名前を呼ぶ=生命の肯定〜早乙女芽衣子さん物語4

白紙のままのノート

心の耳を澄まし自分と向き合うためのノートは、白紙のままだ。インタビュー等、雄弁に語ってきた今までは何だったのか?何を書くべきかも分からないし、自分が自分を責めずにいられるのか?そもそも書くことで、「許された気になっていいのか」さえ分からない。いかに自分を偽ってきたかを思い知らされる。

それでも私は、今日もページを開いた。開いて、何も書かず、閉じる。これを繰り返して、もう何日になるだろう?鉛筆を持つ指先が、震えている。決して年齢のせいではない。何かを書くことが、決めることのように思えて恐いのだ。

今日は久しぶりにラジオをつけてみた。つけたはいいが、すぐに消した。言葉が、耳にけたたましく感じる。ニュースも、音楽も、DJのMCも、まるで全部「外界」のようだった。世界と隔絶された強烈な分離感がある。

ただ1つ、気にかかる言葉があった。「あなたは、あなたを何と呼びますか?」という短い詩の一節。詩の内容は覚えていない。その一文だけが胸に残り、こだましている。

呼ばれたい名前

私は、私を何と呼んできた?そして優花を、私は何と呼んできた?「優花」と呼ぶ時、私はどんな思いでその名を口にしていたのだろう?思い返してみると、「ゆか」というその音を、私はいつも「早くしなさい」「何してるの」と叱責とセットだった。優しく呼んだ記憶が、驚くほど少ない。

「優花と2人で生きていくためには、私がやらなければならない」と考えていた。「優花のために」と考えてきたことが、すべて裏目に出ていたのではないか?優花に接してきた対応が、側近スタッフたちにも反映されているとしたら?本当に信頼関係があったのか、疑問が湧いてきた。

気づいてしまった瞬間、目の奥が熱くなる。でも涙は出ない。ただ、じっと考えている。思いを向けている。――彼女は、自分の名を「呼ばれたい名前」として感じていただろうか?

もしかしたら、「名前を呼ばれるたびに傷ついていた」のかもしれない。そう考えると、たまらなくなる。私は、彼女の名前に、何を込めてきたのだろう?その問いが、また私に返ってくる。

名前を呼ぶ=生命の肯定

「・・・芽衣子・・・・・」自分の名を、声に出してみる。空気がわずかに震える。部屋の中で、自分の声がこんなに響くのは、何ヶ月ぶりだろうか。

「呼ぶという行為」は、存在価値を認めることなのだと、ようやく分かりかけてきた。名を呼ぶことは、「その人の居場所」を、この世界に刻むことなのかもしれない。

私は、優花の名を、ただの記号として使っていた。存在を抱きしめるようには、呼んでこなかった。その後悔とともに、ようやく「声に出せなかった名前」という、私自身の罪に気づいた。

そして、ようやくノートに、たった一言だけ。

「名前を呼ぶ=生命の肯定」

名前を呼ぶ=生命の肯定〜早乙女芽衣子さん物語4

それが私の、死んだ娘への最初の贈り物だ。

まだ死ねない理由〜早乙女芽衣子さん物語3

寄り添えた?

私は今日も、「名前って、なに?」と書かれた小さなメモを手にしている。何度読み返しても、そこに込められた思いが、簡単な問いでないことだけは分かる。

優花の世話は、長年勤めてくださっていた家政婦さんに任せっきりだった。謝礼金として多めに支払ってもいたので、すっかり安心しきっていたのだ。「すべてはお金で解決できる」という思い込みがあったこと、今になって自覚した。本当に恥ずかしく情けない。

優花は生前、この問いにどれほど悩んでいたのか?自殺に至るまでに、何があったのか?何をきっかけに、この言葉が生まれたのか?本当は誰かに話せたのか?誰にも言えなかったのか?――

思えば私自身、娘の名を深く考えたことなんて1度もなかった。生まれた時、夫と相談して「優しい花のように」と名づけた。だが、優花はその名に、どれほど自分を重ねていたのだろう?

夫の死に際しても、「泣くんじゃない」と制していた。娘と2人で生きていく覚悟をあらわにする意味でも、泣いている場合ではないと自らに言い聞かせていた。いくら思い返せど「優花にどう寄り添ってあげたか?」が出てこないのだ。

私の名は、誰のもの?

そして、私の名――「芽衣子」はどうだ?

子ども時代から親の言いつけを守り、誰よりも「ちゃんとした娘」であることを求められてきた。政治家の家に生まれ、家名を汚さないよう、立ち居振る舞いを叩き込まれた。
自分の意思よりも「芽衣子」としてどうあるべきかを意識していた。

気づけば、私という人間は「名前を守る存在」になっていたのかもしれない。「手段を目的にしてはいけない」とさんざん多くの皆さんへ注意してきた。結局のところ、私自身が気づかずやらかしていたのだ。

私は「早乙女芽衣子」と呼ばれながら、一度でも「自分」として生きたことがあったのだろうか?

「早乙女芽衣子って、誰?」

私は、自分の人生を生きてはいない

胸の奥が疼き、痛む。あの子の「名前って、なに?」という問いは、私自身の問いでもあったのだ。私が問いへの答えを明確にできなかったから、娘にしわ寄せがいってしまったのだとしたら、私が優花を死に追いやったとも言えるのではないか?

自分に与えられた名前。その名のもとに重ねられてきた人生。周囲からの期待に応えるべく、何の迷いもなく政治家への階段を駆け上がっていった。私の生き方は、本当にこれでよかったのだろうか?いつの間にやら「はしごのかけ違い」をしていたのでは?

もし正しかったとしても、役割・使命・期待・肩書き――それらをすべて脱ぎ捨てた時、そこに残る「名」とは、いったい何だろう?私は、私をどう呼べばいいのだろう?今さらながらに気づいてしまった。「私は、自分の人生を生きてはいない」のだ。

その時、時計の音が止まったような気がした。部屋の空気が少しだけ変わった。それは何かが崩れる音ではなく、何かがほどけた感覚。「優花の死」という重く苦しい難題を突きつけられなければ、無自覚のまま役職につきながら死を迎えていたかもしれない。

娘の死が問いかけてきたものは、決して娘のことだけではなかった。私という存在の、名の根幹が問われている。娘のあとを追い逝くと決めていたが、やはり納得できない。今死ぬのは絶対にダメだ。死ぬか生きるかを決めるのは、娘が残してくれた問いへの区切りをつけてからにしよう。

まだ死ねない理由〜早乙女芽衣子さん物語3

私は今日、初めてノートを開いた。白紙のページに、ペンを置いたまま手を止める。何かを書くのではない。「書こうとしている自分」に、じっと心の耳を澄ませている。

答えはまだ、出てこない。けれど、この問いの中に立っていることが、今の私には何よりの生きている証なのかもしれない。

名を持たぬ遺品〜早乙女芽衣子さん物語2

名を持たぬ遺品〜早乙女芽衣子さん物語2

名を持たぬ遺品

冷蔵庫の音が、やけにうるさく感じる。あれから何日経ったのだろう?もう曜日の感覚もない。梅雨明けの強い日射しを避けるように、カーテンは閉め切ったまま。ながらも1つだけ、課したことがある。

優花の遺品を、きちんと見ること。

ずっと避けてきた。段ボールにつめたまま、開けることもできなかった。優花が住んでいたマンションの管理人が整理してくれた荷物を、玄関に押し込んでいたのだ。

段ボールを開けると、生活の痕跡が出てくる。服・書類・化粧ポーチ・薬・電気代の請求書・・・・。手紙はない。日記もない。スマホもロックがかかっていて、何も見られない。母親として、私は何も知らない。彼女が何を考え、何に傷つき、何を願って生きてきたのか――その証拠が、どこにもない・・・。

県政では、インタビューに意気揚々と答え、県から国を活性化させていく構想を練っていた。「私がいる日本が、このままで終わるわけがない」そう確信していた。確実にブームを起こせる自信があったのだ。あの日までは・・・。

名前って、なに?

涙は出ない。ただただ、深い沈黙。1つだけ見つけたのは、小さなメモ帳。表紙の裏に、書いてあったのは「名前って、なに?私は私のことを、どう呼べばいいのか、分からない。」

ページはそれだけ。あとは白紙。何度も開いて、書こうとして、やめた跡がある。

息がつまる。これは、誰にも見せていないノートだったのかもしれない。私にも友人にも、見せきれなかった小さな叫び。本当は誰かに聴いて欲しかったのだ。誰かに自分の存在を、声を気づいて欲しかったのだ。「もうムリだ」とあきらめ生命を絶ってしまうまで、何があったのだろう?

「名前って、なに?」

無意識のうちに自分の名を口にする。

「・・・早乙女 芽衣子」

名の重み

オーラをまとっていた当時の言葉の響きと比べても、かつての威厳はない。1人の老いた女性のつぶやきが部屋に沈んでいく。自らの名を、こんなにも無意味に感じたのは初めてだ。そしてふと、頭の奥に引っかかるものが湧き上がってきた。

「優花は、本当は何と呼ばれたかったんだろう?」

「呼び方(Do or Have)」というよりも、「存在のあり方【Be】」に対する問いのように響いた。

「あの子は、私にどう見て欲しかったのか?どんなふうに、名づけて欲しかったのか?」

机の上にうつ伏せで置いてあった写真立てを、そっと起こした。優花が笑っている。その笑顔が、ものすごく遠く感じた・・・・・・。

今はもう、誰も彼女の名を呼ばない。この世界で、彼女の名前を声に出すのは、私だけになってしまった。だからこそ――その名の重みを、私が引き受けなければならない気がした。

きっとそれが人生最期と決めた私の、最初の一歩なのだ。


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#日記
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名前の違和感対策!改名よりも幸せ解釈

改名したくなる等、名前にモヤモヤを抱えていませんか?でもちょっと待ってください──。本当に変えるべきなのは「名前」ではなく「意味」かもしれません。

名前って、ネタ?

「精子(せいこ)って名前、あり得なくない?」最近、そんな記事を見かけました。

「一生ネタになるだろ!」名付けの理由を笑いながら語る父親に憎しみを抱いた──という実録に、SNSは嘲笑と怒りと同情の嵐。「かわいそう」「親が無神経すぎる」そんな声で溢れていました。

深いため息とともに残念さを感じたのが、大きく2点。ご本人自身の尊厳には寄り添っていない点。あまりに表面的です。かつ命名者である親御さんの動機。名前に込められた命の意味ではなく、「笑えるかどうか」という視点しか存在していなかったからです。

私自身、保育園当時に指の骨が見えるくらいまで噛みついた記憶が残っており、名前をバカにされたことがきっかけだと思い出すのに30年以上かかりました。本名が恥ずかしくて語尾を濁し、何度も問い返されドモラーへ。ケンカの歴史は名前との葛藤でした。

私の意味不明な罪悪感の正体は、名前を納得できず拒み続けていたことだったのです。信じてもいなかった姓名判断を学ぶことになり、嫌いながらにも20万人超の名前と向き合うことになった矛盾的因縁を感じざるを得ません。

矛盾に翻弄されさまよってきたことが、今はよかったと感じています。なぜなら矛盾を調和融合できたから。おかげさまで全く違う角度で、名前を見ています。おそらくは世界初の価値観です。「改名よりも本質を理解し幸せ解釈」を広めることが私の志です。

名前とは

記事を読む限りには、確かに字面だけ見ると、笑われたり嫌悪感を持たれやすい名前です。「一生ネタになるだろ!」と冗談混じりにつけた父親の発言からも、確かに愛情とはイメージし難いですし、腹立たしさを覚えます。

そもそも「名前」とは何でしょうか?ただの識別情報?呼びやすさ?周囲ウケ?

絶対に違います。名前は、「存在価値の核」です。名前こそが、死んでもずーーっとついてまわります。家系図と関わってきた経験もあり、1,000年以上続く系図を拝見したこともあります。

天皇家に至っては、126代目です。初代の神武天皇から全ての名前が明記されています。イエスキリストやお釈迦様をはじめとする周囲の方々も、2,000年を経た今でも讃えられています。詳細は分かりかねますが、創世記に出てくるヤコブの墓もあるそうです。

名前が嫌い=自分を好きになれない

「せいこ」という音の響きには、「清らかさ」「真心」「神聖さ」が宿っています。かつ「精=命の純粋濃縮エネルギー」「子=命を受け取る器」です。どんなに奇抜に見える名前にも、「響きの中に魂の設計図がある」と主張しています。

これまで、20万人超の名前と関わってきました。その中で気づいたことがあります。「名前が嫌いな人は、ほぼ例外なくご自身にも違和感を抱えている」のです。

名前が「恥ずかしい」「からかわれた」「呼ばれたくない」。お気持ちはよく分かります。──だからこそ、名前への解釈を改め再定義することが、人生を動かす鍵になるのです。

名付けられた動機は、愛情のかけらもない邪念に満ちたものかもしれません。リンカーンの名言で「40歳過ぎたなら、自分の顔に責任持て」があります。理由は、いかにダメな遺伝や境遇であっても、40歳までには生き様が表情に出てくるからです。その名前版というご提案です。

改名より意味づけ更新

もちろん、名前を変える改名の選択肢もあります。しかし戸籍上の記録は残ります。幼少期の記憶までは消せません。

だったら──名前の「意味」を変えてみませんか?例えば分かりやすく、数学の因数分解。複雑に見える数式でも、構造の本質を理解し望ましい状態へ並び替えることができたとしたら、「富士山を山梨側と静岡側の両方から自由自在に眺める」ようなことが起きてきます。

「精子」という名前は、命の源を象徴しています。笑いではなく、尊さの方に焦点を当てることで、それまでの傷が、逆に唯一無二の使命に変わっていくのです。

あなたの名前の未開の扉

あなたの名前の未開の扉〜名前の違和感対策!改名よりも幸せ解釈

もし今、「名前に違和感がある」「なぜこの名前なのか分からない」そう感じているなら、【人生の本質】に近づくサインかもしれません。

「名前を好き=『私でよかった』と言える」のです。それだけで、人生はすでに動き出しています。多くの皆さんと名前を通じて向き合わせていただいてきた中で、嫌いだった私の名前にも当てはめてきました。少しずつ薄皮を剥ぐように変化してきたのです。

今現在、「私はじめ多くの皆さんに適用できたやり方が、全ての皆さんに当てはまるのか?」を検証中です。現状の限りには、「分からない」と言い続けられる場合を除いては、否定されたことがありません。否定していただけた方が、新たな可能性を見出せるので、否定してくださる方を待ち望んでいます。

ぜひ、あなたの話を、あなたの声で聴かせていただけませんか?

名前から紐解く人生の1ページ

私は「名前が人生に与える影響」を20万人超の名前と向き合ってきた経験から、【姓名承認】という独自の視点でお伝えしています。

現在、「人生の1ページセッション」を受付中です。名前の違和感や意味にピンときた方、ぜひお声がけください。

消し去りたかった「あの日」を人生の宝にする60分

今日も、あなたの名前が優しく響きますように。

「感謝の本質」 by AKEMI 様

「小川が流れました」by 新田 純子 様

関連記事「一生ネタになるだろ!」名付けの理由を笑いながら話す父親に憎悪。多産家庭の子どもたちにつけられた異常な名前とは

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元県知事の孤独〜早乙女芽衣子さん物語1

元県知事の孤独

◯◯県 盆地を見下ろす高台の自宅。長年暮らしてきたこの家で、初めて「無音の時間」を感じている。

私は、早乙女 芽衣子(さおとめ めいこ)、72歳。つい2ヶ月前まで◯◯県知事だった。「女 角栄」とも称され、政界でも異例の「母であり、知事である」リーダーとして知られた存在。政界一家に生まれ、政党の後ろ盾もあった。知性と胆力には自信があり、一目置かれていた。夫を病で亡くし娘を1人で育てながら、政治という戦場を生き抜いてきた。知事から国会へいつ乗り出していくのか、噂が絶えなかった。

今は肩書きもなく、呼ばれることもない。むしろ呼ばれたくない。新聞や雑誌の取材も遠ざけた。街で声をかけてくるのは、今も熱心な支持者だけだ。けれど、そのどれにも応えきれないでいる。誰にも会いたくない。もう何もしたくない。生きていくことさえ・・・。

当時インタビューを受けていた自宅リビングには、配達されたままの新聞・宅配の段ボール・未開封の郵便物が散乱している。台所はインスタント麺等の食べ残しや腐りかけている食べ物がそのまま置いてある。お風呂に何日入っていないだろう?数える気持ちにもならない。梅雨が明けた日射しの中、雨戸を閉め切り、陰鬱とした日々。

辞任の本当の理由は、語っていない。「体調不良」「政治的混乱」いくつもの憶測が飛び交ったが、すべて違う。――愛する娘 優花(ゆか)の自殺。

元県知事の孤独〜早乙女芽衣子さん物語1

遺影の前で

自ら命を絶ったという連絡を受けた日のことは、青天の霹靂で今も現実味がない。連絡が来たのは、県庁の執務室だった。職員が震える声で伝えてきたあの一報。すぐに向かったが、もう冷たくなっていた。遺書もなく、ただ静かに逝った。享年48歳。

政治への職務に夢中で、娘に関われていなかったことに気づく。結婚後まもなく離婚し、10年以上1人。正月や盆等の節目で会ってはいたが、笑顔で問題なさそうだったので、「幸福だろう」と決め込んでいた。今まで「言えなかった」のだ。

「なぜ自殺なんて・・・」と、表面的にしか関わってこなかった私には、理由が全く分からない。「ごめんね・・・」と謝罪の気持ちと、自分を責め立てる声が脳内に響き渡っている。

遺影の前に座る。娘の笑顔は、写真の中で永遠になった。この笑顔とは、誰に向けたどんな笑顔だったのだろう?私に残されたものは空虚だ。「母親失格」「人間失格」客観的に誰かから言われるわけではない。私自身が、私への罵倒だ。

本当の望み

辞任における記者会見では泣かなかった。訃報にも政治的配慮を求め、冷静に記者の質問に答えた自分を、今はただひたすら恥じている。

葬儀を終えた後、すべてが止まった。1人で住むには広すぎる。リビングの壁面には、知事時代に寄贈された感謝状や表彰状がそのまま並んでいる。だがソファには本や服やアクセサリーが無造作に積まれ、テーブルの上には娘の部屋から持ち出した写真立てがうつ伏せに置かれている。その空間で、朝も昼も夜も関係なく、遺影の前で座っているだけ。

秒針音すら、心に突き刺さる。私はまちがっていた。もう生きていない方がいいのだろう。もう私を心配しないでほしい。関わらないでほしい。

あの子は、どんな名で呼ばれたかったのだろう?どんな人生で、どんな嬉しいことや悲しいことがあったのだろう?なぜ・・・・・自ら人生を閉じてしまったのか?私は「早乙女芽衣子」として、娘 優花へどれほどの愛情を込めてきたのか?

「優花の本当の望みとは何だったのだろう?」

私も後を追って逝くのもいいが、せめてそれだけは知りたい気持ちが芽生えてきた。確かに私はまちがったのだ。しかしながら何をどうまちがったのか、確認せずに死ぬのは優花に申し訳なさすぎる。

おそらくはこれが母親として、早乙女 芽衣子として最後の役割となるだろう。最期は優花のために生きようと決め、何をすることが適切かを、ようやく考え始めた。

あとがき

絶望感に関しては、これまでたっぷり味わってきました。生きる意味を見失い、誰にも助けを求められず、1人沈み込んでいくような日々。それでも、生きていかねばなりません。絶望に浸りながら働かざるを得なかった記憶は、かなりの長期に至ります。

この物語が、どのように進み、どこへ向かうのか――早乙女芽衣子という1人の女性が、自らの命と名にどう向き合っていくのか。ぜひ、これからの展開にご期待ください。


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人生という舞台で命を体現〜藤堂富美子さん物語17終

命の体現者

日本舞踊家、藤堂富美子。芸名『藤間美雅』として半世紀以上生きてきた私は、この1年、自らの命と本気で向き合い続けてきた。誰よりも私の命(めい)に耳を澄ませてきたと自負できる。

その姿勢は家族にも、弟子たちにも、かつての母 雅麗つながりの方々へも、確実に影響を及ぼせている。「努力」「忍耐」を重要視していた当時とは雲泥の差である。望んだことが極めてスムーズに進んでいる。

変化の実績として大きく3つ。

1 海外公演の実現

かつては「格式や流派の内規」「英語への苦手意識」「海外舞台への不安」等を理由に断っていた案件。
→ 「舞で命を伝える覚悟」が明確になり、自ら出演を志願している。半年後に初のNY&LA公演が決まっている。

2 外国人アーティストとのコラボレーション

命の体現者〜藤堂富美子さん物語17終(フラメンコダンサーとのコラボ公演)

従来は「型が崩れる」「伝統が失われる」ことへの恐れから共演を避けていた。
→自らが「型と命の融合者」と名乗ったことで、価値の本質が変容。フラメンコダンサーとの共演で、「型」と「魂」の共鳴を実感し、感激。「異文化=崩し」ではなく、「異文化=響き合い」への意識転換。

3 外国人の弟子入り

かつては「日本語も話せないし、続かないだろう」と閉じていた門戸。
→ 心があれば国籍など関係ないと気づき、入門を許可。「日本舞踊で命の意味を感じたいです」と言った若いフランス人女性に対し、「ようこそ」と一礼。

「役割を生きるだけじゃなく、存在を生きる。そのための名の意味を、初めて理解できました。分かっていた過去の私を恥ずかしく感じています」「『気負うことなく凛と立つ』の意味を、美雅先生の生き様から理解できました」

そう語ったのは、最も近くで私を見守ってきた弟子だった。娘や息子たちもまた、変化に気づいている。

「お母さん、前と全然違うね。一緒にいることが居心地いいよ」「今度、家族皆で遊園地に行こうよ」 「私の娘の授業参観へ行ってみない?」

孫たちと関わらせてもらえるようになり、祖母としての役割に充足感を抱いている。穏やかな日常の中に、確かな変化が浸透している。関わる人々の命までも柔らかく照らし始めている。

何より感謝の念が常に込み上げてくる。封印してきたわだかまりをどんどん解放できている。笑顔が日々の生活に溶け込んでいる自覚があるのだ。本当にありがたい。

宇宙の循環システム

龍先生がおっしゃる「自立具現化コーリング」における「核を突き抜けた世界との自由自在な往来」の意味を噛みしめている。まさに人類歴史の偉人たちがたどり着きたかった世界ではなかろうか。

分かってしまえばたわいもないシンプルさだが、「誰も知り得なかった境地をどうやって?」と疑問が湧いてしまう。

「私は、『型と命の融合者』この名とともに生きていく。そして、きっと更新する日が来るだろう。それでいいと思えている。命が変化する限り、名も進化していい。なぜなら私には生命があるから。生かされているからには、何らかの役割があるのだ。役割を全うするために、人生という舞台、今を生きるのだ。

役割を全うすることが、巡り巡って全体の調和へ導かれ、結果として私に返ってくる。『自立具現化コーリング』や『遺名』を通じて、そんな宇宙の循環システムに気づかせていただけた。」

かつて芸名として生きてきた『藤間美雅』の道。その歴史を敬いながらも今、存在名『藤堂富美子』『かつて支えてくれた夫 藤堂徹の遺志』全て背負って命を刻んでいく。

「これが、私の命の結晶。ありがとう」

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命に名を刻む時〜藤堂富美子さん物語16

命に名を刻む時〜藤堂富美子さん物語16(自ら決めた遺名の書化中)

藤堂富美子さん物語、いよいよ次回で最終回です。今回は、「自立具現化コーリング」「遺名コーリング」同時進行で受けていただき、1年を経た最終日。

名を決める覚悟

「これが、私の今の答えです」

悩みに悩み、考えに考え抜いた。約1年かけて龍先生と語り合って思い巡らせてきた結論。

「型と命(めい)の融合者──これが私の遺名です。舞を生き、舞に救われ、舞で多くを伝えてきました。ながらも私は、型を教えたかったわけじゃない。命をどう込めるか?を、生命がけで問い続けてきました。

すごく参考になったのが、龍先生の問いかけです。何か損得勘定を抜きにした、真理追究の結晶体かのような、純粋な問いかけ。本当に感化されました」

画面の向こうの龍先生が、深く頷く。

「ありがとうございます。そうだったんですね。私は一心不乱無我夢中にやってきただけです。そんなに評していただき感無量です。

やはり『スジが貫かれた名』ですね。これから、この名が富美子さんを支え、導き、そして多くの皆さんの勇気になります。特にこだわっているわけではないと思いますが、どれだけ世に広がっていくかは、いかに魂と向き合ったかに比例します」

少し涙ぐみながら、言葉を継いだ。

究極の節目

「はい。本当にどうでもいいです。今の私には、これが最善の答えです。

ここで、1つの疑問が湧いてきました。もしかしたら未来の私が、もっと大切な何かに気づく日が来るかもしれません。だとしたら、今回の遺名は、私の死にふさわしいものとは言えなくなります。だけど今回決めた以上は、覆せないものなんでしょうか?」

「さすがです。いい質問ですね。結論から言うと、『究極の節目』です。今回の遺名は、遺言や遺書の名前バージョンです。遺言も、『死んだ時のために』と早い時期から書いておく方もいらっしゃいます。 死ぬかもしれないという気持ちで、死をイメージしながら書くのが遺言です。 遺名も同じです。

では、更新されたものには価値がないんでしょうか?法的には無効かもしれませんが、ご本人においては?『どんな死に方をするか?』をイメージすることで、生き方に変化が起きませんか?

仮に更新できないものとしてみましょう。死ぬまで1回しか決めきれません。だとしたら、死後に誰かによってつけられるものと同レベルになってしまいます。『自ら決める』からこそ、緩みを持たせて更新可能なものとするんです。」

今を生きる覚悟を問う

大きく柏手を打った。「なるほど!確かにそのとおりですね。この1年間、今までないくらいに真剣に向き合いました。実際にやってみなければこの価値は分かりようがありませんね。『究極の節目』すごく合点がいきました」

「そうですよね。私もさんざん自殺願望と向き合ってきました。自分が嫌いだったからこそ、どうすればいいかを考えざるを得ませんでした。結果として、死生観につながっていったんですね。

かつ、志を持てた今と当時では、また違います。今は『どんなことがあっても絶対に死ねない』と考えています。迷惑をかけながらも期待してくださった方へ、恩義に報わずにはどうしても死ねません。」

手を合わせ、深く一礼する。「ありがとうございます。もともと当家は仏教徒ではないので、戒名というしきたりはありませんでした。ながらも夫の死に際して、戒名料を要求されたことが納得できていなかったんです。今、すごく晴れ晴れした気持ちです」

「そうでしたか。よかったです。私もきっかけは親父の死でした。仏教徒ではないのに、強烈な不快感を抱きましたよ。そういった思いが、今回の富美子さんを通じて覚悟できましたよね。こちらこそありがとうございます。」

「この名と共に、私は生涯現役を貫きます。」

未来へ託す自己の核心

「遺名」とは、死後のために誰かにつけられる名ではありません。それは、生きている今を凝縮し、自ら選び決める、命の約束のこと。

あなたなら、どんな名を遺しますか?

型のように固めず、命のように変化する──あなた自身の「遺名」が、今この瞬間から始まります。

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時空を超えた命名(遺名という提案)〜藤堂富美子さん物語15

時空を超えた命名(遺名という提案)〜藤堂富美子さん物語15

魂に火を灯す問いかけ

ZOOM画面越しに、作務衣姿の龍先生が見える。先日の姓名覚醒セッションにおいて実感したが、多次元な発想を自由自在に展開できている様に驚愕。ながらもどこにでもいるような一般人と何ら変わらない雰囲気に、真紀子さんが尊敬する理由を理解できた。

「今日もどうぞよろしくお願いいたします。真紀子さんから、『自立具現化コーリング』について熱くお勧めいただいたので、詳細をお聴きしたくて」

「ありがとうございます。はい。私も真紀子さんから伺っています。素晴らしいです。真紀子さんがおっしゃられるように、確かに表情や雰囲気が全く違いますね」

「そうですよね。ありがとうございます。先日の『姓名覚醒』を通じて深みという価値がよく分かりました。だからこそ、悩みも深まってきたんでしょうね。うまく言葉にできないのがもどかしいんですが、確実に今のままではダメな気がしてなりません。」

悩みは、未来への入口

「素晴らしいことですね。『悩み』『課題』『目標』って、脳の都合から言えば同じなんです。切り口や見方が違うだけです。要は悩みって、成長欲求なんですよ」

「・・・ああ、悩んでる自分に『これでいい』を出してもいいんですね」

今まで悩みを重く受け止めていたが、気持ちが一気に軽くなった。「人生は解釈次第」と繰り返しておられたが、本当にその通りだと実感し、目頭を熱くした。

「ありがとうございます。本当にそうですよね。やはり真紀子さんが言われていたように、『自立具現化コーリング』受けた方がいいでしょうか?」

「はい。真紀子さんも熱く語っていらっしゃいましたよ。確かに受けてくださることで、さらなる具現化は進みます。ながらも私が祈った限りには、富美子さんには物足りない気がしています。」

「は?そうなんですか?なぜでしょう?」

「死ぬまでの価値」の先へ

「はい。自立具現化コーリングは、『死ぬまでの価値』です。ということは、富美子さんご自身の人生だけで終わってしまうんです。」

「はい。それの何が問題なんでしょう?」

「富美子さんのお悩みの本質は、『本物すぎること』ではないでしょうか?日本舞踊界に関わり、型にこだわり、人生の最優先に考えてきましたよね?」

「そうですね。血の滲むような研鑽に幾度も涙を流してきました」

「そうやってきた『美雅』を、『富美子』と調和させようとしています。」

「はい。それが何か?」

「問題は富美子さんご自身が、いかに妥協点を払拭できるかだとみています。まだ構想を練っている段階ですが、富美子さんの死後にも影響力を発揮できるとしたら、いかがでしょう?」

「考えたこともありませんでしたが、もしそんなものが本当にあるなら、とんでもなくすごいんでしょうね!」

時空を超えて名を遺す

「現状では仮で『遺名(ゆいみょう)』と名付けています。簡単にお伝えするなら、死後にも通ずる名前です。

戒名の目的は、仏教徒が死後に帰依するためにつけられるそうです。要は、『御釈迦様の弟子』という前提があります。ずっと違和感を抱いてきたのが、私たちって皆さん対等では?イエスキリストさんも、勝手に神格化されてますが、キリストさんご自身は崇め奉られたいとは思っていません。

どこぞのお偉い方につけられるより、ご本人の生き様を振り返って『全うする生き方』を定めてみませんか?」

「なんとなくすごいのは分かりますが、例えばどういったことでしょう?」

「例えば、パッと出てきた長嶋茂雄さん。詳しくは知りませんが、彼ほど読売ジャイアンツや日本野球界に貢献した方はいないとも言えるのでは?彼は「Mr.ジャイアンツ」とも呼ばれており、「背番号3」は、永久欠番とされています。他にも『手塚治虫=マンガの神様』『美空ひばり=昭和の歌姫』『黒澤明=世界のクロサワ』等あります。このご本人バージョンですね。」

「なるほど。確かに興味あります。」

相違点

「ありがとうございます。よかったです。ずっと祈って考えてきた1つです。『自立具現化コーリング』は、まだ気づいていない『未知の内なる視点』との対話を通して、これからの人生のあり方を描いていくプロセスです。

今回ご提案する『遺名(ゆいみょう)』は逆です。これまで歩んできた人生と、本来の自分自身を統合し、『死後にも通ずる名』を生きているうちに命名していくプロセスです。

自己対話を深めていく上では、『自立具現化コーリング』も加えた方がいいですが、そちらはお任せいたします。」

「かしこまりました。せっかく真紀子さんが熱くお勧めいただいているので、すべて受けてみようと考えています。詳細を教えていただけますか?」

「承知いたしました。では、プレセッションの時間を持ちましょう。そこで、『未知の内なる視点』『究極のパートナー』が誰なのか、お伝えさせていただきます。こちらは、今まで500人超に問うてきて、ヒントを交えて答えきれた方は5人。分かってみればごく当たり前なんですが、分かるまでは五里霧中です。どうぞ楽しみにしておいてくださいね」

一気に道が照らされ、目の前が明るくなった。

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死ぬまでの価値〜藤堂富美子さん物語14

予感

湯島天神の裏手、小さな路地に佇む稽古場。春の陽射しが障子を透け、畳の香りが優しく漂う。鹿威し(ししおどし)の音に心地よさを感じながら、畳に正座をしていた。筆をとり、夫の位牌に向けて言葉を綴っていた─────。

手には、亡き夫 徹の遺影。そしてその隣には、今はもう使われていない美雅名義の名刺と、封を開けたままの手紙。

「すべて、終わったわけじゃない」

私の中で、何かがまた動き出していた。

夫 徹の位牌が倒れたあの日以降、目には見えない何かのサポートを感じるようになっていた。「もう守られているだけの人生ではない」と、自らの足で立つことへの決意が芽生えていた。

帯をたたむ所作の中で

死ぬまでの価値〜藤堂富美子さん物語14

母 雅麗の帯を丁寧にたたんでいて、絹の手触りと香りが、時間の流れと共に心に沁みてくる。たたみ終えた帯をタンスにしまいながら、ふと胸の奥に1つの問いがよぎった。

「私が本当に望む人生って、何なんだろう?」

時計の針さえもない私だけの部屋に、どこかざわつく感覚がある。新しい人生を歩む覚悟を決めたはずなのに、どこか取り残された何かがある。

「娘に何を受け継ぎたいのか? 弟子たちに、舞の何を残すことが私の役割なの?」

今までも問うてきたのかもしれないが、深みが全く違っている。答えはまだ見つからない。現状の私のままではどうしようもできないことだけは分かる。これまでとは異質の問いが、芽生えているのを確かに感じていた。

真紀子さんとの再対話

翌日、真紀子さんと再びZOOMをつないだ。画面越しに現れた真紀子さんは、私の顔を見てすぐに言った。

「富美子さん、なんだか・・・表情が変わりましたね。穏やかだけど、決意が伝わってきます」

「そう?まだまだ問題は山積みですが、ようやく形にできてきた気がするの。誰かに認められるためじゃなく、私が私であるために。」

「それって、セッションでお話していた『使命の更新』につながっているかもしれませんね」

「そうですよね。おそらくは使命の輪郭が明確になってきたからだと感じていますが、さらなる深みが増した感があって。今の私には見出せない絶望感も抱いています。この苦しみから向き合いたいと思っているけど、何をどうしたらいいのか分からずにいます。

先日の、姓名覚醒のセッションがあまりに素晴らしく、ステージが一気にドンと上がった感覚があります。だからこその悩みだとも感じています。進むべき道が垣間見えたのに、私自身が整っていないんです」

真紀子さんの目が潤む。

死ぬまでの価値

「・・・素晴らしいです。きっと富美子さんが生き抜いてきた、あり方の集大成を見出そうとなさっているんでしょうね。なんとかしてあげたいけど、私も富美子さんの深みという感覚が、なんとなく分かります。」

「ありがとうございます。真紀子さんとは、インタビュー記事を本で読んだ時から、深いご縁を感じましたからね。」

「そうですよね。富美子さんからメッセージをいただいた時、他人とは思えない親近感がありました。

富美子さん、それだけ強い問いが湧いているということは、もう『次のステージの自分』が待っているということかもしれませんよ。やっぱり自立具現化コーリング、受けてみてもいいんじゃないかな?

それが答えにならないかもしれないけど、私も受けてみて本当によかったから。『人生が変わるって、こういうことを言うのね』と改めて思える内容でした。富美子さんが死ぬまでの生涯価値ありますよ」

少し驚いた。けれど不思議と、心のどこかで「その言葉を待っていた」気がした。

「・・・そうね。今なら、向き合える気がしますわ」画面に向かって、決意を込めて頷いた。


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継承と更新〜藤堂富美子さん物語13

姓名覚醒を経て

「藤間 美雅」の名を守ることで、私は「妻・母・師匠・家元」としての役割を果たしてきた。けれど、そのすべてにおいて「藤堂 富美子」という私を置き去りにしていたこと、姓名覚醒を経てようやく気づけてきた。またさらに・・・。

主人の位牌が倒れた時、驚きとともに何かが流れ込んでくるような感覚。 不思議と、怖さはない。

「ありがとう」

その声が、彼のだったのか、定かではない。ながらも確かに、心の奥で何かが融けたのを感じた。龍先生から「ご主人様が肝臓ガンで亡くなられたということは、溜め込み続けてきた感情整理が追いつかなかったから」と言われたことが鮮烈なショックだった。

主人が語りたかったこととは?ずっと考えていた。まさに位牌の件と関連があるとしたら、タイミングから考えても『過去の私への手紙』とつながっているに違いない。

主人は、養子として婿入りしてくれた。確かに私は支えてもらっていた。私は主人に何を貢献できたのだろう?主人へのありがたみなんて、空気のように薄く感じていた。相応に私への負担がかからないよう、どれだけ配慮してくれていたことか。今さらながらに申し訳なさと感謝の気持ちが湧いてくる。

私は多くの愛を受けていたのだ。気づけなくてごめんね。これからは、「藤間 美雅」「藤堂 富美子」だけでなく、夫「藤堂 徹」とも一緒に生きていこう。

その夜、娘 雅子が台所で一言ポツリと呟いた。

「お母さん、最近ちょっと柔らかくなった気がする」

その言葉に、思わず涙が滲んだ。ああ、私は、ようやく「美雅」ではなく「富美子」として、母に戻れている──そう感じた。ようやく自分を許せた実感を得たのだ。

継承と更新〜藤堂富美子さん物語13(気づきへの感謝の涙)

弟子との対話

翌日。稽古場に顔を出すと、弟子たちが一斉に立ち上がり、いつものように一礼をしてくれた。

「皆さん、今日は少し時間をいただけますか?」

弟子たちの表情が引き締まる。

「私は、これまで『藤間 美雅』として生きてきました。今ようやく『藤堂 富美子』としても立っていたいと考えるようになりました。名前に込めた願いと、これからのあり方を、私自身で選び取っていきたいのです。よろしいでしょうか?」

静寂の中で、1人の弟子が声をあげた。

「先生・・・私たち、ずっとそのお言葉を待っていたんです。先生お1人に重圧を背負わせてしまっていることを申し訳なく感じていました。だからと言って、行動に移せず困っていたんです。先生が切り出してくださり、今初めて道が照らされました」

その言葉に、張り詰めていた何かがほどけた。私は「誰も後継者がいない」と思い込んでいた。弟子たちにしてみれば、私が何もかも尽くしてきたがゆえに、関われる限界を感じていたのだ。

本当に申し訳なく感じた。私の勝手な独りよがりで、「一生懸命頑張っているのは私だけ」と感じていた。ゆだねきれなかった器の狭小さを恥じた。

「ありがとう。これからは一緒に、もっと自由に、舞を表現していきましょうね。違和感や改善等のご意見、どんどん出してください。そこにこそ発展のチャンスがあるかもしれません。」

微笑みながら深く頭を下げた。本当にありがたくて、涙が込み上げてくる。

許しとつながりの修復

その数日後、長年距離を置いていた姉から、珍しく手紙が届いた。

「法事ではありがとう。突然だけど母の着物を見ていたら、ふとあなたのことが気になって」

封筒の中には、母 雅麗が若い頃に愛用していた帯が同封されていた。

許してくれたのかもしれない。いえ、きっと私自身が、姉との間にあったわだかまりを解放したいと、できると思えてきたのだろう。「藤堂 富美子」として、覚悟の表れなのかもしれない。

「許すとは、ニュートラルな状態です。『してもいいけど、やらなくてもいい。どうぞお好きなように』と言われているんです。要は『何があろうとも受け入れる覚悟』なんです」と語られていたのが脳裏に浮かんだ。

今までずっと許したくも、なぜ許せなかったのか?そもそも「自分を許す」とは、自分の中の何をどうすることが「許した」となるのか?言語化と重要なことの再定義が、こんなにも重要だったのかを身をもって実感できた。

思えば、娘からの一言。「それって、お母さんの満足よね?」まさに青天の霹靂だった。それからというもの、何をやっても失敗する気持ちが芽生えてきた。蟻地獄の巣へ引き込まれていくような恐怖を感じたからこそ、真紀子さんと出会えた。

名から命の継承

「名前で生きる」とは、単に与えられた名を守ることではない。 込められた意味を、自らの意思で更新していくこと。ここを全く理解できていなかったことに気づけたのは、人生の大転換点だったと噛みしめている。

「美雅」は、祖母と母が託してくれた大切な芸名。 そこに私の意志が加わった時、ようやく「名の継承」ではなく、「命の継承」に変わるのだと気づけた。

今ようやく私は、その更新の第一歩を踏み出せたような気がしている。

「姓名覚醒 あなたバージョン」では、どんな展開が起こるのでしょう?

響命チェックリスト

あなたが「本質の命」に出会うために

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