辞書で省略されている言葉
あなたは、「自然治癒力」について、どのようにお考えでしょうか?
期間の長短があるだけで、膝を擦りむいても必ず元通りになるので、「ツバでもつけとけ」なんて言われたものです。多くの皆さんに問うてみて、圧倒的に「私次第」と返ってきます。大枠では確かにそのとおりなのですが、正確には惜しいです。
理由は同じ「私次第」であっても、一晩ぐっすり寝てスッキリ治す方もいれば、悶々としながら数週間経っても一向に変わらない方も。同じ「私次第」なのです。違いとは?
もともと辞書は、紙ベースです。本にするためには、ある一定の文字数で収めなければなりません。「これくらい当然なんだから、省略してもいいだろう」となってしまうこと、イメージできるでしょうか?データ化され、文字数の制限がなくなっても、この風習がそのまま継続されているとしたら?
あまりに当たり前すぎて省略されているキーワードとは、何なのでしょうか?あなたなら、何と答えますか?
答えは・・・・・・・・・・・、「治すと決めている私」です。そう考えると、1日の始まりは、夜寝る前です。例えば「明日は5時に起きよう」と決めて眠りについていませんか?
「◯すると決めている私」は、すさまじく応用が利きます。「やると決めている」からできます。「成功すると決めて」いれば、何が何でも何らかの成功を手に取ろうと燃えます。
自然治癒力の応用解釈
応用が利くということは、自然治癒力とは健康面における分野で当てはまる言葉です。経済はじめ事業にも教育にも生産管理にも、あらゆる分野に調和統合できる言葉とは?
経済においては、「お金=血液、信用=免疫」に置き換えれます。事業では「理念=骨格、関係性=神経」、教育では「好奇心=呼吸、問い=脈拍」、生産管理では「品質=体温、工程=循環器」等々。あなたなら、どんな例えを好まれますか?
現状で最も近しい表現は、「恒常性維持機能(ホメオスタシス)」です。体温はじめ心も体も、あなたが強く長くイメージしておられる状態へ維持されるようできています。これこそまさに、何も意図せずとも時を経て、ほぼ確実に起きていくシステムです。
ながらもこの表現だけでは、「決める」という意味合いは一切不要です。「決めるか否か」によって、多大な分岐点となってしまうにもかかわらず。「恒常性維持機能(ホメオスタシス)」という素晴らしい機能を土台として、「決める」という意志を交えた高次元的表現とは?
どうしても私は、新用語を生み出すことに興味関心が湧いてきてしまいます。考え導き出した案が、『恒常性自発力』。すごく重要なのが「自発力」。 外からの命令ではなく、内側から「自ら整おうとする(自助)力」があるのです。

不調をきたした状態が分かりやすそうですね。不調の原因は、内なる力がうまく働けない状態になっているから。例えば
・ストレスで呼吸が浅くなる
・感情を抑え込んで、体が固まる
・自分の声を無視して、過度な同調
なんて身に覚えがある方、いらっしゃいませんか?刺激を受けた時に、あなたはどんな対応をするのでしょうか?
「決める」とは?
ここでさらに1段階深めます。「決める」とは?多くの皆さんからは「選択する」と返ってきていましたが、あなたの場合はいかがでしょう?答えは・・・・・・・・・、「捨てる」。
分かりやすく、レストランに行きました。カレーかパスタ、どちらがいいか悩みます。悩んだ結果、カレーに決めたにもかかわらず、カレーを食べながらパスタを思う方。よく起こりがちな典型例です。
カレーに決めた以上は、パスタというイメージを捨てるのです。まさに「パスタなんて、選択肢にもともとなかった」という感覚。だからこそ決めるという行為は、痛みを伴う場面が多いのです。
もしあなたが「決める」ことでもたらされる感動とは?もしあなたが「決める」ことでもたらされるご縁とは?もしあなたが「決める」ことでもたらされる安らぎとは?
今まで私は、基本的に肯定派で生きてきました。結果、大半において大失敗をやらかし、損切りで痛い目に遭ってきました。以降は、「Yes or No?」「乗るか反るか」という判断基準をより研ぎ澄ましてまいります。経営者脳へ切り替わりつつあることを喜んでいます。
あなたは、どのような決め方をしていますか?