元共産主義者の言い分。
2つの人種
前にある方との対話で、「事故で起こったケガなんてのは関係ないでしょ?」と質問されました。
「あらゆる症状→大半が股関節か臓器→生活習慣→考え方→生い立ち→本来あるべきあなた。すべてに必ず原因があります! 」
と話していた時でした。彼が事故でケガをし、散々な目に遭ったとぼやいていた最中に。
2つの人種に大別する時の見方として、「偶然or必然?」という視点があります。質問してきた彼は、偶然派でしょうね。ながらも、「生き方」にものすごくこだわりを持たれた宗教指導者。生き方に対するこだわりと、起こった出来事に対する捉え方は、いつも同じとは限らないようです。
起こるすべての出来事を「偶然」だととらえると、どんな問題が起きるのか?
目的意識と自殺率
知り合いのジャーナリストさん(素晴らしく尊敬する方)に、前に言われて気になっていたこと。UNが2015年に調査したもの(国別の自殺率順リスト)で、旧社会主義国や韓国が多いです(話を聴いたのは2009年でしたが、当時は日本が3位でした)。日本は17位ですが、見せかけで「計画的自殺」が増えていると、見なしています。
理由はジャーナリストさんいわく、「社会主義の考えを持った国の方は、目的意識を見失いやすいんですよ。目的意識がぼやけて来ると、存在価値を見出せなくなります。」
もともと社会主義(共産圏)の思想を持っていながら、これじゃダメだと資本主義制に変えつつも、方向性に戸惑っている状況がうかがえます。だからこそ、内戦が起きてしまう・・・。韓国は北朝鮮との対抗意識から、無意識に影響を受けているのか?ミイラ取りがミイラになってしまうように・・・。
個人的には、日本はかなりの社会主義国だと見なしています。自衛官として公務員に在籍していて、肌身に感じています。報道が捻じ曲げまくられて伝わっている現状はじめ、表面的に資本主義ぶっているだけだです。
マルクスのしくじり
先日、TV「しくじり偉人伝」で、共産主義の提示者マルクスの話題。オリラジの中田が、分かりやすく解説していました(もちろん「ここは違う!」って部分もありましたが・・・)。「最もなしくじりは、【人類に夢を見せるだけ見せて、大パニックに陥れた先生】」なるほど!
私は、自衛官でありながらも共産主義者でした。マルクスについて、かなり関心持った時期があります。なぜ私は惹かれたのか?共通点は何だったのか?
「私たちが願っているものは、『続・資本論』じゃないでしょうか?靴を履いていない方は、世界にまだたくさんいます。夢じゃなく、明確な代案を載せた社会を築きましょうよ!」という締めくくりに納得です。
あなたは、結果的存在
今のあなたは、例外なく過去に原因があります。将来どうなっていきたいかは、今の「私」の選択に左右されます。将来を真剣に考えるなら、過去の経過を見つめなければ見えてきません。過去の忌まわしい記憶が解放された分、新しい未来が拓けてくるでしょう(フラッシュバック)。
あなたは、「偶然」「必然」どちらを選択しますか?
私は元々偶然派でした。やはりその当時は、強烈な自殺願望を抱いていました(自殺はできないと知的理解をしていましたから、誰かに殺されるか、事故にでも遭うことを願っていました)。
「誰か強盗でもやらんかな?そうすりゃ俺が真っ先に犠牲になりに行くょ(なんて責任転嫁でしょう(+o+))」なんて・・・。まさに死に場所を探していました。
ある講話でこの話(あなたは、「偶然」「必然」どちらを選択しますか?)を聴いて、目からウロコ的衝撃を受けました。熱心な信仰者だろうが、どんなに神様を信じてようが、「起こった出来事は偶然」と考える方はいらっしゃいます。逆に「神様なんていない!」と言いながら、「起こった出来事は必然」と考える方も。それがいいor悪いと、正否を問うつもりはありません。
結論
話を元に戻します。「事故で起こったケガなんてのは関係ないでしょ?」との質問に対して。「たまたま事故にあって、たまたまそこをケガしてしまったんですか?世界中すべての皆さんがどう考えるか分かりませんが、私は起こったすべての出来事には原因があると考えています。
“体の痛み=成長できる課題“と見なしていますから、もしかしたら体が事故を起こさせてまでも、気付かせたい何かがあったのかもしれませんね」返答はありませんでした。
各人各様、いろんな視点があっていいと思います。正否はさほど気にするものじゃないと考えています。ただ今の私には、必然だと考える方が道理に適っており、実践に努めています。
偶然だと考えるのは、原因を見つめようとしないからじゃないでしょうか?だからこそ、「物がすべてだ」と考えてしまうのかもしれませんね(-_-;)
なぜ「私は共産主義者だった」と言えるのか?それは、過去を振り返ったところで、嫌な思い出しかありません。だからこそ、「過去なんて振り返るだけ無意味だ」と考えました。無意味なものには、存在価値を感じません。考えることが億劫になり、表面的なものにしか関心がなくなっていきました。典型的な唯物論者でもありました。
本質的なものにこそ、本当の価値が隠されていると、味をしめた今。過去の共産主義者だった経験が、すごく役立っています。生涯の深奥に秘された「天命」に、すごく興味を持つようになりました。
世界中すべての皆さんが天命を見出し、国境が不要になる日を願ってやみません。