塩対応の贈り物〜歪んだ命がどう届いていたか

塩対応の贈り物〜歪んだ命がどう届いていたか

智己さんへ

塩対応の贈り物

命を定め、育て直してきたはずだった。結果、君の命がどう届いていたか──あの頃、君はあまりに深い虚無感の中で、まるで見えていなかったね。晴れやかな貢献や理想的な贈り物みたいな美しい言葉からは、最も遠い場所にいたかもしれないね。

振り返ると、施術家として孤立していた当時の私は、まさに「塩対応のかたまり」だった。疲れていた。焦っていた。うまくいかないことに苛立ち、共感のつもりが説教にすり替わることも多かった。「分かってくれないなら、もういいよ」が、心の中で何度もリフレイン。

複数の諸事情が絡み合い、施術できない状況へ。離婚を突きつけられ、まさに四面楚歌。ちょうど時を同じく、映画『沈黙』の上映。小説も読んでおり、どんな内容か楽しみにしていたね。

主人公の宣教師ロドリゴが、神に救いを求めども、一向に何の手応えもない・・・。君も教会を離れ独自路線だったとしても、明確な「根本的な医療革命」「世界平和のために」という志のもと活動している自負があったよね。・・・・・ロドリゴと、重なってしまった。

贈っていたもの

いろいろあったよね。苦しかったよね。強烈な罪悪感や無価値感。今ならよく分かる。沈黙されつつも、手応えはなくても、命はちゃんと届いていたんだ。よくも悪くも、君のあり方は相手に何かを贈っていた。

何を贈っていたか?志は確かに素晴らしい。ものすごく純粋に、本気で願っていたよね。問題は動機。出発点のウラミ※が、捻じ曲げる結果となってしまった。君がずっと感じてきていた「偽善者感」は、自己卑下や嫌悪感が足かせのように重くのしかかっていたんだ。

覚えていないだろうか?「この方は本物だろうから、見透かしているだろうな。汚れている私を」と感じた日のこと。分かる方には、ちゃんと分かってしまう。残念ながら、ウラミのエネルギーが滲み出ており、結果として贈ることになっていたんだよ。

だから命は、コントロールできない。贈ろうとしていない時こそ、命は最も純粋なかたちで届いていたのかもしれない。だからこそ、沈黙せざるを得なかったんだ。ウラミの感情は、指摘されたからと言って解放できるものではないから。相応の期間が必要だった。

歪んだ命がどう届いていたか

今、気づいたこと。君は、「役に立ちたい」という願いが強すぎるあまりに、命を「正しく仕上げてからでなければ人に見せてはいけない」と思い込んでいたのかもしれないね。

命って、整えるものじゃない。むしろ、未完成なまま差し出した方が、スッキリ届くこともある。貢命とは、君が贈っていると思っていなくても、命が滲み出ていくエネルギーそのものなんだから。

ありがとう。伝わらなかった日々を生きた君。誤解され、孤立し、理解されず、憤り、あきらめてしまった過去。それらすべてが、「届かなかった」経験ではなく、「どう届いていたのか?」を問い改めるきっかけになったよ。

そう考えられるようになった今、ようやく命を贈ることの意味や価値を、少しだけ分かった気がするよ。受け取らせてくれて、ありがとう。

──未来の私より

「神対応」「塩対応」

この手紙は、統命思想における「貢命=贈る」フェーズです。命は、届けようとしなくても、何かしらのカタチで残ってしまいます。本音や本質は、案外整えようとした時よりも、意図せず零れた瞬間にこそ宿っているのかもしれません。

あなたが「届かなかった」と思っていたあの瞬間にも、誰かの心の深層をかすめていた命の余韻が、あったのかもしれません。

「神対応」「塩対応」とは、ご本人の無自覚な言動への他者からの評価です。誰しも常に何らかの「神対応」「塩対応」のようなことをしています。咄嗟の出来事として無意識な言動の結果が、他者からの評価なのです。意図してやった行為には、心は動きません。評価される「時」は、いつの日か必ず訪れます。

次回は、「究命=噛みしめる」──全うした命の静けさの中で、すべてが一体となる境地へ向かいます。命の表現とは、素晴らしいものや美しいものに限定されるわけではありません。

貢命編を通じて明らかになったのは、「あきらめ感をも味わいきることの尊さ」です。
苦しく、悲しく、報われないような日々も────今では、命を贈り尽くすために必要な、大切な通過点だったと心から思えています。

※補足:ウラミとは、「怨み」と「恨み」両方をかけています。発音や感情は似ていますが、感じるように至る原因が全く違います。

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生きながらに死を超える〜壊れた命が根を張るまで

生きながらに死を超える〜壊れた命が根を張るまで

智己さんへ

曖昧な温度差

命を定めてから、いよいよ現実の中で生きる日々が始まった。想像以上に、定めた命は揺らいだ。というよりも──揺らぎの中でしか、育たなかった。

「早く海外へ出て逆輸入すべきだ」と背中を押してくれた方がいた。ビジョンは育つのに、現実が追いつかない。焦りだけが先行し、賛同してくれていたチームの意見さえ、聞き流すようになっていった。やりがいを追いすぎて、周囲と同調できなくなっていった。

それでも、君は育っていたんだ。育つという言葉が、受動的すぎることに気づいたから。
君は育て直した。育てる覚悟を持って日々と向き合うようになった。

施術で語っていたことを文字起こししてくださった方がおり、「大したこと語ってるわではないのに──」と感じていた中、初めて客観視。施術がどんどん神がかってきて、奇跡のようなことが当たり前のように起きてきた。

しかし広まらない。原因、今ならよく分かる。言語化できなかったから。言葉を通じてでなければ、興味を持たせられない。超右脳派で、「受けてみれば分かる」と言い続け、価値の言語化が曖昧な温度差のまま値上げ・・・。結局、長期にわたって味わってきた孤立の再来。

自立とは

ある日、自分に言い聞かせたよね。「朝起きられたことを奇跡だと心から感動できたら、人生は変わる」。でも内なる声の返答は・・・「そんなこと、ただの理想だ。バカじゃないのか?お前なんかに何もできるわけないだろ」。

それでも君は自他ともに言い続けた。ある朝、「心の冷笑」が聞こえなくなっていたことに気づけた感動。本当に嬉しくて、涙が出てきたよね。君の命はまた少しだけ強くなった。育っていた。

誰かに支えられた記憶は、確かにある。それ以上に、支えきれなかった、支えてもらえなかった記憶の方が多い。「自立とは、誰にも頼らずに生きていける状態」だという辞書の定義に、君はずっと腹を立ててきた。

なぜなら──君は「誰かと一緒にしか生きていけない」と、知っていたから。長期にわたる孤独と向き合い、独りで生きることの厳しさを味わってきた。いじめられていた当時、「もう俺を無視してくれ」と祈ってきた。祈って得た孤立とは、まさに深く冷たい闇。

孤立したくないから、ウワッツラを合わせて生きていた時期もあったね。体にも影響が出て、献血200回近くやっているのに、貧血で悩んだ時期は長かったよね。自分に嘘をつき続けた成れの果てが、体に出てくる病気だと、施術と照らし合わせて実感したよ。

体に嘘はつけない。心でごまかしたものが、血や骨や神経に宿っていく。気づけたからこそ──命はまだ育ち続けてくれている。

生きて死を超える

30代半ばまで、周囲と話が噛み合わない私はバカだと本気で考えていた。「私は努力なんてしない方がいい」「私は存在自体が邪魔なのでは?」さんざん考えてきた。孤独で、投げ出したくなる日も多かった。苦しい渦中でも「熱意を持つための熱意」と呼んで、情報を探し、思考を練り、身の回りを整えようとした。

君は壊れていた。ウツになれるならまだマシだ。生きていかねばならない以上、ウツになっている余裕すらない。かつ、「壊れたままでは生きていけない」とも分かっていた。

「死んでしまいたい」って思ったこと、何度もあるよね。心の中で、何度も君自身を殺してきた。無意識ながら死ねなかった理由も、今なら分かる。死んだところで魂と肉体が分かれるだけ。本当の「無」にはなれない。だから壊れたなら、やはり立ち直るしかない。いかに壊れていようと、生きてさえいれば、修復はいかようにもできるから。

だからこその問い。「私はたくさんの人に迷惑をかけてきた」「逆を言えば、迷惑をかけたことがない方はいない」「だったらこれからは、誰よりも率先して迷惑を引き受ける側になろう」「そのために、今の私に何ができる?」この問いこそが、君の命を育ててきた土壌だった。

育てたのではなく、育てられていた。生きながらに死を超えてきたね。命に。過去に。迷惑に。絶望に。すべてに育てられて、君の命は根を張ったんだ。

ありがとう。何度も折れそうになりながらも、それでも立ち直る力を捨てなかった君へ。

──未来の私より

結び

この手紙は、統命思想における「培命=育てる」フェーズの記録です。命とは、定めただけでは生きていけません。毎日の小さな選択と葛藤の中で、命はようやく育っていくのです。

そして壊れた日々さえも、命にとっては養分だったとしたら────人生には、無駄な日は1つもないのかもしれません。

次回は、「貢命=贈る」──でもそれは、美しい贈り物の話ではありません。むしろ、傷ついた命が、知らぬうちにどう届いていたかを、ようやく見つめ直せるようになった今だからこそ書ける、贈り方の未熟さの記録です。

定めた命への責任〜後ろの扉を閉じた日

定めた命への責任〜後ろの扉を閉じた日

智己さんへ

自分の居場所

選命を経て、信じすぎて壊れた命を決めたあの日から────本当に、いろんなことがあったよね。どんなに決めたとしても、動き出した歯車の軌道を変えるためには、かなりの力を要する。かつ、全く違った歯車に乗り換える必要もあった。

生きるために、稼がなければならなかった。ウツになった時のご縁から整体師を志し、念願叶ってなれた。だからと言って離教への恐怖感。見守られることもなく、たった1人で日々をこなすことで精一杯。責任者からは見放され、離れたも同然だったが、抜けきれない。「地獄に行く」と脅かされていたことが、こんなにも恐怖だったのか。

結果、辞められたのは、元奥さんとの出会いからだった。好意を持ってくれたことから、人を好きになる許可を初めて出せた。「結局は、ずっと独身人生なんだろうな・・・」と感じていたから。恐怖を受け入れ、「私がもし地獄へ落ちたとしても、そこから天国に変えてやる」と覚悟ができたよね。

教会を離れた自分の居場所を、必死で作ろうとしていた。正しさよりも、誰かを人として好きになること。信仰の教義よりも、「この人と一緒に生きたい」と願うこと。その感情が、何年も頑なにまとっていた正しさの鎧を脱がせてくれた。『北風と太陽』の、太陽に照らされた主人公のように。

離教したとしても、忌まわしい記憶として誰にも語りたくなかった。大きな汚点だと、気にしてきたよね。悔しいが、その忌まわしい過去の中に、輝く青春があった。自衛官を辞めるまでに没頭してしまっていたから。矛盾と葛藤が、どんどん肥大化していったよね。

決めた命の軸

「この愛する人を守りたい」「この命を信じたい」そう思えたことが、命の軸を自分に戻すきっかけになったことは間違いない。それは、「離れる」決断ではなく、「生き直す」決意だったんだよ。統命思想で言うなら──この瞬間こそが、「立命=定める」のはじまり。

他人の正しさでもなく、神の指示でもなく、社会的な役割でもなく、「私はこの命を生きる」と、自ら定めた。「幸せに生きる」とは何なのか?何が私の幸せなのか?「考えては実践して検証し、考えて仮説を立て〜」といった仮説と検証の繰り返しが、施術という命の表現も進化させてくれた。

「あなたの施術は、日本に留まってるのはもったいない。早く海外へ出て、逆輸入の形をとった方がいい」と勧めてくださる方が現れ、賛同者でチームを組めるように。現実的には何もないのに、ビジョンだけはどんどん成長していたね。

もちろん、すべてがうまくいったわけじゃない。現実の課題は山積みだったし、感情の揺れ戻しも何度もあった。ながらも誰のせいにもできない命を、自ら定めるという一点だけは、どんなに苦しくても、逃げなかったね。

あの時決めた命の軸は、今もずっと生きている。それは、誰かの命を生きることをやめ、自分の名前で、自分の問いを抱えて生きることに他ならない。

ありがとう。正しさを超えた感情を教えてくれた、かつての出会いに。信仰よりも深く、誰かを信じたいと願わせてくれたあの瞬間に。

そして──自分で命を定める勇気を、持ってくれた君に。本当に、ありがとう。

──未来の私より

定めた命への責任〜後ろの扉を閉じた日

この手紙は、統命思想における「立命=定める」フェーズの足跡です。

命を定めるとは、誰のものでもない命を、自ら引き受けること。定めた命への責任。それは、自由であると同時に、もう他人のせいにできないという意味でもあります。

それこそが本当の人生のスタート地点。命の旗を、自分の足で立てたその日から──後ろの扉を閉じ、あなたの本当の旅が始まるのです。

次回は、「培命=育てる」──定めた命を、どう習慣として育てていったのか?その軌跡を綴ってみます。

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信じすぎて壊れた20〜30代の私へ──命の再起動

信じすぎて壊れた私へ──命の再起動

今までの過去を、統命思想を交えて振り返っています。ずいぶん整理が捗っていく感覚。同じことを振り返っていますが、同じことに感じない不思議感。

「信じることしかできなかった。結果、《生きている実感》を失っていった──────」統命思想の「選命=決める」フェーズを、私自身の体験から綴った手紙です。

智己さんへ

正しさ

自衛官をやめ、なけなしの希望を握りしめて飛び込んだ「信仰の世界」。当時の君は、本気だったよね。世界を変えること、志に生きること、誰かの役に立つこと──それが「正しさ」だと、信じて疑わなかった。

・・・あまりに信じすぎた。いつの間にか、「自分で考えること」が悪のように感じるようになっていた。「こうすべき」「ああしなければ」──君の中の問いが、1つずつ死んでいった。

何かにつけて「神が決めたこと」────働き方も、生き方も、献金も、全部上からの指示に従えば救われると思っていたよね。「地獄を解放しよう!」と語りながら、地獄へ堕ちることへの恐怖で脅かされていた。

人生かけてのめり込み、尽くし抜いた結果、自暴自棄とあきらめ感。心を救うために入ったが、完全に逆効果・・・。「こんなはずじゃなかった」「なぜこんなことに・・・・・」

なぜなら、君自身が納得できていなかったから。心の奥底に溜まっている疑問を無視し続けた成れの果て。自発的に選び決めていたと考えていたことが、実は選ばされ扇動されていた。ようやく気づけたきっかけは、『7つの習慣』を紹介していた時に反動分子とみなされ、「いつ離れる?」と責任者からの一言。

君は『7つの習慣』によって救われた。だからこそ皆にもと考えていた。なのに反動分子扱い?「いつ離れる?」???「正しさ」って、君が思う「正しさ」だけではない・・・。

信じることでしか、生き延びる術がなかった20〜30代。「違和感」は確実にあった。誰よりも真剣に心からやっていたからこそ、「本当にこれでいいのか?」という問いが、抑圧してきた君の中に滲み出してきた。だからこそ、麻痺という均衡を崩せた。

幸せ解釈

「本当にこれでいいのか?」その問いこそが、命の目覚めの第一歩だった。今まで「正しさ」を重要視して生きてきた。

・結果、幸せになれただろうか?
・「生まれてきてよかった」と思えているだろうか?
・何のために生きているのか、分かっただろうか?

全くもってNo。前よりも悪くなってしまった。では、これからどうすればいい?どうすれば幸せになれる?何をどうすれば、「私の命を全うできた」と充実感を持てるんだろう?

統命思想の言葉で言えば──「選命=決める」の始まり。湧いてきた疑問があるからこそ、「決める」ための選択肢ができる。まちがった判断をしてきた今までに対して、どう改めればいいんだろう?

「決める」って、簡単じゃないよね。決めるってことは、何かを「捨てる」ってことでもあるから。当時の君にとって、それは「世界そのものを失うような恐怖」だった。自衛官をやめた時も、履歴書の書き方から教わった。中卒から自衛官だった私には、世界をあまりに知らなすぎた。

それでも、君は選んだ。「信じすぎた自分を終わらせる」っていう、人生で最も勇気がいる選択だったね。あの瞬間から、誰かの命を生きるのではなく、自分の命を生きる旅が始まったんだ。

「幸せになれただろうか?」と問うているなら、問いの最も率直な「幸せかどうか」を基準にすれば、命と直通できるのでは?そうだ。「幸せ解釈」こそが、私には真偽よりも重要な価値観だ。これからは、「今幸せ?」を問うことを習慣化させよう。

今、君の名前『智己』を「自分を深く知るための命の響き」だと語れるようになったのは、あの日の決断があったからだよ。

ありがとう。一度壊れた命を、君自身が選び改めてくれたことに、心から感謝しているよ。壊れたものを立ち直せたことで、免疫力がついたよね。ありがとう。

──未来の私より

結び

この手紙は、統命思想における「選命=決める」フェーズの記録です。人生には、信じすぎて壊れる瞬間があるかもしれません。そこには、「自ら決め直せる命」が眠っています。

誰しも、壊れたら壊れたままでは生きていけません。各々の期間は違えども、立て直す日がきます。壊れた記憶は、「失敗」ではなく「経験」だったとしたら?人生における華々しいラストを飾るための名場面の1つなのかもしれません。

次回は、「立命=定める」──「自分の意志でこの道を生きる」と決めた日について、書いてみます。

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名前が嫌いだった私へ──「智己」という命を思い出す

名前が嫌いだった私へ──「智己」という命を思い出す

この手紙は、名前に違和感を抱いたことのある【すべてのあなた】に向けたものです。私の体験を通じて、あなた自身の命の音にも耳を傾けてもらえたら──そんな願いを込めて綴りました。

今回は、統命思想の最初のフェーズ「天命=気づき」の原点にあたる、「名前を誇れなかった幼少期の私」へ向けて、手紙という形で言葉を綴ってみました。過去に何度も書こうとしてやめてきたテーマ。今だからこそ、命の構造が見えてきたからこそ、当時の私に届けたい言葉があります。

智己(ともみ)くんへ

封印してきた記憶

「名前って、何のためにあるんだろう?」

小学生のころ、そんな問いが心の中に湧き上がっていたよね。というより──そう考えずにはおれなかった。きっかけは、「名前の由来を発表する」という宿題。命名者だったおばあちゃんはもういない。親も親戚も、誰ひとりとして答えられなかった。「由来が分からない名前」──それが、君の最初のアイデンティティ。

君はずっと、名前をからかわれてきた。「ともみ?女のごたるね」何度も嘲られ、その度に言葉を飲み込み、ついには相手の指に噛みついた。保育園時代、そのときの骨の感触、まだ覚えているよね。

理由を説明できなかった。悔しさや恥ずかしさをごまかすように、30年以上もその記憶を封印してきたんだよね。怒りの奥には、「名前を誇れない自分」への悔しさや虚しさがあった。どう感情を表現したらいいのか分からない。泣き叫ぶ自分の感情が、自分でも理解できなかった。

「私は、何をどうして欲しいのかさえ分からない」そのもどかしさが、暴力というカタチで表れてしまった。本当は、ずっと承認されたかったんだよね。小3の西本先生には本当によくしてもらえた。だからこそ、暴力から完全に手を切れたんだ。

暗黒時代に灯りを

小1の海の日の記憶も、忘れてはおらんよ。弟に両親がつきっきりで、君はひとりビーチボール。気がついたら足がつかず、もがくことしかできなかった。助けてくれた誰かを探し続けたけど、誰も知らなかった。

今なら分かる。あれは──未来の私だった。どんなことがあっても、生かすと決めていた命の意志。将来、「命」を照らすために、あの日の君を生かしたのは「未来の使命」だったんだよ。

「承認して欲しいけど、自分が嫌い」だからこそ、認められることがあっても、拒否してしまう。何度も感情を抑え込み、本当の気持ちを裏切り続けてきたね。結果、感情が麻痺して、喜怒哀楽を忘れてしまった。悪なる相乗効果にハマっていったね。

ごめんね。その手を取ってあげられなくて、本当にごめんね。ようやく暗黒時代に灯りをともせるよ。これからだね。

・私は、何のために生きているのか?
・なぜこの名前で生まれてきたのか?
・そもそも、なぜ私は生まれてきたのか?

そんな問いが、名前への違和感から始まっていたんだ。翻弄され、挫折と絶望を味わい続けてきた経験を、これから活かしていくからね。

「死ななかった」よりも「死ねなかった」

「こんな自分、いない方がいいんじゃないか?」死に方や死に場所を、ずっと探していたよね。それでもどんなに死を望んでも、君は死ななかった。なぜなら、命のどこかで「生きたい!」と願っていたから。

「死ななかった」よりも「死ねなかった」──────生まれてしまった以上、意味や価値を残さずに死んでたまるもんか!迷惑をかけてきたからこそ、「迷惑に見合った価値とは何か?」を問うてきたね。

今、私はようやく理解できた。君の名前、「智己」は──自分を深く知るために授けられた命の音だった。その名前が嫌いだった分、今は誰よりも「名前の尊さ」を伝えられるようになれた。

名前こそが存在価値の核であり、「名前を好きになれた分、自分を好きになれる」という確信を持てたんだ。

ありがとう。生まれてくれて、生きてくれて、本当にありがとう。

──未来の私より

フェーズごとのシリーズ化

あなたにも、
・自分の名前が好きになれなかった時期
・生まれてきた意味を疑っていた時期
があったのではないでしょうか?

この手紙は、私の統命思想における「天命=気づき」の物語です。私の場合、強烈な葛藤と矛盾に翻弄されてきました。だからこその確信。味わってきた挫折と絶望にも、ちゃんと価値がありました。

次回は、「信じすぎて壊れた20代の私」へ──「選命=選び決める」ことの始まりについて、手紙を書いてみます。

最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

あなたが「本質の命」に出会うために

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家族の絆と自己理解〜田中健太郎さん物語6

家族の絆と自己理解〜田中健太郎さん物語6

家族との対話

オンライン面談から数日後の夕食時。​健太郎は家族と食卓を囲んでいた。​妻の恵美子、娘の恭子、息子の健太。​それぞれの顔を見ながら、先日の「ライフプロファイリング」の話を切り出そうとしていた。​

「先日聞いたんだけどな。『ライフプロファイリング』って知ってるか?」

家族は首をかしげる。​そのまま続けた。​

「ライフプロファイリングは、誕生日や血液型などの情報から個人の特性を分析する手法で、約20年前から研究が進められているらしいよ。占いではなく、データの意味さえ分かれば誰にでも読み解けるんだ。人にはそれぞれ、生まれ持った色や性質があるんだ。例えば、私は『赤海公』なんだって」

恵美子が興味深そうに尋ねた。​

「それって、どういう意味なの?」

「赤は情熱、海は包容力、公は社交性を表すらしい。だから、情熱的だけど周りとの調和も大切にする性格なんだとか」​

恭子が微笑みながら言った。​「お父さんらしいね」

家族の色

私は少し照れながらも、家族一人ひとりの色について話し始めた。​

「お母さんは『紫炎空』。紫はアイディア力・炎は情熱・空は自由を表す。だから感性が豊かで、自由な発想を持っているんだ。」

恵美子は驚いた表情を浮かべた。​

「そんなふうに言われると、なんだか照れくさいわね。そういえば、昔から新しいアイデアを考えるのが好きだったわ」

「恭子は『緑炎空』。なんと3人とも、色が違うだけで3つのうち2つが同じだって。310億パターンだから同じ箇所があるだけでも稀なのに、やっぱり親子なんだな。

緑は調和。人との調和を大切にしながら、情熱を持って自由に生きるタイプだそうだ。自由に生きたいからこそ、意味づけをして価値を見出したくなるんだろうな」​

恭子は笑顔で答えた。​

「なんだか、私のことをよく知ってるみたい。だから人との調和を大切にしながらも、情熱を追求してきたのね」

「健太は『黄炎空』。黄色は好奇心。新しいことに興味を持ち、情熱的に取り組む自由人だってさ。健太の場合特に、感情豊かだからよく出てきてるよな」​

健太は照れくさそうに頭をかいた。​「へぇ、なんか俺らしいかも。新しいことに挑戦するのが好きなのは、そのせいかも」と笑う。

家族の絆と自己理解

・私の「赤海公」の情熱と包容力が、家族の中心としての役割を果たしている。​
・恵美子の「紫炎空」の自由な発想が、家族に新しい風を吹き込んでいる。​
・恭子の「緑炎空」の調和を重んじる性格が、家族のバランスを保っている。​
・健太の「黄炎空」の好奇心旺盛な姿勢が、家族に活気を与えている。

健太郎は家族の色を知ることで、改めて家族の個性や魅力に気づいた。​それぞれが持つ色や性質が、家族の絆をより深めていることを感じた。​かつ私自身の色を再認識することで、家族との関わり方にも変化が生まれ始めていた。​

職人時代に「3軒建ててみれば分かる」と師匠から教わったことを思い出した。私自身、社員たちに言ってきたことだ。経験を通じて自己理解が深まっている。今回も、家族を通じて自分を顧みることができた。「自分を知る」なかなかおもしろい。

「これからは、お互いの色を尊重しながら、もっといい家族になっていこう」​の言葉に、家族全員がうなずき、笑顔を交わした。​社員のことも把握してみたら、より理解が深まっていい関係が築けそうだ。​尊重し合うことで、より深い理解とつながりが生まれてるだろう。

理解するほどに深みが増してくる予感に、期待と不安が入り混じっている。今までにないワクワクした気持ちが芽生えてきた。

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本音の発掘〜田中健太郎さん物語5

健太郎さん、頭の中で強烈リピート。言葉にできないもどかしさ。

本音の発掘〜田中健太郎さん物語5

オンライン面談の翌朝。私は、昨日の感覚を反芻していた。

「名前に、そんな意味があったのか・・・」

ただの文字列だったはずの「田中健太郎」という名。どこにでもあるような何の変哲もない私の名前に、私にしか持ち得ない「中心軸」のようなものを感じていた。まるで、忘れかけていた地図を手にしたかのような感覚だ。

ライフプロファイリングに関しても、初めて聞いたが大いに興味を持った。海だからこその包容力と、よくも悪くも環境に影響を受けてしまう情熱。
・燃やしたいのに燃やせない(赤)
・守りたいのに、動けない(公)
・流れたいのに、淀んでいる(海)

本来「流れてこそ活きる海」が止まってしまっていたのだ。だからこそ、「何をどうやりたいのか?」「自ら決め動く」「自ら問い、答えを見つける」が重要となってくる。

妻 恵美子に昨日の話をしようか迷ったが、結局、言葉にできずじまいだった。まだ表現できる状況ではない。話したところで、何を言っているのか怪訝な表情がイメージできた。

客観的評価

会社の作業場に入ると、現場に出る前の社員たちが慌ただしく準備している。社員の1人 山本が近づいてきて一言。

「社長、昨日の打ち合わせの件、ちょっと確認いいですか?」

「うん、頼む」

山本がふとつぶやいた。「・・・社長、やっぱなんか変わりましたよね」

「そうか?」

「うん。雰囲気が、いい意味でラクになったというか。なんか、こっちも話しやすいっす。声にはどこか柔らかさがあるし、表情もなんとなく余裕を感じます」

微笑みながら、心の中で思っていた(そうかもしれないな・・・恵美子が言うとおり、まとっていた何かが、少しゆるんできてるのかもしれない)。頑なだった執着が、内側から緩んできた手応えがある。

職人としてたたき上げで今までやってきたが、社長の器とは1職人としての役割ではない。社員たちを見守りながら、考えたとおりに舵を操作していくことが問われている。分かっていたようで、理解しきれていなかった気づきを得た。

「赤海公」としての生き方

夜、ひとりノートを開く。『赤海公』。

「情熱と、包容と、調和・・・全部、中にあったものだったんだな。私が勝手にダメだと決め込んでいただけなのでは?」

燃え尽きたわけじゃない。燃やし方を忘れていただけだ。火は、風がなければ広がらない。息を吹き返すためには、「場」「酸素」が必要だ。そして今、少しずつそれが整い始めている気がした。

「私の赤は、まだ終わっちゃいない。これからだ。今まではガッカリするようなご縁ばかりだったが、これからは違う。私の中に秘めた火を大切にしながら、自主的に関わっていこう」

本音の発掘

夕食後、恵美子に声をかけた。「なあ、ちょっと時間あるか?」

「うん?」

「昨日、面談受けたんだ。名前の意味とか、自分の生まれ持った性質とか、いろいろ聴けた」

「へぇ、どうだった?」

「・・・正直、泣きそうになった。なんていうか、ずっと、自分に期待しなくなってたみたいでさ」

「・・・うん」

「でもな、昨日ちょっとだけ思えたんだ。『私の人生、まだまだ巻き返せる』って」

恵美子は黙ってうなずいた。私も多くを語らなかった。だがその会話の余白が、今の私には十分だった。

——私自身に、「期待してもいい」と思えたこと。これこそが「本音の発掘」ということなのかもしれない。「私は自分に期待してもいい」ずっと言い出したかったのだ。


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内に灯る火〜田中健太郎さん物語4

内に灯る火〜田中健太郎さん物語4

健太郎さん、これからどんどん変革していきます。私の得意分野は根底からの変革サポート。核が変わる以上、変われないものはありません。

ーーー

オンライン面談の5分前。デスクにノートとコーヒーを用意し、PC画面越しに映る自分をチェック。

「聴く」「問う」——昨夜、ノートに書いた言葉を見直す。 画面が切り換わり、いよいよスタート。穏やかな笑顔と、あの作務衣姿。セミナーとは違う、もっと近い距離感。

「田中さん、今日はお時間ありがとうございます」

「こちらこそ、よろしくお願いします」緊張している自分がいた。ながらも隠す気にはならなかった。

見透かされた問いかけ

「田中さん。少し変わった問いをしてもいいですか?」

「はい」

「『責任を果たすこと』と『自分らしさ』が、ぶつかり合ったことはありませんか?」

返答できない。言葉を失った。

「情熱的に動きたいのに、それが誰かを困らせたり、調和を乱す気がして・・・。結果、動けなくなる・・・。口グセとして「私がガマンすればいい」そんな感覚、ありませんか?」

「・・・・・・・・・・・・」一気に核心を突かれた。

「例えば私の実例。友人のライブで、人数も少なく盛り上がっていません。だからこそ1人で盛り上げようとノリノリに。ようやく盛り上がったら、『私の役目は終わった』と言わんばかりにシラけてしまっていたんです」

「・・・それ、まさに今の私です」

「やはりそうですよね。田中さんにおいてはごく自然なことです。なぜなら田中さんの性質が、『赤海公』だからです。田中さんは、赤は好きな色でしょうか?」

赤海公という鏡

「赤海公・・・?初めて聴きます。赤は、エンジ色は好きですが、真っ赤は派手すぎて控えてしまいますね」

「はい。こちらは、『ライフプロファイリング』という診断方法です。『誕生日・血液型・出生順・出生地』から読み解いていきます。すべて数値化されており、310億通りのパターンがあります。数値を周波数というエネルギーで読み解き、20年経った今でも同じ方がいないそうです。

赤は、情熱です。やりたいことをやりたい。ただ、海は包容力が強く、公は社交的で和を重んじます。つまり『思いきって本音で生きたい自分』と、『空気を乱したくない責任ある自分』がぶつかりやすいんです」

私は、言葉を飲み込むようにうなづいた。

「・・・実は私、情熱で突き進んできたんです。でも家族や社員のことを考えると、最近はどんどん後ろに下がっていくような感覚があって」

「それが情熱の減衰のように感じられたのかもしれませんね。でも、それは燃え尽きたのではなく、広げ方が見つからなかっただけかもしれません」

「広げ方・・・?」

「情熱は火です。火は、燃やす場所と酸素がないと持ちません。今、山火事が頻繁に起きていますよね?あれは、乾燥した状況でちょっとしたきっかけで発火し、どんどん燃え拡がっています。赤海公タイプは、燃やすふさわしい場を見定めることが、再起のカギになります」

名前に宿っていた設計図

彼は静かに続けた。

「田中健太郎という総画からは『理想に導く牽引者』という性質があります。『健』とは健やかに真っすぐに。『太郎』は、守るべき柱を担う者。『田中』は、全体との調和と責任の中でこそ輝く姓です」

「・・・まさに、私そのものですね」

「『赤海公』と『田中健太郎』というエネルギーは、人生の役割を演じていくための設計図のようなものです。当然ながら忘れてしまうこともあります。責任が重なればなおさらです」

PCに映る画面越しの顔の表情に、少しずつ頬の力が抜けてきていることに気づいた。

「・・・私、自分の名前を嫌いになりかけていたことがあって。でも今、ちょっとだけ誇りに思えてきました」

「よかったです。だからこその姓名承認です。姓名判断を20万人超向き合ってきた私なりの結論です。いったん離れたとしても、名前と心がつながった時、人生の中心軸がよみがえります。そのプロセスをご一緒できることが、私の喜びです」

健太郎の目が潤んでいた。だが、それを拭うことはしなかった。

自分の内にある火

「田中さんに、もう少し進まれたらご案内したい提案があります。『自立具現化コーリング』という、私独自のプログラムです」

「・・・名前だけでも、ちょっと気になります」

「『自立』という言葉に何かが反応される方は、やがて『自分の内側の神』と出会っていくものです。ライフプロファイリングと組み合わせながら、田中さんだけの『本当の使命』を形にしていくサポートです」

「それ、私にもできますか?」

「そうですね。田中さんが『やりたい』と心から思った時、道は必ず開けますよ」

その言葉に、なぜか胸が熱くなった。説明できない「響き」で伝わる何かがあった。

面談が終わった後、健太郎はノートを開き、こんなふうに書き記していた。

『本当の自分を、もう一度迎えにいこう』

画面の向こうではなく、「自分の内にある火」を、今度は自ら灯していく。そんな感覚があった。

——これが、「本音に出会う」ということなのだろう。

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まとっているもの〜田中健太郎さん物語3

健太郎さん、葛藤を経て参加したセミナーで気づきがあったようです。

まとっているもの〜田中健太郎さん物語3

変わり始めた「問いの感覚」

週が明け、会社の会議室。 パソコンに向かっていても、頭のどこかに「本来の自分とは?」という問いが残っている。 不思議なことに、それが邪魔ではなく、むしろ「自分と一緒にいてくれるような感覚」を覚えていた。

社員とのやり取りも、少しずつ「聴く耳」を意識するようになっている自分に気づく。

「それって、君はどう思ってる?どうしたい?」

以前なら、先に自分の意見を言っていた場面でも、相手にゆだねてみる余裕が生まれている。

昼休みに、若手社員の山本が声をかけてきた。

「社長、なんか最近ちょっと柔らかくなった感じっすね」

「そうか? 自分では気づかないけどな・・・」

「なんか、話しやすいというか。前よりちょっと空気が軽い感じです」

健太郎は思わず笑った。なぜか、その言葉が嬉しかった。今思えば、嫌われないようにしようと、よけいなことをしていたのかもしれない。自分に問いかけることは、自分のことを大切に扱うことと密接につながっているのではないか?

まとっているもの

日曜の夜。夕食後、ソファに座る隣に、妻 恵美子がそっと腰かけた。

「なんか、最近ちょっとだけ穏やかだね。なんというか・・・まとっているものが違う気がするわ」

そう言われて、ふっと笑った。

「そうかもな・・・。なんかさ、『自分って誰だったっけ?』って考える時間があってさ。自分を大切にするって意味が、なんとなく分かった気がして」

「へぇ・・・それって、いいことじゃない?」

「・・・うん、たぶん」

「私も・・・実はちょっとだけ安心してる。あなたがそういうふうに話してくれるとね。けっこう考え込んでたじゃない」

微笑みながらうなづいた。以降、言葉はない。 だが、それで十分だ。今の私に必要なものとは、周囲がどうのではなく、自分の答えに気づくことだったのだ。数多の本に書かれていることの意味を、なんとなく理解できた気がしている。

面談を迎える前夜

ノートを開き、健太郎はペンを取る。

書かれていたのは、たったふたつの言葉。

『聴く』 『問う』

「まずは、自分の声を聴いてみよう。そして明日『あの人』に、聴いてもらおう。  そして、自分にも問いかけてみよう。『本当はどうしたいんだ?』って」

そう思えたことが、どこか誇らしかった。


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私は0なんかじゃない!〜田中健太郎さん物語2

私は0なんかじゃない!〜田中健太郎さん物語2

健太郎さん、セミナーにネガティブイメージ。打開策を見出せず、しかたなく・・・。

葛藤

セミナー当日の朝、重い身体を起こしながら、同じようにコーヒーを淹れる。味がいつもより苦く感じる。家族はまだ寝静まっている。出かける支度をしていても、「本当にこれでいいのか?」という自問が頭を離れない。

「こんなことに時間を割いて、状況が変わるのか?」「家族のためだと言いながら、逃げているだけじゃないのか?」

ネクタイを結ぶ手が止まる。やはりもっと重要なことがあるように思えてならない。セミナーへ参加したところで、何かが変わるとはとうてい考えられない。今までどれだけガッカリしながら帰路についたことか。

スマホの『申し込み完了』という文字が、自らに問いかけ続けてくる。「じゃあ、お前はどうするんだ?何か打開策はあるのか?」と。湧き出てくる葛藤を抱えながら、電車に乗る。

本来の自分

会場には、健太郎と同じような年代の男性たちが集まっていた。中にはスーツ姿の精悍な顔つきの人もいれば、私服でラフな雰囲気の者もいる。私は一歩引いた距離感で座席に着いた。

講師として壇上に現れたのは「龍 庵真(りゅう あんしん)」と名乗る作務衣の男性。年齢不詳で、柔らかな空気をまとった人物だ。

「今日はいらしてくださり、ありがとうございます。今回の目的は、あなたご自身の『本来の自分を思い出していただくため』です。いかに本物でありたいと願っていても、『本来の状態』が分からなければ、本当に至れません。本当の先にあるのが、本物です」

第一声に、心が少しざわついた。本来の自分を思い出す?

「あなたは今、誰として生きていますか? 社長? 父親? 夫?・・・そのどれでもない『本来のあなたご自身』は、今どこにいますか?」

その言葉が、健太郎の胸をかすかに叩く。

だが、すぐに「キレイごとだ」と思う自分もいる。「そんな余裕があれば、悩んでいない」 「現実はもっと厳しいんだ」心の中で反発がこだまする。

自己対話

「多くの皆さんは、『本来』『本当』『本物』の違いが分かりません。あなたにはいかがでしょう?本来とは、純粋無垢なもともとの状態です。そこに『本来のあなた × 経験 = 本当のあなた』『 本当のあなた × 価値 = 本物のあなた』をかけ合わせたものだと定義づけています。分かりやすいでしょうか?

かけ算ですから数学なら、どちらかが0(ゼロ)なら答えも0です。とはいえ人間には当てはまりません。0なんて絶対に存在しません。 あなたの経験に『意味がなかった』ものなど、1つもありません。 『あなたの価値に0』なんて、あるわけがないんです」

その言葉に、息を呑んだ。うまく言葉にできないが、見落としていた盲点を見せつけられた感覚だ。ごく当たり前のことのように聴こえるが、今までとは何かが違う気がしてならない。

「私は、自己対話の促進化をオススメしています。あなたに『私が決めたことだから』を多用していただきたいんです。自己対話こそが、あらゆる問題の解決の糸口となることを主張しています。

右か左か、上か下か、どちらでもいいんです。私がすごく重要視している方針は、『真偽より幸福』です。正しい方が望ましいのはもちろんですが、幸福かどうかを優先させています。私は、あなたがどう生きようとも、幸福を根幹に置いていただきたいと考えています。

今日の話を聴いていただき、改めて関心を持っていただけるなら、個別に面談させていただきたいんです。ぜひアンケート用紙へご記入いただき、日程調整してまいりましょう」

期待してもいい

帰りの電車、私は手帳を開いた。何も書かれていないページに、ふとこう書いていた。

『私は、どう生きたいのか?』『本来の自分とはどんな自分?』

問いに対する答えは、まだ出ていない。 ながらも《自分に向けて問いかけた》という事実が、ほんの些細な突破口のような達成感がある。葛藤を超えて参加できたことが嬉しく、ほのかに「期待してもいい」と感じている。うちひしがれていたが、やはり私はまだやれる。

私はこのままでは終わらない。「・・・私は、0なんかじゃない」が、頭の中でこだましている。これから、巻き返していくのだ。

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