無関心
あなたは、マザーテレサの名言「愛の反対は無関心」聴いたことはありませんか?「愛する」とは、興味関心を持つことだと解釈しています。あなたにはいかがでしょうか?
だとするなら、興味関心を持っていない状態です。分かりやすく花に「今日も綺麗だね」ではなく「今日も汚く咲きやがって」と罵られるなら、枯れてしまう期間は早いそうですね。罵られるよりさらに枯れてしまうのは、無視だと聴いたことがあります。
私自身、セルフイメージの低さから、いじめたことがあります。その反動でいじめられもしました。最もつらかったのは、やはり無視。孤独感を一層引き立て、セルフイメージが悪なるスパイラルにハマっていく経路を理解しました。
無関心は、対象である相手以外に興味関心を注いでいる状態です。「愛する=興味関心を持つ」と解釈するなら、まさに正反対ですね。
強要
セルフイメージが上がったと実感できた節目に当たる恩師からの金言。「愛の反対は価値観の押し付け(強要)」です。
よくある典型例が、嫌われる営業マン。彼らは、売りたい商品説明をダーーッと謳い、お客様の話を一切聴くことなく買わないと見切りをつけた時点で去っていきます。
28歳当時、まさに強要営業の指導を受けたことがあります(他の多くの皆さんは、同じ内容でも強要とは解釈していなかったかもしれません)。中には成果を出す方もいましたが、私は惨憺たるものでした。成果が必ず出るからと、継続するよう強く勧められつつも、枯渇して断念しました。
「私の商品は素晴らしいんだから買ってくれ」と言いつつも、実際にお客様に届いている感覚は「認めてくれ」ではないでしょうか?興味関心の発信源をエゴに向けていれば、お客様のエゴが引き出されていくばかり。「それじゃ成果なんて出るわけないし、枯渇してくるよな・・・」と振り返ってみて実感です。
興味関心の源泉
無関心は対象以外の存在へ興味関心の方向性を定めており、強要は自分本位に自己主張ばかりであることを共有させていただきました。
脳のメカニズムより、「感謝の対義語」はじめ対義語を明確化させることで、極と極でバランスをとるようできていると仮説を立てました。幾度も検証を重ね、仮説から確信が深まっています。
先の2つを、今のあなたへ当てはめてみましょう。
・目の前の向けるにふさわしい方へ、興味関心を適切に表現しているか?
・相手が何をどう望んでおり、認めることに徹しきれているか?
が明快に押さえきれているなら、「愛している」という成果に、至りやすくなります。
他人のフリ見て我がフリ直せ。昔からよく言われることわざですね。他人もさることながら、昔の自分自身も大いに参考資料として活用できます。今できることにフォーカスし1つ1つやりきってみませんか?
道に迷い混沌とした時こそ、原理原則に立ち返ってみること。全ての答えは、すでにあなたが持っているのですから。