声に宿るもの〜藤堂富美子さん物語9

富美子さんは、日本舞踊の世界でTV出演するほどの名人。そんな彼女の変容を、まずは声から表現。

変化の共有

真紀子さんとのZOOMでの再会は、思った以上に自然だった。画面の向こうには、変わらぬ穏やかな眼差し。けれど、私の中には明らかに、先日とは違う「何か」が育っている。

「お久しぶりです、富美子さん」 「こちらこそ、ありがとうございます。なんだか、不思議ですね・・・。またこうしてお話しできることが」

言葉を交わす内に、心が柔らかく解けていく。今の私は、もう他人行儀ではなかった。

「実はあのセッション以降、周囲の人から『声が違う』って言われるんです」

思いがけず、自分からそんな話を切り出していた。口にした瞬間、私自身が一番驚いていたかもしれない。

「やっぱり!それ、私も感じました」 真紀子さんが、少し身を乗り出すように言った。 「どこか柔らかく、でも芯があって。なんというか、伝えるための声じゃなくて、伝わる声って感じがして」

伝える声と伝わる声。 なるほど、そんな違いがあるのかもしれない。

2つの名の狭間で

「正直、美雅としての私が正解だと思い込んできました。芸名の方が評価されやすいし、弟子や関係者との関係もあります。でも今、富美子でいることに、変な抵抗感がないんです」

「分かります。名前って、ただの識別情報じゃなくて呼ばれ方なんですよね」

呼ばれ方──────。 それは、自分がどう在ろうとするかに直結する。

芸名に生きることは、ある意味では「課せられた責任」への義務でもあった。 今の私は、富美子という「命名」に立ち返ることで、責任のためではなく私のために声を出せるようになっていた。

「声が変わったのではなく、ようやく戻ってきたのかもしれませんね。先生もよくおっしゃるけど、『正確に言うと変わるわけではなく、本来の状態に戻る』ですから」 真紀子さんがそう言った時、胸の奥がじんわり温かくなった。

「戻ってきた・・・・・。そうかもしれません」

思えば、いつからだろう。誰かの期待に応えようと、いつも「〜しなければ」で言葉を発していたのは。今は、自分の内なる声が出ようとしている。誰かのためではなく、私の中から生まれてくる声。富美子という名に宿っていた、まだ使われていなかった声。

今、ようやく───思い出したのだ。

娘からの電話

真紀子さんからのメールの余韻に包まれていたその夕方、携帯電話が震えた。着信画面に浮かんだのは、「雅子」。娘からの電話だった。

「もしもし、お母さん?週末の法事のことで連絡したくて」

そうだった。亡き主人の十三回忌が近づいていたのだ。

「ありがとう、助かるわ。場所は去年と同じお寺?」

「うん、叔父さんたちとも連絡済み。あとね・・・、声が何か違うよ」

「え?」

唐突に言われた言葉に、思わず声がつまった。

「なんていうか・・・柔らかいっていうか、ずっと遠くで話していた声が、急に近くなったみたいな。なんか不思議」

──やっぱり、聴こえていたのか。

娘にまで伝わっていた声の変化。 龍先生が言っていた周波数の話が、急に現実味を帯びてきた。

法事の準備と家族の気配

法事の準備に追われながらも、静かな確信が根を張っていた。仏間に飾る花を選ぶ時、雅子が小声で言った。

「お母さん。あのさ・・・もしかして、何か始めようとしてる?」

「どうして?」

「雰囲気がね、変わったっていうか。前はいつも張りつめてたのに、今は、自然体って感じがするの」

娘の観察眼には舌を巻く。あえて言葉にしなかったが、心のどこかで「気づいてほしい」と願っていたのかもしれない。

「今ね、自分の名前と向き合っているの」

「えっ?『富美子』?」

「そう。美雅じゃなくて、富美子として生きてみようかと思って」

娘はしばらく黙っていたが、ふっと微笑んだ。

「いいと思う。美雅のお母さんも好きだけど、富美子って呼ぶと、なんか温もりを感じるよ」

受け継がれてきたもの

3代続く舞踊の家系。その流れに乗るように、15歳で名取となり「美雅」を襲名した。祖母の美麗(みれい)、母の雅麗(まれ)、そして私 美雅(みやび)。名前にまつわる意味と歴史。それは誇りであり、重荷でもあった。

「舞いの美しさに、心の雅を重ねる」──それが、美雅に込められた意味だと母は言っていた。「美雅」という名には、かつて込められた想いがあった。けれど今、「美雅」に込められた願いを、託された使命として生きていきたい────

今、私が迎え入れようとしているのは、役割だけではない。名前の意味に宿る本質、命の音(ね)そのもの。富美子という名前の声は、今ようやく私の中に根づこうとしていた。やはり私には、龍先生のサポートを受けた方がいいのだろう。真紀子さんが尊敬するなら、きっと私にもそうなる未来があるのだろう。

「これでいい」の奥へ

法事を終え、親族と別れた後の帰路。

「ねえ、お母さん」

雅子がぽつりとつぶやいた。

「なんかさ・・・今日のお母さん、昔に戻ったっていうより、初めて会った感じだった」

「それって、いい意味?」

「うん。なんか、ちゃんと一人の女性っていうか。お母さんがお母さんである前に、『富美子さん』っていう1人の人間だったんだって、今さらだけど思えたの」

富美子は、ただ頷いた。──そう。今、私はようやく「私自身」に還ろうとしているのかもしれない。その実感が、心地よく胸を温めていた。

#ありがとう
#娘
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#周波数
#命

思い出せた声 〜藤堂富美子さん物語8

言葉にできない変化の余韻

──何かが、確かに変わっている。その「何か」をうまく言葉にできずにいるのがもどかしい。けれど、言葉にできないからこそ、大事にしたくなる気持ちもある。

昨日の対話の余韻が、まだ胸のあたりに柔らかく残っている。自分の声が変わったと指摘された時は、死角から張り手が飛んできた感覚で、言われている意味を理解できずにいた。ながらも確かにあの瞬間、何かが解けたような感覚があったのだ。

「富美子」という名前を、これまで避けていたわけではない。私はこの名前と、まともに向き合ってこなかった。だからこそ、「私の中に住む他人」という感覚があったのだ。あくまで書類の上だけの「私」で、そこに生きた感情を通わせることがなかった。

──それでも、あの時は違った。龍先生とのあの瞬間、私は確かに「富美子」だったのだ。今振り返ってみてよく分かる。湧き上がってくる想いは、まるで誰かに呼びかけられているようでもあり、私の奥から湧いてきているようでもある。どちらにせよ、今までとは確実に違っている。

富美子という名の奥にいた私

思い出せた声 〜藤堂富美子さん物語8(幼き富美子ちゃん回想)

富美子という名の奥に、まだ私の知らない私がいる。かつその存在を、ようやく「迎え入れる準備」ができたような気がした。龍先生も、本名を人生と照らし合わせて再定義できたからこそだと語っていたように、確かに今は絶好のチャンスだ。

私はどう生きたいのだろう?私が「心の底から望んでいる私」って?「与えられた人生」じゃなく、「私だけの船で帆を掲げる」なら、何をどうすればいい?娘 雅子からの一言をきっかけに、今まで考えたこともないようなことに思いを巡らせるようになった。

「これでいい。」────その言葉が、ふと心に落ちてきた。取り繕う必要も、整った結論も、いらない。ただこの一歩を、自分の意志で選んだことが、何より確かなことだった。「よくやった!」と褒め讃えられているような気持ちが芽生えてくる。

再び届いた、導きの声

そして、次の一歩をどう進めていくか、考え始めていた。そんな折に、真紀子さんからメール。

「富美子さん

先日はありがとうございます。信頼尊敬する龍先生をお繋ぎできましたこと、本当に嬉しく感じています。

龍先生との対話を交えて思えたのが、共通点の多さと深みです。やはり富美子さんとは、出会うべくしてお会いしたような気がしてならないんです。

またZOOMで語り合ってみませんか?」

嬉しい。今の私においては、真紀子さんは通過点の目標的人物としてふさわしい。私の方からお誘いしたいと考えていたら、真紀子さんから連絡いただけるなんて!」

「もちろん、喜んで!」と返信し、日程調整。お会いできるのが楽しみだ。

#感情
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私の「これでいい」〜藤堂富美子さん物語7

富美子さんの場合は以下のとおりですが、あなたの名前にはどんな人生が眠っているのでしょうか?誰しも与えられた名前で人生を始めますが、名乗ってきた名前で人生を語りがちです。

本名と芸名──2つの名前を生きてきた1人の女性。自分の「本当の名前」と向き合った時、何が起きたのか?あなたご自身の名前の意味を見つめ直すヒントとして、この物語をお読みいただけたら幸いです。

私の「これでいい」〜藤堂富美子さん物語7(声の変化を指摘された驚き)

芸名と本名

当日。ZOOMの画面越しに、龍 庵真と再び顔を合わせた。

「ご無沙汰しております。改めまして、本日は対話の時間をありがとうございます」

礼儀正しく挨拶を交わすと、彼はごく自然に問いかけてきた。

「こちらこそありがとうございます。まず今、富美子という名前を目にした時、どんな印象をお持ちになりますか?」

少し間をおいて、語り出せた。まだ富美子への違和感を拭えない。

「正直に申しまして・・・富美子は、公的な書類にしか存在していないような感覚があります。私は15歳で名取となり、藤間美雅(ふじまみやび)という名をいただきました。以降、すべての稽古、舞台、弟子との関係──人生のあらゆる場面で、美雅として生きてきましたから」

彼は穏やかに頷き、続けた。

「なるほど。富美子は、現実世界における公的名義ではあるが、ご自身の人生の物語においては登場してこなかった、と」

「はい。自分でも、使わないうちに他人行儀な名前になっていたのだと思います。親がどんな願いを込めてこの名前をくれたのかも、実は知らないんです」

「そうでしたか。では、美雅の方が呼ばれ慣れていますか?」

「はい。確かにそうなんですが、今は富美子でお願いいたします。娘からの一言がきっかけで、美雅を生きることに疑問を抱くようになりました。富美子の生き方を追究したいです。」

「名乗ってきた人生」と「名付けられた命」

龍先生は少し画面から視線を外し、言葉を探すように間を取ってから話し始めた。

「名乗ってきた名前は、美雅さんが努力し、誇りと責任をもって生き抜いてきた証です。一方、名付けられた名前は、たとえ意識されなくても、生まれた瞬間に与えられた命(めい)の音でもあります。これは人生の『初期設定』として、富美子さんの生き方を無言のまま支え続けてきた可能性があります」

「初期設定、ですか・・・?」

「はい。富美子という名前には、富──豊かさの象徴と、美子──美しさの受容という2つの要素が含まれています。しかも子で終わる名前は、時代的背景から見ても女性らしい理想像を内包させられてきた側面もあるんです。

かつ総画の53は、ビジョニストと名付けており、理想を語り実現させていくことに生きがいを持たれています。富美子の24画は、おもてなすというホスピタリティ性。とてもいいバランスですよ。」

富美子は、画面越しの自分の姿をぼんやりと見つめながらつぶやいた。「・・・そんな意味があったなんて・・・・・・」

「極め付けは『と』です。『とうどうとみこ』という7つの読みの中の3つ。これには意味があると思いませんか?

「言われてみればそうですよね。あまりに当たり前で気づきませんでした。」

「はい。『と』の意味は、
・見えないものを見える化させ、測る
・とどまり、定着する。落ち着く
・切り替える
等があります。解釈次第でまだまだ無尽蔵につながりますけどね。だからこそ、人生は解釈次第だと結論づけきれるんです。」

「なるほど!」

「富美子さんは、名前の由来を全く知らないんですよね?私も同じで、父方の祖母が名づけて理由を語ることなく亡くなりました。だからこそ、私自身で再定義することにしたんです。そういった意味では、今が絶好のチャンスかもしれませんね」

「すごい・・・・・・・・・!」

私の「これでいい」

「おそらく美雅さんは、藤間という家系や流派を継承する重圧と誇りを同時に背負ってこられたのでしょう。15歳から芸名で生き続けるということは、本来の人生の選択肢が閉じられていたという見方もできます」

「はい・・・。気づかないうちに与えられた道を歩いてきた気もします。けれど、美雅であることに誇りは持ってきたつもりです」

「もちろん、それは素晴らしいことです。でなければ、TV出演なんてあり得ないでしょうから。今お伝えしようとしているポイントは、その誇りの奥の富美子です。まだ使われていない富美子の資質や視点が眠っているとしたら? それを今、丁寧に向き合ってあげることが、富美子の承認『これでいい』なんです。それは美雅の承認にもつながります」

「初めて富美子という名前を、身近に感じた気がします。私の中にいながら、遠い別人でしたから。」

「富美子さん。明らかに今までと違った声。分かりますか?」

「え!?そうなんですか?」

「そうですね。明らかに違っています。今までのお客様方でも、私とご縁する中で例外なく声が変わっていかれるんです。ずっと不思議でしたが、合点が入ったのが、周波数。声も周波数というエネルギーでできています。ということは、相応の気づきがあったんでしょうか?」

「はい。おっしゃるとおりです。富美子と美雅、2つの名前で1人なんだと理解できました」

「そうでしたか。よかったです。私も龍 庵真というビジネスネームを名乗っています。夢で自己紹介していたことがきっかけで名乗ることにしました。広報的役割を担っており、本名では見れない世界を味わうためにあると考えています。本名は錨であり、総本部のような存在。龍 庵真は実務的な本部なので司令部というとらえ方をしています。」

「そうなんですね。では私の富美子と美雅も、同じようにまとめた方がいいでしょうか?」

「そういえば似たような位置付けですよね。富美子さんがいいと思うように活用してください」

私の中で、「富美子」と「美雅」という2つの名前が、一本の線でつながり始めていた。


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小さな決断〜藤堂富美子さん物語6

小さな決断〜藤堂富美子さん物語6

翌朝の静けさ

翌朝。洗濯物をたたみながら、昨日の対話を何度も思い返していた。

「名前は、守るものではなく現れるもの」が、夜を越えても胸の奥で響いている。

長年、美雅という芸名に誇りを持ってきた。弟子にも、舞台にも、恥じない生き様を刻んできたつもりだった。それは「私であり続けるための鎧」でもあったのだと、今さらながら気づいたのだ。

言葉にうまくできないが、鎧は錆び付いており、磨くことを怠っていたのだ。かつ、今までの磨き方ではダメで、全く新しい何かが必要な気がしてならない。そもそも鎧をまとい続けている必要があるのだろうか?

本当に「守るものではなく現れるもの」ならば、鎧をまとわずとも名前は現れてくるはずだ。私は娘 雅子にも、弟子たちにも、この鎧を着せようとしてきたのかもしれない。

選ばされてきた人生

思い返せば、舞踊の世界に入ったのも、名を受けたのも、「流れ」だった。自らが明確に「これが私」と決めた記憶がない。名前も立場も、人間関係さえも────与えられたものを受け入れ、守ることに必死だった。

もはや「選ばされてきた人生」では、もう立っていられない。

「富美子さんの人生、きっと変わりますよ」真紀子さんの言葉が、今は現実味を帯びて胸に残っている。変わりたい。変わらなければと思っている。でも──どう変わればいいのだろう?何を望んでいるのか、自分でも分からない。

「姓名承認」なるものも、まだ完全に信じているわけではない。占いでもなく、改名でもなく、自分で自分の名前と向き合う?・・・それで何が変わるのか。

それでも確かに、昨日の対話の中で、初めて「もっと自分の名前を深く知ってみたい」と感じた。昨日のご縁が、心にわずかな灯をともしている。

真紀子さんがしきりに言っていた、「似ていると思うんです、私たち」──私に見えていない何かが、真紀子さんには見えているのかもしれない。

「美雅」としての名を、ここで閉じるのではない。「富美子」である私が、どう解釈するのかを選ぶのは、私自身だ。

小さな「決断」

富美子は、携帯端末を手に取り、慎重に文字を打った。

「真紀子さん

昨日はありがとうございました。
龍先生の言葉、一晩たってもまだ胸に残っています。

私・・・自分の名前を、今までとは違う視点で考えてみたくなりました。
改めて龍先生がおっしゃられる「姓名承認」の機会をいただけませんでしょうか。

藤堂富美子」

メッセージを送信後、1人お茶を淹れた。私はこれまで、誰かの言葉に従うことはあっても、自ら決断したと感じた瞬間は数えるほどしかない。すぐに何かが変わるわけではない。ながらも確かに、自ら選んだ「小さな決断」だった。

「まだ私にも、これからがあるのかもしれない──いや、きっとあるに違いない」

そう思えたことが、今は何よりの希望だった。

#舞台
#人生
#洗濯物
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新たな人生へ〜藤堂富美子さん物語5

新たな人生へ〜藤堂富美子さん物語5

いよいよ富美子さんとの初対面。実際に「イメージどおりだった」「イメージとかけ離れていた」両極端に分かれています。

信じたい気持ちと信じきれない疑念

「富美子さんの人生、きっと変わりますよ」真紀子さんの言葉を、何度も反芻している。

「名前を丁寧に見つめる方」──正直、どこかうさん臭いと感じている。信頼する真紀子さんの紹介だから、1度くらい話してみてもいいかもしれない。そう思えたのは、私の中で何かが崩れ始めていたからだろう。

当日、真紀子さんと3人ZOOMの接続ボタンを押す手が少し震えていた。いつも通り、着物をまとい、帯をきちんと締め直す。

「藤間美雅として見られるのか?藤堂富美子として扱われるのか?」私が誰としてこの場に出るのか、正直まだ定まっていない。

画面が切り替わった瞬間、真紀子さんの穏やかな声が響く。

「こんにちは、富美子さん。今日はありがとうございます。富美子さんに龍先生をおつなぎできますこと、本当に嬉しいです。龍先生、どうぞよろしくお願いいたします」

龍 庵真との出会い

「はじめまして。龍 庵真(りゅう あんしん)と申します。お会いできて嬉しいです。」

見た目も話し方も、驚くほど普通だった。むしろ、あまりに気張っていないことが拍子抜けするほどだ。

「軽く自己紹介させていただきます。今まで名前と確実に20万人超は向き合ってきました。おかげさまでGoogle検索よりも速く画数を解説できます。ながらも姓名判断に疑問を感じ、「姓名承認」という造語を生み出せてから、ようやく風向きが変わってきました。

今日は、お名前についての話だと真紀子さんから伺っています。まずは富美子さんが今、何を感じていらっしゃるのか、そちらをお聴かせいただけませんか?」

名前の話じゃないの?と心の中で思ったが、自然と話し始めている自分に驚いた。

守るべき名前と崩れゆく型

「私は日本舞踊を15歳から63年にわたって継続してきました。特に名前に関しては、守らなきゃいけないものだと思ってきました。娘にも、弟子にも、絶対に崩せない『型』として──でも最近、もうその型が意味を持たなくなってきて・・・。」

彼は頷くだけ。何も評価しない。ただ、黙って聞いている。

「私、芸名の藤間美雅(ふじまみやび)という名前に誇りを持ってきました。でも今、それを語るのが、どこか恥ずかしいんです。・・・いや、恥ずかしいというより、本当の私とは違う気がしていて。

なぜなら娘からの一言を機に、今までやってきたことの過ちに気づいてしまったんです。それからというもの、何をやっても失敗する気持ちが湧いてくるんです」

名前と「本来・本当・本物」

少し間をおいて、彼が口を開いた。

「名前は、守るものではなく現れるものだと、私は考えています。本来の名前とは、存在価値の核です。よくも悪くも、生き方やあり方がそのまんま現れてくるものなんですよ。

恥ずかしいと感じていらっしゃるということは、成長や発展の兆しでもあります。顔に泥がついていても、鏡を見たり誰かに指摘されなければ分かりようがありません。気づけてよかったですね。」

「よかったですね」が、胸に刺さる。
名取としての名を守ってきた私には、裏切りにも似た響きだ。過ちを指摘され、追い詰められていくような先入観を抱いていたイメージからは、ずいぶんかけ離れている。

「富美子さんは、『本来』『本当』『本物』の違いって分かりますか?」

「初めて考えます。気にも止めませんでした。」

「まず本来とは、生まれたままの純粋無垢な状態。そこに経験が加わって本当です。さらに同時並行な場合もありますが、価値が加わった状態が本物です。

先ほど、『本当の自分とは違う気がして』とおっしゃられましたね。そう感じてしまうのは、富美子さんが成長したからです。次のステージがあることを知ってしまったんですよ」

「・・・そんなとらえ方は、今までしたことがありませんでした。」

新たな人生の出発記念日

真紀子さんがニコニコしながら聴いている。
「富美子さん、どうぞ感じたことをどんどん話してください。ここでの情報は、誰にも漏らすことはありません。私は、今日が富美子さんの新たな人生の出発記念日になると信じています」

「私、まだやれるんでしょうか?」

「当たり前じゃないですか!私なんて、叩けば埃だらけですよ!それでもちゃんと生きています。人生って、立体構造なんです。苦しく辛い出来事は、後の感謝や感動に変わります。チャンスは不幸の顔してやってきますから」

「そう言っていただけると、なんだかとても楽になれます。真紀子さん、本当にありがとうございます。では、何から話していきましょうか?・・・・・・・・・」

30分経たずに終わってしまうイメージが、結局2時間に。初対面の方に、こんなにも言葉が溢れ出てくるなんて、初めての体験だ。

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名前に揺れる夜〜藤堂富美子さん物語4

名前に揺れる夜〜藤堂富美子さん物語4

静けさと雅子への衝動

真紀子さんとの対話が終わったあとも、しばらく画面の前から動けなかった。

あの短い時間に、私は確かに話していた。けれど、それ以上に聴いていただけたような気がする。画面が消えたあと、空気の音が急に聴こえてきた。久しぶりに、自分の中の静けさに思い出せた感覚だ。

今、雅子にたまらなく会いたい。けれど──会って何をどうしたいのか?謝りたいのか?「ありがとう」を伝えたいのか?もう一度だけ母としての誇りを語りたいのか?

筆が進まない。どんな言葉を選んでも、どこか「私の正当化」になってしまう。

真紀子さんの提案

その夜、真紀子さんからメッセージが届いた。

「富美子さん。今日はありがとうございます。よければ、おつなぎしたい方がいます。お会いしてみませんか?私がとても信頼している方で、名前をとても丁寧に見つめていらっしゃいます。

富美子さんと話していて、昔の私を思い出しました。まだよく分からない点はありつつも、似ている点がありそうな気がしています。今の私は、彼のおかげでもありますから。

富美子さんの人生、きっと変わりますよ」

自問自答

名前────────
舞台で生きてきた「藤間 美雅」と戸籍上の「藤堂 富美子」。私はそのどちらでもあり、どちらでもないのかもしれない。

「名前を丁寧に見つめて・・・」とあるが、名前を丁寧に見つめたところで、何が変わるの?名前なんて呼ばれるための識別情報よね?真紀子さんがおっしゃられるなら、会ってみてもいいけど、また新しい名前や印鑑なんて作らされるのかしら?家族そろって象牙の3本セット買ったじゃない。また?

名前を変えたところで、雅子との信頼関係がよくなるわけじゃないだろうし、私の過ちが解消されるわけでもない。私の人生は失敗だったのだ。これからどんどん転落していくのかしら?

いったん歯車が狂い始めると、至るところで不協和音が起きてくると聞いていたが・・・。まさか私がそんなことに陥るとは、考えてもいなかった。周囲の幸福そうな家庭が羨ましく思えてくる。私だって必死に生き抜いてきたのだ。「ハシゴのかけ違い」が、こんなにも深く、自分を迷わせるものだったとは。けれど──名前を見つめることで、何かが変わるのだろうか?今の私は、ただ湧き出てくる問いに立ち尽くしている。

信じてみよう

湧き出てくる感情と向き合ってみての結論。やはり会ってみようと思う。決め手は、真紀子さんの最後の一言「富美子さんの人生、きっと変わりますよ」。「彼」というから男性なのだろう。

嬉しかったのが、こんな私と真紀子さんが「似ている」と言ってくださったこと。私も真紀子さんのように、輝ける日が来るかもしれない。雅子との和解ができるかもしれない。

期待と不安が行き交いつつも、日程調整の返信を終え、眠りにつけた。30分経たないうちに終わるかもしれないが、真紀子さんを信じてみよう。

#ありがとう
#感情
#舞台
#信頼関係
#魂

自分を語ってもいい〜藤堂富美子さん物語3

自分を語ってもいい〜藤堂富美子さん物語3

言葉にしてしまう恐怖

──コメント欄に返信が届いてから、何度もその文章を読み返している。

「『自分が崩れていく音』とはどういうことなんでしょう?よろしければ、ぜひお聴かせいただけませんか?」

何でもないような言葉。でも、どこまでも優しく鋭かった。読み返すたびに胸が詰まる。すぐに返事を書こうと思ったのに、できないでいる。言葉にならないのではない。言葉にしてしまうことが恐怖なのだ。

画面を閉じて、しばらく考えた。そして、ふと思い立ち、鏡の前に立った。

帯で整える芯

「そうだ、帯を結ぼう」

人と会う予定もない。誰に見せるわけでもない。でも今、私は自分自身のありようを整えたい。箪笥の奥にしまっていた淡い藍色の名古屋帯。軽やかながら芯のある一本。お気に入りの1つだ。

自分の手でゆっくり結んでいく。ひと結び、ひと呼吸。帯のひと巻きごとに、心が落ち着いていくのが分かる。

「私はまだ、言葉にならないものを抱えたままでいる」
「でも・・・それでも、伝えてみたいのかもしれない」
「このままでは絶対にダメだ。どうしても変わりたい。一歩を踏み出したい」

自分を語ってもいい

帯を締め終え、スマートフォンの画面を開く。メッセージ欄に、少しずつ言葉を綴り始めた。

ーーー

佐藤真紀子さん

コメントを読んでくださり、ありがとうございます。
あの一言に、どれだけ救われたか、うまく言えません。

「崩れていく音」というのは──
私の中にずっとあった型が、今、音を立てて壊れていっている感覚です。
それは恐怖でもありますが、どこかで「ようやく」という安堵も混じっています。

この歳になって、初めて「自分を語ってもいい」と思えた気がしています。
よろしければ、少しだけお話しさせていただけましたら嬉しいです。

ーーー

送信ボタンを押したあと、自分の姿を鏡で見た。久しぶりに、自分の顔が「私の顔」に見えた気がした。

毅然とした雰囲気と魅力

メッセージのやりとりから数日後、
「もしご都合よければ、一度だけZOOMでお話ししませんか?」
真紀子さんからの提案が届いた。

迷ったが、その迷いこそが「行くべき方向」だと、今回は思えた。

約束の午後。髪を軽く結い、帯を締め直し、画面の前に座る。

パソコンに映し出された真紀子さんの顔は、写真よりもずっと柔らかく、芯を持っていた。何があっても動じない、毅然とした雰囲気に、魅力に吸い込まれていく。

「初めまして。お会いできて嬉しいです」
「・・・こちらこそ。少し緊張していますけど、ありがとうございます」

2人とも微笑み、しばらく言葉がない。ながらも沈黙が気まずくないのは、久しぶりだ。

「崩れていく音・・・という表現が、とても印象的でした」真紀子さんから。

私は、小さく頷いた。ほんの少しずつ、語り始めた。

矛盾

「私は、舞にすべてを捧げてきた人間です。弟子たちには厳しくしてきましたし、娘にも・・・ずいぶんと、ですね。でも、自分は間違っていないという想いがどこかにあったんです」

「それが娘からの一言で、音を立てて崩れていって・・・もう、何を信じてきたのかも分からなくなってしまって。もう何をやってもうまくいかない気持ちが湧いてくるんです」

真紀子さんは、ただ、静かに頷いていた。傾聴という言葉の価値を、初めて体感できた。聴いていただけているという態度だけで、涙が込み上げそうになる。

「型に閉じ込めていたのは・・・・・、私自身だったのかもしれません。今までの私の生き方は、失敗でした。過ちに気づかず突っ走ってきたことを後悔しています」
「でも・・・、型にはめてきたからこそ私は私ではいられたんだと思います。・・・そんな矛盾を、今も抱えています」

「・・・矛盾を抱えたままでも、言葉にしてくださって、ありがとうございます」

真紀子さんがそう言った時、やっと「私は自分の話をしてもよかった」のだと気づいた。画面越しに深く頭を下げた。それを見た真紀子さんも、穏やかに微笑んだ。

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揺らぎ〜藤堂富美子さん物語2

揺らぎ〜藤堂富美子さん物語2

初コメント

佐藤真紀子さんのブログを開くのは、もう何度目だろう。最初はただ読んでいた。けれど、読み返す都度、言葉が自分の内側に深く沁み込んでいくのを感じる。

「私は、誰の人生を生きてきたんだろう?」「私が追い求めてきた幸せって何?」そんな問いが浮かんでは消える。ブログの一文に、ふと目が止まる。

「自分にまとう言葉を洗練し改めるだけで、人生は変わるのかもしれません。」

これまで、私は「まとうもの」として、帯や衣装のことしか考えたことがなかった。今、「言葉をまとう」という感覚を、初めて知ったのかもしれない。

ページの下部、「コメントを残す」という欄。そこにカーソルを合わせるだけで、指先が震える。

文章を書いては、消した。
「素敵な文章でした」
「私も娘を持つ母です」
「舞を生きてきました」
どれも、本当の気持ちではあるけれど、どこか誰でも書ける言葉のように思えてならない。そもそも「本当の気持ち」とは?真紀子さんの言葉を読むほどに、「私は自分の人生を生きようとはしていなかった」のだ。

芸名と本名の揺らぎ

私は今、「誰として」書くのか。それが最も難しかった。芸名「藤間 美雅(ふじま みやび)」なら、何度もTV出演したこともある。本名は、役所に用がある時くらいにしか使うことがない。娘の言葉を機に、「名取り」という権威に、全く価値を感じなくなっている。今までこんなこと初めて。

いろいろ考えようやく、1行目にこう記した。

「佐藤 真紀子 様
はじめまして。藤堂富美子と申します。」

書いた瞬間、胸の痛みを感じた。私の名前は、私がずっとまとうことで守ってきた「型」そのものだった。

「この名前を、公共以外で誰かに見せるのは、何年ぶりだろう?」心の中でそう思いながら、続けて書いた。

「長年、日本舞踊を通して生きてきました。今、思いがけず自分が崩れていく音に耳を澄ませています。

あなたの文章に、女性らしいしなりと凛とした覚悟を感じました。どこかで・・・・舞と同じ匂いを感じます。

勝手ながら、コメントさせていただきました。ありがとうございます。」

送信ボタンに指を置いたまま、しばらく動けなかった。この差し出すという行為に、まさかこんなに多くの感情が詰まっているなんて。その時ふと──「これでいい」という思いが、胸に沁み渡っていった。

心の揺らぎ

次の日。返信が届いた。

「藤堂富美子さん──お名前の響きに、舞うような静けさと強さを感じました。
コメント、心より嬉しく読ませていただきました。『自分が崩れていく音』とはどういうことなんでしょう?よろしければ、ぜひお聴かせいただけませんか?」

たったそれだけの言葉だったが、感極まる思いが込み上げてくる。娘の一言から今までで最も「届いた」と思える言葉だった。真紀子さんへなら、この心の揺らぎを言葉にしてもいい──そう思えてしまう。

舞台でもTVでも、いかなる状況でも物怖じすることはなかった。真紀子さんからは、私の虚無感や偽者感を見透かされそうだ。逆を言えば、それだけ真紀子さんに見てほしい。・・・いや、見抜いてほしいのかもしれない。

──そして、娘のことが脳裏によぎった。

娘に今までの過ちを謝罪しても、本当の意味でお互いのわだかまりが消えることはないだろう。謝罪よりも、「雅子のおかげで」と言えるようなことになれば、感動を分かち合える。きっと雅子は、そんな結末を願っているのではないだろうか?

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崩れゆく誇り〜藤堂富美子さん物語1


崩れゆく誇り〜藤堂富美子さん物語1

気づいてしまった

「・・・それって、お母さんの満足じゃない?・・・・・・・」通話後も、しばらく携帯を手に持ったまま、動けない。衝撃的な娘からの一言。

雅子が舞を始めたのは、小学2年。同級生がバレエを習い始めたのに触発されたのがきっかけだった。「だったら、うちは日本舞踊よ」と笑いながら始めさせた。

最初は物珍しさを楽しんでいた。私の目には、娘の才能が確かに見えた。「この子は私よりも大成する」今となってはただの親バカだったのだろうが、当時は揺るぎない確信があった。

だからこそ、稽古は厳しくした。
「舞は甘くない。遊びじゃない」
「気持ちで踊ってはダメ、型がすべて」
何度も泣かせてしまった。

中学に上がる頃、雅子は何度か「やめたい」と言った。その度、言葉を選ばずに返した。

「せっかくここまで来たのに、やめるなんて無責任よ」
「あなたは本当に、惜しい人ね」
「本気でやったこと、一度でもあるの?」

あの時、どんな顔で言ったのだろう?──その時の雅子は泣かなかった。ただ、無表情。

その後、雅子は舞の道には進まず、教員の道へ。今でも趣味として続けてくれてはいるけれど、「母の顔色を見てのこと」だったのかもしれないと気づいてしまった。自分の中の「誇り」だったものが、ただの自己満足だったのではないか?と感じている。

「私が見てきた娘の才能は、勝手な思い違いだったのかしら?」
「私は母親として、娘に何をしてあげたのかしら?」
「舞台の拍手は聞こえても、あの子の小さなため息は聴けていたの?」

崩れゆく誇り

私は、着付け塾「舞乃庵」を主宰する藤堂富美子(とうどうとみこ)、77歳。かつて日本舞踊の名取として舞台に立ち、今は後進の指導にあたっている。弟子の数は年々減り、後継者も見つからないまま。それでもこだわり続け、凛と帯を結び続けている。

会社員だった夫の定年後、5年経たずに看取る。肝臓ガンだった。1人娘の雅子も巣立ち、孫も成長した。やり尽くしたと充実感を持っていた、昨日までは。 今、積み上げてきたものが音を立てて崩れていっている。

「そもそも私は、何のために生きてきたのかしら」
「結局私は、何も遺せないまま死んでいくんじゃないの?」
「ただ舞にしがみつく老女になってしまうの?」
「後継者がいないのも、皆が雅子と同じように私の顔色をうかがってきただけなのかしら?」
娘 雅子からの一言で、現実が浮き彫り化されてきた。今、得体の知れない恐怖感という闇が湧き出ている。

「このままでは終われない──とはいえ、どこへ向かえばいいのか分からない」
「誰かに話したい。けれど、話したところで変わりそうに思えない」
「何もかもがダメに思えてくる。何をやっても失敗しそうな気持ちになる」

歳月を慈しみ、なお花ひらく

初夏の日差しが爽やかな午後、久しぶりに書店へ。本を買うつもりはなかったが、なんとなく足が向いた。書店に入って即目に止まったのが、『婦人画報』。表紙の色合いが優しくて、よく読む愛読書の1つ。

「何かを探していた」というより、「何かが自分の中からほどけてくれるのを、待っていた」のかもしれない。表紙の「歳月を慈しみ、なお花ひらく」という言葉に惹かれていった。

ああ、なんて美しい言葉。それは「頑張れ」でも「前を向け」でもなくて、「今のままでも、咲けるんですよ」と、そっと肩を撫でてくれるような響き。

ある女性の写真が目に留まった。──佐藤真紀子さん。どこかで見たことがあるような、でも初めて出会うような、不思議な気配をまとう女性。

服を仕立てるアトリエで静かに佇むその姿から、派手さは一切感じないながらも、言葉1つひとつに、静かな力が宿っている。

「娘が巣立ったあと、何もない自分と出会えた気がした」
「そこからもう一度、自分に似合う服を探したくなったんです」

私は・・・《何もない自分》を、いまだに怖がっているのかもしれない。

型を持たぬ言葉に救われて

長年、舞だけに人生捧げてきた。教えて、舞台に立ち、結い、支え、怒り、泣かせ、・・・。「私はそれでよかったのだ」と信じてきた。最近になって少しずつ、その信じていたものに亀裂音が響いていた。なんとなく気にしていたことが、娘の一言で一気に崩壊していったのだ。

気づけば、スマートフォンで彼女の名前を検索して、SNSやブログもすぐに見つけた。どの記事も、肩肘張っていなくて、等身大で、でもどこか品のある空気に包まれていて。読みながら、何度も深呼吸している。

そしてふと──「・・・この人に、一度会ってみたい」そんな気持ちが、ふわりと湧き上がってきた。

人と会うのが億劫だったのに、誰かに気を遣って言葉を選ぶのが面倒だったのに。この人なら、何も飾らずに話せる気がした。

あれほど「型がすべて」と言いきってきた私が、型のない言葉に救われる日が来るなんて──ようやく、言葉にならない何かが、ほどけ始めた気がした。


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家族の絆と自己理解〜田中健太郎さん物語6

家族の絆と自己理解〜田中健太郎さん物語6

家族との対話

オンライン面談から数日後の夕食時。​健太郎は家族と食卓を囲んでいた。​妻の恵美子、娘の恭子、息子の健太。​それぞれの顔を見ながら、先日の「ライフプロファイリング」の話を切り出そうとしていた。​

「先日聞いたんだけどな。『ライフプロファイリング』って知ってるか?」

家族は首をかしげる。​そのまま続けた。​

「ライフプロファイリングは、誕生日や血液型などの情報から個人の特性を分析する手法で、約20年前から研究が進められているらしいよ。占いではなく、データの意味さえ分かれば誰にでも読み解けるんだ。人にはそれぞれ、生まれ持った色や性質があるんだ。例えば、私は『赤海公』なんだって」

恵美子が興味深そうに尋ねた。​

「それって、どういう意味なの?」

「赤は情熱、海は包容力、公は社交性を表すらしい。だから、情熱的だけど周りとの調和も大切にする性格なんだとか」​

恭子が微笑みながら言った。​「お父さんらしいね」

家族の色

私は少し照れながらも、家族一人ひとりの色について話し始めた。​

「お母さんは『紫炎空』。紫はアイディア力・炎は情熱・空は自由を表す。だから感性が豊かで、自由な発想を持っているんだ。」

恵美子は驚いた表情を浮かべた。​

「そんなふうに言われると、なんだか照れくさいわね。そういえば、昔から新しいアイデアを考えるのが好きだったわ」

「恭子は『緑炎空』。なんと3人とも、色が違うだけで3つのうち2つが同じだって。310億パターンだから同じ箇所があるだけでも稀なのに、やっぱり親子なんだな。

緑は調和。人との調和を大切にしながら、情熱を持って自由に生きるタイプだそうだ。自由に生きたいからこそ、意味づけをして価値を見出したくなるんだろうな」​

恭子は笑顔で答えた。​

「なんだか、私のことをよく知ってるみたい。だから人との調和を大切にしながらも、情熱を追求してきたのね」

「健太は『黄炎空』。黄色は好奇心。新しいことに興味を持ち、情熱的に取り組む自由人だってさ。健太の場合特に、感情豊かだからよく出てきてるよな」​

健太は照れくさそうに頭をかいた。​「へぇ、なんか俺らしいかも。新しいことに挑戦するのが好きなのは、そのせいかも」と笑う。

家族の絆と自己理解

・私の「赤海公」の情熱と包容力が、家族の中心としての役割を果たしている。​
・恵美子の「紫炎空」の自由な発想が、家族に新しい風を吹き込んでいる。​
・恭子の「緑炎空」の調和を重んじる性格が、家族のバランスを保っている。​
・健太の「黄炎空」の好奇心旺盛な姿勢が、家族に活気を与えている。

健太郎は家族の色を知ることで、改めて家族の個性や魅力に気づいた。​それぞれが持つ色や性質が、家族の絆をより深めていることを感じた。​かつ私自身の色を再認識することで、家族との関わり方にも変化が生まれ始めていた。​

職人時代に「3軒建ててみれば分かる」と師匠から教わったことを思い出した。私自身、社員たちに言ってきたことだ。経験を通じて自己理解が深まっている。今回も、家族を通じて自分を顧みることができた。「自分を知る」なかなかおもしろい。

「これからは、お互いの色を尊重しながら、もっといい家族になっていこう」​の言葉に、家族全員がうなずき、笑顔を交わした。​社員のことも把握してみたら、より理解が深まっていい関係が築けそうだ。​尊重し合うことで、より深い理解とつながりが生まれてるだろう。

理解するほどに深みが増してくる予感に、期待と不安が入り混じっている。今までにないワクワクした気持ちが芽生えてきた。

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