慎重に文字を打った。

「真紀子さん

昨日はありがとうございました。
龍先生の言葉、一晩たってもまだ胸に残っています。

私・・・自分の名前を、今までとは違う視点で考えてみたくなりました。
改めて龍先生がおっしゃられる「姓名承認」の機会をいただけませんでしょうか。

藤堂富美子」

メッセージを送信後、1人お茶を淹れた。私はこれまで、誰かの言葉に従うことはあっても、自ら決断したと感じた瞬間は数えるほどしかない。すぐに何かが変わるわけではない。ながらも確かに、自ら選んだ「小さな決断」だった。

「まだ私にも、これからがあるのかもしれない──いや、きっとあるに違いない」

そう思えたことが、今は何よりの希望だった。

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新たな人生へ〜藤堂富美子さん物語5

新たな人生へ〜藤堂富美子さん物語5

いよいよ富美子さんとの初対面。実際に「イメージどおりだった」「イメージとかけ離れていた」両極端に分かれています。

信じたい気持ちと信じきれない疑念

「富美子さんの人生、きっと変わりますよ」真紀子さんの言葉を、何度も反芻している。

「名前を丁寧に見つめる方」──正直、どこかうさん臭いと感じている。信頼する真紀子さんの紹介だから、1度くらい話してみてもいいかもしれない。そう思えたのは、私の中で何かが崩れ始めていたからだろう。

当日、真紀子さんと3人ZOOMの接続ボタンを押す手が少し震えていた。いつも通り、着物をまとい、帯をきちんと締め直す。

「藤間美雅として見られるのか?藤堂富美子として扱われるのか?」私が誰としてこの場に出るのか、正直まだ定まっていない。

画面が切り替わった瞬間、真紀子さんの穏やかな声が響く。

「こんにちは、富美子さん。今日はありがとうございます。富美子さんに龍先生をおつなぎできますこと、本当に嬉しいです。龍先生、どうぞよろしくお願いいたします」

龍 庵真との出会い

「はじめまして。龍 庵真(りゅう あんしん)と申します。お会いできて嬉しいです。」

見た目も話し方も、驚くほど普通だった。むしろ、あまりに気張っていないことが拍子抜けするほどだ。

「軽く自己紹介させていただきます。今まで名前と確実に20万人超は向き合ってきました。おかげさまでGoogle検索よりも速く画数を解説できます。ながらも姓名判断に疑問を感じ、「姓名承認」という造語を生み出せてから、ようやく風向きが変わってきました。

今日は、お名前についての話だと真紀子さんから伺っています。まずは富美子さんが今、何を感じていらっしゃるのか、そちらをお聴かせいただけませんか?」

名前の話じゃないの?と心の中で思ったが、自然と話し始めている自分に驚いた。

守るべき名前と崩れゆく型

「私は日本舞踊を15歳から63年にわたって継続してきました。特に名前に関しては、守らなきゃいけないものだと思ってきました。娘にも、弟子にも、絶対に崩せない『型』として──でも最近、もうその型が意味を持たなくなってきて・・・。」

彼は頷くだけ。何も評価しない。ただ、黙って聞いている。

「私、芸名の藤間美雅(ふじまみやび)という名前に誇りを持ってきました。でも今、それを語るのが、どこか恥ずかしいんです。・・・いや、恥ずかしいというより、本当の私とは違う気がしていて。

なぜなら娘からの一言を機に、今までやってきたことの過ちに気づいてしまったんです。それからというもの、何をやっても失敗する気持ちが湧いてくるんです」

名前と「本来・本当・本物」

少し間をおいて、彼が口を開いた。

「名前は、守るものではなく現れるものだと、私は考えています。本来の名前とは、存在価値の核です。よくも悪くも、生き方やあり方がそのまんま現れてくるものなんですよ。

恥ずかしいと感じていらっしゃるということは、成長や発展の兆しでもあります。顔に泥がついていても、鏡を見たり誰かに指摘されなければ分かりようがありません。気づけてよかったですね。」

「よかったですね」が、胸に刺さる。
名取としての名を守ってきた私には、裏切りにも似た響きだ。過ちを指摘され、追い詰められていくような先入観を抱いていたイメージからは、ずいぶんかけ離れている。

「富美子さんは、『本来』『本当』『本物』の違いって分かりますか?」

「初めて考えます。気にも止めませんでした。」

「まず本来とは、生まれたままの純粋無垢な状態。そこに経験が加わって本当です。さらに同時並行な場合もありますが、価値が加わった状態が本物です。

先ほど、『本当の自分とは違う気がして』とおっしゃられましたね。そう感じてしまうのは、富美子さんが成長したからです。次のステージがあることを知ってしまったんですよ」

「・・・そんなとらえ方は、今までしたことがありませんでした。」

新たな人生の出発記念日

真紀子さんがニコニコしながら聴いている。
「富美子さん、どうぞ感じたことをどんどん話してください。ここでの情報は、誰にも漏らすことはありません。私は、今日が富美子さんの新たな人生の出発記念日になると信じています」

「私、まだやれるんでしょうか?」

「当たり前じゃないですか!私なんて、叩けば埃だらけですよ!それでもちゃんと生きています。人生って、立体構造なんです。苦しく辛い出来事は、後の感謝や感動に変わります。チャンスは不幸の顔してやってきますから」

「そう言っていただけると、なんだかとても楽になれます。真紀子さん、本当にありがとうございます。では、何から話していきましょうか?・・・・・・・・・」

30分経たずに終わってしまうイメージが、結局2時間に。初対面の方に、こんなにも言葉が溢れ出てくるなんて、初めての体験だ。

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#本当の自分
#姓名判断

名前に揺れる夜〜藤堂富美子さん物語4

名前に揺れる夜〜藤堂富美子さん物語4

静けさと雅子への衝動

真紀子さんとの対話が終わったあとも、しばらく画面の前から動けなかった。

あの短い時間に、私は確かに話していた。けれど、それ以上に聴いていただけたような気がする。画面が消えたあと、空気の音が急に聴こえてきた。久しぶりに、自分の中の静けさに思い出せた感覚だ。

今、雅子にたまらなく会いたい。けれど──会って何をどうしたいのか?謝りたいのか?「ありがとう」を伝えたいのか?もう一度だけ母としての誇りを語りたいのか?

筆が進まない。どんな言葉を選んでも、どこか「私の正当化」になってしまう。

真紀子さんの提案

その夜、真紀子さんからメッセージが届いた。

「富美子さん。今日はありがとうございます。よければ、おつなぎしたい方がいます。お会いしてみませんか?私がとても信頼している方で、名前をとても丁寧に見つめていらっしゃいます。

富美子さんと話していて、昔の私を思い出しました。まだよく分からない点はありつつも、似ている点がありそうな気がしています。今の私は、彼のおかげでもありますから。

富美子さんの人生、きっと変わりますよ」

自問自答

名前────────
舞台で生きてきた「藤間 美雅」と戸籍上の「藤堂 富美子」。私はそのどちらでもあり、どちらでもないのかもしれない。

「名前を丁寧に見つめて・・・」とあるが、名前を丁寧に見つめたところで、何が変わるの?名前なんて呼ばれるための識別情報よね?真紀子さんがおっしゃられるなら、会ってみてもいいけど、また新しい名前や印鑑なんて作らされるのかしら?家族そろって象牙の3本セット買ったじゃない。また?

名前を変えたところで、雅子との信頼関係がよくなるわけじゃないだろうし、私の過ちが解消されるわけでもない。私の人生は失敗だったのだ。これからどんどん転落していくのかしら?

いったん歯車が狂い始めると、至るところで不協和音が起きてくると聞いていたが・・・。まさか私がそんなことに陥るとは、考えてもいなかった。周囲の幸福そうな家庭が羨ましく思えてくる。私だって必死に生き抜いてきたのだ。「ハシゴのかけ違い」が、こんなにも深く、自分を迷わせるものだったとは。けれど──名前を見つめることで、何かが変わるのだろうか?今の私は、ただ湧き出てくる問いに立ち尽くしている。

信じてみよう

湧き出てくる感情と向き合ってみての結論。やはり会ってみようと思う。決め手は、真紀子さんの最後の一言「富美子さんの人生、きっと変わりますよ」。「彼」というから男性なのだろう。

嬉しかったのが、こんな私と真紀子さんが「似ている」と言ってくださったこと。私も真紀子さんのように、輝ける日が来るかもしれない。雅子との和解ができるかもしれない。

期待と不安が行き交いつつも、日程調整の返信を終え、眠りにつけた。30分経たないうちに終わるかもしれないが、真紀子さんを信じてみよう。

#ありがとう
#感情
#舞台
#信頼関係
#魂

自分を語ってもいい〜藤堂富美子さん物語3

自分を語ってもいい〜藤堂富美子さん物語3

言葉にしてしまう恐怖

──コメント欄に返信が届いてから、何度もその文章を読み返している。

「『自分が崩れていく音』とはどういうことなんでしょう?よろしければ、ぜひお聴かせいただけませんか?」

何でもないような言葉。でも、どこまでも優しく鋭かった。読み返すたびに胸が詰まる。すぐに返事を書こうと思ったのに、できないでいる。言葉にならないのではない。言葉にしてしまうことが恐怖なのだ。

画面を閉じて、しばらく考えた。そして、ふと思い立ち、鏡の前に立った。

帯で整える芯

「そうだ、帯を結ぼう」

人と会う予定もない。誰に見せるわけでもない。でも今、私は自分自身のありようを整えたい。箪笥の奥にしまっていた淡い藍色の名古屋帯。軽やかながら芯のある一本。お気に入りの1つだ。

自分の手でゆっくり結んでいく。ひと結び、ひと呼吸。帯のひと巻きごとに、心が落ち着いていくのが分かる。

「私はまだ、言葉にならないものを抱えたままでいる」
「でも・・・それでも、伝えてみたいのかもしれない」
「このままでは絶対にダメだ。どうしても変わりたい。一歩を踏み出したい」

自分を語ってもいい

帯を締め終え、スマートフォンの画面を開く。メッセージ欄に、少しずつ言葉を綴り始めた。

ーーー

佐藤真紀子さん

コメントを読んでくださり、ありがとうございます。
あの一言に、どれだけ救われたか、うまく言えません。

「崩れていく音」というのは──
私の中にずっとあった型が、今、音を立てて壊れていっている感覚です。
それは恐怖でもありますが、どこかで「ようやく」という安堵も混じっています。

この歳になって、初めて「自分を語ってもいい」と思えた気がしています。
よろしければ、少しだけお話しさせていただけましたら嬉しいです。

ーーー

送信ボタンを押したあと、自分の姿を鏡で見た。久しぶりに、自分の顔が「私の顔」に見えた気がした。

毅然とした雰囲気と魅力

メッセージのやりとりから数日後、
「もしご都合よければ、一度だけZOOMでお話ししませんか?」
真紀子さんからの提案が届いた。

迷ったが、その迷いこそが「行くべき方向」だと、今回は思えた。

約束の午後。髪を軽く結い、帯を締め直し、画面の前に座る。

パソコンに映し出された真紀子さんの顔は、写真よりもずっと柔らかく、芯を持っていた。何があっても動じない、毅然とした雰囲気に、魅力に吸い込まれていく。

「初めまして。お会いできて嬉しいです」
「・・・こちらこそ。少し緊張していますけど、ありがとうございます」

2人とも微笑み、しばらく言葉がない。ながらも沈黙が気まずくないのは、久しぶりだ。

「崩れていく音・・・という表現が、とても印象的でした」真紀子さんから。

私は、小さく頷いた。ほんの少しずつ、語り始めた。

矛盾

「私は、舞にすべてを捧げてきた人間です。弟子たちには厳しくしてきましたし、娘にも・・・ずいぶんと、ですね。でも、自分は間違っていないという想いがどこかにあったんです」

「それが娘からの一言で、音を立てて崩れていって・・・もう、何を信じてきたのかも分からなくなってしまって。もう何をやってもうまくいかない気持ちが湧いてくるんです」

真紀子さんは、ただ、静かに頷いていた。傾聴という言葉の価値を、初めて体感できた。聴いていただけているという態度だけで、涙が込み上げそうになる。

「型に閉じ込めていたのは・・・・・、私自身だったのかもしれません。今までの私の生き方は、失敗でした。過ちに気づかず突っ走ってきたことを後悔しています」
「でも・・・、型にはめてきたからこそ私は私ではいられたんだと思います。・・・そんな矛盾を、今も抱えています」

「・・・矛盾を抱えたままでも、言葉にしてくださって、ありがとうございます」

真紀子さんがそう言った時、やっと「私は自分の話をしてもよかった」のだと気づいた。画面越しに深く頭を下げた。それを見た真紀子さんも、穏やかに微笑んだ。

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