月: 2013年4月
魂〜承け継ぐ
魂を具現化させた芸術品
日本刀は、芸術品と崇められています。刀でも、宝石がちりばめられているからや、歴史的著名人が使っていたから等の理由で、博物館等に飾られているものもあるでしょう。しかし、刃自体のみで芸術品として扱われているのは、やはり日本刀だけです。
なぜでしょう?それは、「魂を具現化させたもの」だからです(魂とは「生き様」に最も顕著に顕れると見なしています)。制作した当時の鍛冶職人にしてみれば、ゴッホの『ひまわり』等と何ら変わりません。
例えば「名刀 正宗」。作られた当時は、元寇という脅威にさらされた時代。よく切れるから名刀なのではなく、敵に「勝てない」と戦意を失くさせるから名刀だという理由に、いたく感動します。
他にも個人的に詩吟をやっていますが、日本の伝統芸術に触れるほど、その素晴らしさを感じずにはいれません。世界津々浦々、「芸術品」と見なせるものはもちろんあります。「祖国の素晴らしさ」である足元を知ってこそ、初めて対等に諸外国人と渡り合えるのではないでしょうか?(「海外に出てみて、改めて日本の価値を知った」なんて話もよく耳にします。)
明治維新以降価値が混乱し、富国強兵のために浮世絵等伝統芸術品を、海外へ売り捌いてしまいました。浮世絵に感動し、画法が変わった画家さんもたくさんいらっしゃるようです。海外の主要美術館の方が、日本の昔ながらの名作が残っているかもしれません。「世界各国人の方が、日本を尊敬し憧れを抱いているという場合が多い」こちらもよく耳にしますが、あなたはいかがでしょうか?
運勢・運命・宿命
あなたは、宿命・運命・運勢の違いについて、考えた事はありますか?ある座標上に、「点」を置いたとしましょう。これが、「運勢」です。点がず――っと連なれば「線」になります。これが「運命」です。線がある or ない、「すべての空間」が「宿命」です。
宿命とは、血縁関係や誕生日、・・・です(あなたの力では変えられないもの)。こう見た時、宿命を変えようと努めるのは、「時間と労力のムダ」と言えます。
焦点を当てるべきは、「いかに運命を変えるか?」です。日々の積み重ねで、(たとえ微々たるものでも)望ましく軌道修正していけるなら、確実に変える事ができます。また運命の「線」を、「あなたの生涯」で見るのか、「血統」で見るのかによって、視点が変わってきます。
ルーツを知る価値
最初に刀について書かせていただいた理由は、「ルーツを知る価値」です。
日本という国家は、【世界最古の現存国家】です。どんなに短く見積もっても、2600年の歴史があります。「老舗〇00年の~」とよくありますが、最高の活模範は、日本国家です。
その恩恵を受ける秘訣は、【親を敬う】なのです。親子関係が、すべての対人関係を創り出しています。魂について真剣に考える事は、【かなり崇高な尊さ】となり得ます。あなたという存在は、歴史的に承継してきた最大の遺産なのです!
魂に響いた感動
ルーツを知った先にある価値とは、自分事としての解釈です。他人の痛みも自らの痛みとして味わえるようになります(=人格という器が深まり広がっていきます)。魂解放の前段階として、感情解放の必要性は否めません。
尊敬する鍵山秀三郎さんは、読んできた本のページ数の◯行目までもが話題に出てくるエピソードを聴いたことがあります。「なぜそんなに覚えていられるんですか?」とお訊きしたことがあり、返答のシンプルさに改めて感動しました。それは「感動したからですよ」ーーー。
感動にはレベルがあります。幼稚園当時に祖母が作ってくれたボタ餅の味。あの味に優る美味しさにはなかなか出会えません。魂に響いた感動は、いつになっても色褪せることはないのです。
あなたにも魂が奮える感動、もたらされますよう・・・。
保護中: 天命との関わり方
志〜愛・感謝・喜び
今ある物事に気づく
あなたは、「感謝しなさい」等々言われた事ありませんか?確かに感謝によってもたらされるメリットは、多大なものです。感謝は、あらゆる物事を成すための潤滑剤です。
おそらくすべての意識ある皆さんは、「感謝」を超重要視されています。しかし感謝とは、どんなにしようとも難しいもの・・・。感謝しようと努めるほどに、「しなければならない」という『我』に苛まれるようになります。
本来の感謝とは、「する」んじゃなく、「今ある物事に気付く(思い出す )」事にあります。
感謝の対極にあるものとは、傲慢です。朝起きれて当たり前、ご飯が食べれて当たり前、服が着れて当たり前、電車に乗れて当たり前、・・・・・。こんな日々が当たり前な状況。これを傲慢と言わずして何と言うでしょう?
そんな日々の出来事を、もし【奇跡だ!】とでも実感できるなら、どんな変化が起こるでしょうか?例えばもし、「やった!私、今朝起きれた!生きてるょ!!」と、毎朝「奇跡だ!」と喜べるなら?もし「感謝が湧いてきた私」に気付き、習慣化できたなら、どこへたどり着くのか?
「もし朝起きた時に〜」と言っている時、最も嘲け笑っていたのは私自身です。「バッカじゃね?」と・・・。継続し続けたある日、笑っていない自分に気づきました。この時の感動は、今でも鮮明に覚えています。
感謝とは、いつも喜べている状態です。もしどんな出来事に対しても、喜びを見出しせているなら、どんな変化が起こりそうでしょうか?喜びに満ち溢れ、行動に表れた時、初めて【愛】となります。
人間の特権
愛とは、行動しなければコミュニケーションが成立せず、愛が自覚できないまま過ぎてしまいます。よって愛は、「愛する」という動詞になった時、初めて実感できるようになります。
あなたは、「愛する」とはどんな行為だと思いますか?表現方法は様々ですが、ムダを削ぎ落とせば「関心を持つ」に尽きます(マザーテレサの名言「愛の反対は、無関心」)。
たとえいかなる「冷めた人」を決め込んでいようとも、【自分自身】に関心を持っていない方はいません。もしあなたが自分を嫌っていたとしても、確実にあなたはあなた自身に関心を持っています(卒業写真等、最初に見るのは誰の顔ですか?)。「愛する」という行為は、「ご自身への興味関心度」が拡大・縮小されただけなのです。
人間とは、夢に生きる動物です。同じ状況でも、「これからだ!」と奮起する方もいれば、「もうだめだ!」と心が萎えてしまう方も・・・。災害等極限状態にある時ほど、分岐点は顕著です。
夢とはまさに、人間の特権です。外見は人間でも、夢を持つ事をやめた瞬間から、人間ではなくなります。逆にもし「~したい」という目的意識や強い願望があれば、精根尽くした先にあるあなたは、どれだけ光り輝いているでしょうか?どれだけ意欲に満ち溢れているでしょうか?
夢の中にも様々あります。「朝から酒浸りな生活が私の夢です」という方もいらっしゃいます。この「夢」の箇所を「志」に置き換えた場合、奇妙な違和感があります。
「志」とは、エゴや刹那的なビジョンから「誰かのために(未来のご自身も含む)」という社会貢献へ昇華させる必要があるのです。
まず原点は「未来のあなた自身へ、ふさわしい生き方をする」と誓うこと。あなたが魅力溢れる志を培うには、成長のための実践なしにはあり得ません。信頼できるパートナーと本気で切磋琢磨し合い、よりよい人格を創り出していけますよう・・・。
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本気の方同士の切磋琢磨。まさに私の望むところ。
私が欲しいものは、本気でない、本音で話せていない人を見抜ける力(実はこれにはきっかけがあって、そこから急速に自分の探求を深める事となりました。丁度今日でひと月経ちました)。 - #2
素晴らしい!!!
本気で本音で向き合うからこそ、感動が生まれてきます。
自分と向き合いきれている分、対人関係がよくなってきます。
ひろみさんはすでに、その一歩を踏み出していますょ( ´ ▽ ` )ノ