私は嫌われている?
先日ある女性Kさんからの相談で、「Tさんにアドバイスしても、結局は屈折した解釈をされてしまいます。私は嫌われているんでしょうか?」と訊かれました。
私もTさんを存じておりますが、嫌っているようには見えません。Kさんの独りよがりじゃないかとも思いますが、「私は嫌われている」と思い込んでしまっており、払拭できそうにないと判断しました。
もともと私自身、「誰からも嫌われている」と勝手に決めつけていました。「勝手に孤立してんなよ!」と叱りつけられた時の《ハッと感》は、鮮明に覚えています。
結果、納得していただけました。「嫌われている」から「嫌われてもいい」と、許せる気持ちになっていただけたようです。
「そうなんですね。分かりました。では、TさんがKさんを本当に嫌っているとしましょう。KさんはTさんにおいて、過去に嫌いだったおばさんとそっくりだったから、Tさんが嫌いになっているならいかがでしょうか?」
好き嫌いの真相
一貫して謳ってきたポイント。「感情と記憶は、あなたご自身だけのものではない」のです。
例えば私は、奥さんが大好きです。しかし「なぜ?」と訊かれてもうまく答えきれません。明確な根拠がないながらに、奥さんと一緒になれただけで人生の半分以上は成功だと感じています。奥さんを幸せにしたい情熱が、自然と湧いてきます。
好きだという感情は、あなただけの個人的なものではありません。ご先祖様や過去生等の感情が大いに影響しています。「霊魂の憑依ランキング」という記事で書きましたが、あなたが未来へ生きているように見えても、実質的な内容のほぼ全ては「過去の清算」です。
「ハネムーン離婚」なんて言葉が流行した時期があります。好きで結婚したが、新婚旅行で嫌気がさして離婚というものです。「好き」という感情の正体は、「知りたい」という興味関心です。ご相手のことを、ご本人の興味ある分野すべてを知った時、「好き」という感情は湧かなくなります。「私、なぜ好きになってしまったのかしら?」となります。
人生全てが学び
結婚して苗字が変わる場合にも適用できます。分かりやすく「A原 S子さん」が結婚して「D川 S子さん」に変わったとしましょう。S子さんは、「A原 S子さん」当時から「D川 S子さん」のような生き方を望んでいました。離婚等を経て「A原 S子さん」へ戻るなら「D川 S子さん」の興味関心が薄れ、勉強の期間が終わりを迎えます。
一般的に男性は、結婚しても苗字が変わることは少ないですが、同じく適用できます。なぜなら名前から見出されるものとは、性質・素養だからです。同姓同名で誕生日・血液型・性別等全く同じ方がいたとしても、同じ人生を歩むことはあり得ません。バックボーンである環境が同じなわけがありません。出会いによって、価値観は大いに変わっていきます。
好き嫌いや長所短所を、感情で表面的に判断するのは、本当にもったいないことなのです。同じ出来事でも、さまざまな視点から多角的に観ていくことで、気づきが深まり広がっていくのです。
人生は、全てが学びなのです。