認知症の根本解放策

照子施設
2021.8.14.訃報のお知らせを受けました。ご焼香だけでもと思いましたが、タイミング合わず残念です。 お客様の生命と向き合う上で大切なことはじめ、たくさんの教訓を学びました。 今はお父様と一緒に、楽しく肩を並べて寄り添っておられるのではないでしょうか?

結論は「いかに痛みと向き合うか?」です。根本解放には、痛みの解釈が大いに関係しています。

先日、ある老人ホームへ出張施術にお呼ばれ。
娘さんがお母さんをすごく気遣っておられ、大きな問題にならないよう、早めの対処を心がけていらっしゃいます。

向き合いきれない理由

約3年前に、地方である山梨の実家へ特急券出していただけ、通い続けていました。当時から不思議に感じていた事があり、今回の施術で確信したエピソード。それは『お母さんが過去の話を極端にはぐらかし続けていた理由』です。同じ話題ばかりを繰り返す理由が、当初は「年配者の典型例」だと片付けていました。

お母さんは、以前から右の股関節が痛いと訴えていましたが、原因は肝臓の潜在的疾患のしわ寄せだと見立てました。痛みを引き出し、緩めていく中に見えてきたのは・・・「お母さんは、自分と向き合おうとしていない」という課題の浮き彫り化でした。

幼少期のトラウマが本質的な問題なのに、向き合おうとしないなら、確実に根本解放には至れません。逆の発想で、愛されてきたと思える記憶に焦点を変えました。即返ってきたのは、ご主人さんとのエピソードでした。「いつも悩みを聴いてくれ、薬を処方してくれたの(私も尊敬する、素晴らしい名医)」これまたずーーっと繰り返します。

「もしや・・・他に愛された記憶があるのか???なぜ過去の記憶を蘇らせたくないのか?もしかしたら、過去の記憶を思い出したくないから、はぐらかし続けたんじゃないのか?」という仮説を立てました。そう考えると、今まで疑問だった事が全て氷解します。娘さんが敬虔なクリスチャンなため、事情を話し祈ってもらうようアドバイス。

愛情と根本解放策

後日、娘さんのFacebookを見て驚きました。

「お母さんが、昔の記憶を少しずつながらも思い出し、ノートに書き始めた!」

さらに時を経て、またお呼ばれ。今度は、施術前娘さんに直に祈っていただきました。当時の自分本意な話とは激変し、医者の妻として医療に取り組むべき心構え等、本質的かつ感動する言葉ばかりが出てきました。娘さんの娘(お母さんから見たらお孫さん)は、医者を志しており、聴かせたくて録音したとか(*^◯^*)

根本解放を前提とした改めての結論は、【痛みとどう向き合うか?】です。体は、過去の記憶を解放して欲しくて、痛みを表現しています。にも関わらず、その痛みから逃れ続け、抑え続けるなら・・・?体(コリリン)は、不本意ながらもご主人様(あなた)の願いを受け入れ、感覚を麻痺させようとしていきます。

麻痺させるなら、相応な血流量でまかなえます(痛みは血流が大いに関係しています)。記憶のポイントは、脳です。脳に血液が行かなくなるなら、脳細胞はドンドン死んでいきます。その結果起こるのは・・・・・・。

娘さんの手記より

照子日記
うちのお母様すごいです。
さくらパンダのように結膜炎でお目々の周りが赤くなっちゃってるのに
何と今日は72年前、自分が唄って学校の先生に褒めてもらった短歌をサラサラ書き出したのです。
自分の母親が39歳で亡くなってしまい
父親と一緒に山口県の萩の墓に納骨しに出かけた際
初雪が降って来てそれが骨壷の三十九で死亡という文字にす~っと涙のように伝い落ちた。
まるで、空も悲しんで涙を流したように感じた、という内容なのです。

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今日は素晴らしい経験をした。母が脚の付け根が痛いと言うので、以前山梨まで通って来てくれていた整体師の先生をお呼びした。

不思議な方で「◯◯さんのお祈りが必要なんですよ」というので、「母には祈りは癒しの力を倍増するんだって、だから治療の前にお祈りさせて」と伝えてお祈りした。その後の治療中、母は医療に携わる者の心構えという本質的な話を整体師さんにトウトウと話して、私はビックリしてしまった。

政治・宗教的には真逆育ち(自衛隊上がりで、靖国神社に行くとか)の整体師さんが、「◯◯さんのお祈りのおかげです。前回は自分に対するアテンションというか、いかに夫が自分を大事にしてくれていたか、という自分中心の話でした。今日は、医に携わる者とはどのような心構えで臨まなければいけないかと、医者の妻(経営者)としての理念がバンバン出て来て素晴らしかったですねえ」

へえ。私が祈ったのは、母の社会性、哲学性が出てくるように、では無かった。イエスさまがお母さんを深く愛し、愛で包んでくださっているのを感じてお母さんが安心して治療を受けることができるようにといういたってシンプルなもの。でも愛に満たされると、愛を求めるという「くれくれ行動」ではなく自分は何を世に提供していけるだろう、というエネルギーの方向転換が起こるのかもしれない。

母の話が素晴らしいので医者を目指す娘に聞かせるために録音もした。もしかしたら、この調子で行ったら直接娘に医療談義を弁舌できるかもしれない。愛の力、怖るべし。母の能力、半端ない。引き出す整体の先生すごい。私も祈りと癒し、もっと信じて行こうっと。

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山梨へ通っていた当時は、お母さんがいかに真摯に向き合っていただけるか、大いに考え悩みつつも、無理だとあきらめていました。実感したことは《向き合えないのは奥に秘められた恐怖感が妨げているからで、根本的な解放がなされれば人は誰でも変われる》のです。

お母さんが記憶を取り戻せたことを通じて気づけた、感謝と反省のエピソードでした。

娘さんは誰もが感動するようなお母さん想いで、健康寿命を全うして欲しいとお考えです。大事に至らないよう、事前対処を徹底してくださっています。信頼して私を呼んでいただけるんですから、抜群な成果を出せるよう、精進していきます。

今回のエピソードから、根本解放的な医療改革の兆しを実感しました。

試すに値する冒険(動画文字起こし)
感情解放の重要性〜山梨のお父さん

託された願い

明確な優先順位

今日いらした80代女性と、ステキな感動をシェアできました。

今日で1サイクル目6回を終え、次回から継続すべきかを迷ってらっしゃる状況でした。確かに変化は感じつつも、どう変わっているのかさっぱり自覚できず、さほど価値を感じてはいただけていませんでした。

対話の中に優先順位を明確にすべきだと感じ、ご本人のご意見と合致し、副腎を施術開始。当初は痛みを全く感じず、関連づいているポイントから引き出しても、効果ありませんでした。

痛みがない理由は、
・全く問題無い健康体
・あまりにひどすぎて麻痺した状態
のどちらかですから、話の内容や症状から後者だとはっきり分かります。

自己卑下の要因は、過去を美化した記憶

「私は受け止める覚悟ができている」等の潜在意識を書き換えていきました。何をやってもダメな場合、体がご主人様(当人)を心配し、「これ暴露しちゃやばくね´д` ;?」な状況です。当のご主人様はいたってやる気満々でも、体に伝わっていない事は多々あります。こうして痛みがだんだん表面化してきました。

話の中に、「私はダメな母親」と卑下する言葉が出てきました。「絶対にそんなはずはありません!だとしたら、あんな素晴らしい息子さんが生まれるわけがない!!!」と返しました。

なぜそう考えてしまうのかを振り返っていく中に、【過去を美化してきた記憶】が浮かび上がってきました。過去を美化したくなる理由は、今の自分を蔑みたいからです。今のご自身を、魅力あるとは考えられないと、思い込んでしまっている・・・・・。

問題が浮き彫り化されてきたので、あとは愛情ある記憶を思い出せばいい・・・。

ご主人さんの愛情

ご主人さん(実の夫)は、予科練生で訓練中に終戦を迎え、帰省して結婚されたそうです。「なぜ俺は死ななかったのか?」と悩んでいた事を、死後聞かされたとか。高倉健の『ホタル』を2人で映画館へ行き、大粒の涙を見たのは最初で最後だったそうです・・・。

責任感がかなり屈強だったらしく、「なぜ死後、他人からご主人さんの事を聞かされたと思います?なぜすべての苦しみを背負って逝かれたんでしょう?おそらく【言わなかった】じゃなく、【言えなかった】ではないですか?」との質問に、ご主人さんに愛されていたんだとはっきり分かられたようです。

前にさんまの番組で、知覧記念館を作った方の話に感動しました。「俺はなぜ生き残ったのか?」と悩み苦しみ、戦死した仲間たちの家々を回り、謝ってきたそうです。給料をすべて注ぎ込み、生活に苦しんだであろうに奥様は、一切愚痴を言わなかった・・・。そんな奥様に、初めてのプレゼントを贈りたいといった内容でした。

出典:知覧特攻平和会館HPより

「ご主人さん、お母さんに託したい何かがあるんじゃないですか?」と訊きました。痛みを確認してみて、強烈!しかし、目には感動の涙・・・。

「どうぞ今感じている事を、噛み締めて味わっちゃってください」と促し、再度確認したところ、痛みは完全に消えていました。

お墓がすぐ近くにあるらしく、すぐに墓参りに行くと意気揚々。知覧に行く計画も立てていくと、すごく喜んでいただけました。さらに当分の間は、ご主人さんをテーマに深掘り施術をする事になり、喜んで継続を承認していただけました。

あなたの体は素晴らしい!

私の役割は、あくまでも「体の通訳」です。「◯◯さんの体が素晴らしいんですょ^ – ^」と返し続けています。

明日も1日、喜びと感謝に満ち溢れたあなたでありますよう・・・。

皇室が模範だったから

先日、潜在意識の解放セッションフォロー講座でした(池袋にて)。意識の高い皆さんが集い、スバラシイ時間をシェアできました!たくさんあり過ぎて、何をシェアしたらいいものやら・・・。

例えば、「おもてなし」とは、聖徳太子の【和を以て貴しとなす】から来ている事を知り、改めて感動!

MHD男塾2013.6.2.
MHD男塾2013.6.2.

そこで思い出した事。シェアしてまた感動を分かち合えました今はお亡くなりですが、当時96歳の元軍医(桑木崇秀先生)さんに質問した時の返答。

講話の内容が、かなり感動的で素晴らしかった!「なぜそんなに素晴らしい生き方ができたんですか?」という質問でした。

後になって語り合ったんですが、その場にいた全員が「教育勅語が素晴らしいからだ・・・」類の予想でした。
瞬時に返ってきた言葉が「皇室が模範だったから」驚愕でした!

この瞬間、実感した事。
・教育勅語は、付け焼き刃でできたものなんかじゃなく、深い実践が伴ってできた等身大の活模範だった。
・皇室と一般庶民との距離が、ものすごく親密だった。
・天皇という存在が、いかに民を想い、愛に生きて来たのか!

マッカーサーはじめ、天皇に対面した方々がなぜ改心するほどに感動したのか!特攻隊の皆さん等、親や愛する人を想い、なぜ「この人のためなら死ねる!」と思えたのか!そういった背景が見えてきた事を思い出しました。

明日も1日、喜びと感謝に満ち溢れたあなたでありますよう・・・。

 

東京 池袋から電車で約15分

レース〜本当の勝利とは

以下の「レース」、前に立ち読みで号泣しました(もちろんその場で購入)。

何回読んでも感動し、涙します。いつも読めるよう、保有しておきたいとメール化し始めたきっかけです。原本は直訳でかなり読みづらく、私自身のものとするため意訳に意訳を重ねてきました。おそらく原文とは、かなり違うはず。よってこちらへ掲載する運びとなりました。

主旨は、【”勝つまでやる!”って決意や覚悟があるか?】だと解釈しています。

本当の勝利とは転ぶ度に起き上がること

1 周囲の声

「やめろ!あきらめろ!もう負けだ!」
彼らは叫ぶ。
「大変すぎる。ムリだ」
あきらめかけた時、その弱気は当時のレースの記憶に破られた。

思い起こすと、希望が湧き、意欲がよみがえる。
あのレースを思い出すだけで、決断する勇気を持てる。

2 徒競走の記憶

期待

少年時代。よく覚えている。
ワクワク、ドキドキ。
皆自分が1番になろうと、希望に胸を膨ませスタートラインに並んだ。
同点1番でもいい、それがダメなら2番だ。

父親達はそばから、各々の息子を応援していた。
シャッターチャンスを狙って、場所を競り取っている。
皆々が、1番をといきり立っていた。

笛が鳴り、一斉にスタート。心は希望で満たされていた。
トップでヒーローになることが、最高の望みだった。特に私には。

観衆の中に父親がいる。
私は先頭に近く「父さんはきっと喜んでくれる」
自然と歩幅が大きくなっていく。

スピードを上げて競技場を回った時、浅い窪みがあった。
足を滑らせつまづいた。

失態

一生懸命体を立て直そうと、両手を前に突き出した。
観衆がどっと笑う中、頭からバタンと転んだ。

地面に転がり、希望も失せてしまった。
〜もう1番になれない。
恥ずかしくて悲しくて、ここから消え去りたくなった。

転んだ時、父親が立ち上がった。心配そうな顔をして。
その表情は、はっきり言っていた。
「起き上がれ!レースに勝て!」

急いで立ち上がった。大したことはない。
─少し遅れただけだ─
そして一生懸命に走った。転んだ分を挽回しようと。

挽回するんだ。
─追いつき追い越すんだ─
その気持ちが強すぎ脚がもつれた。つまづき、また転んだ。

二度も転ぶなんて〜さっき転んだ時にやめればよかった―
「なんて惨めなんだろう。出るんじゃなかった」

絶望

笑う観衆の中に、父親の顔を探した。
父親はじっと見つめ、「起き上がれ!レースに勝て!」と言っていた。
そこで少年は立ち上がった。─最後から10m遅れている─
「この10mを追いつくなら」彼は考えた。
「本当に速く走らなくっちゃ」全力疾走して、8〜10m追いついた。
しかし先頭に出ようと急ぎすぎ、またつまづいて転んでしまった!
負けた!じっとそこに倒れた。〜目から涙が溢れた・・・

「もうこれ以上走ってもしょうがない。3度も転び、ビリ確定!走るだけムダ!」

立ち上がろうとする気持ちは萎えた。希望も勇気もすべて。
皆からこんなに離され、こんなに何度も転んで、ずっと負け犬だ。

「負けた。だからもう何をやっても仕方ない」
「これから恥をかきながら生きるんだ」
その時、父親の顔が頭に浮かんだ。
すぐに顔を合わせる・・・・・。
祈られていると、痛切に感じた。

「立つんだ!」という声が、小さくこだました。
「立って追いつけ!お前は転んだままでいる子じゃない。起き上がれ!レースに勝て!」

勇気

「勇気を出して立て!」と胸に響いた。
「まだ全然負けたわけじゃない。本当の勝利とは、転ぶ度に起き上がることなんだよ」

立ち上がり、再び走り出した。
新しい気持ちで、順番なんてどうでもいい。走りきろう。

ずっと遅れてしまった。
〜今までで1番ビリ・・・
それでも全力で走った。1番になろうとするかのように。

3度もつまづき、転んだ。でも3度とも立ち上がった。
もうとても追いつけないのに、最後まで走り抜いた。

1番がゴールした時、観衆は大歓声で讃えた。
1番の彼は、顔をまっすぐに上げ、誇らしげで幸せそうだ。
転んでも、恥をかいてもいない。

転んだ私がビリでゴールした時、歓声はさらに高まった。
最後まで走り抜いたことを讃えた。
ビリだった。うなだれ、誇らしげでもなかった。
が、観衆の声だけなら、誰もが1番と思っただろう。

父親に、悲しさと悔しさまみれに言った。「ダメだったよ」
「父さんにはお前が1番だよ。やはりお前は、私の息子だ!
転んでも転んでも、起き上がったからね」

3 獲得できた成果

すべてが暗く厳しく、立ち向かうのが困難に思える今ーーー。
あの時の記憶が、人生というレースを走る私に力を与えてくれる。

人生とは、徒競走のようなもの。いい時も悪い時もある。
勝利のために、絶対にした方がいいことは、転ぶ度に立ち上がることだ。

「もうやめろ!あきらめろ!お前はもう負けだ!」私に叫ぶ声がある。
しかし心の中からは、「起き上がれ、レースに勝て!」という別の声も聴こえてくる。
どちらを受け入れようか?

『真のリーダーになるための「5つの決定的瞬間」』D.H. グロバーグ p170~181

「喜ぶ」という奉仕

先日、毎週出張先の山梨で、とても感動的な体験ができたエピソード。

お母さんに勧められたかのような風景

お母さんからのシェア

お母さんがずいぶんよくなってきたため、老人会ツアーでの紅葉がすごく綺麗だったと感動シェア。「ぜひあんた方も行ってきないさいよ」の一言で、娘さんの車でご一緒させていただきました。

確かにすごく綺麗で、かなり目の保養になりましたし、来てよかったと思えました。そこで、2人ほぼ同時に口に出た言葉。

お母さんをばせたいね。

そこから、さらに話し合うようになりました。お土産を買って来たからと、喜んじゃくれないでしょう。物理的な何かじゃ決してないはずです。お金は十分あるし、老人会で行って来たばかり。

愛は動詞である

考え抜いて浮かんできたのが、『7つの習慣』コヴィー博士の言葉。「奥さんを愛していないことに気づいたなら、愛してあげればいい」というやりとりの応用でした。

本田健さんの「喜んであげよう」に結びつき、ただ単に嬉しそうに表現するんじゃなく、オーバー気味に演技するような気持ち。実際2人で練習までしました。紅葉を観るより盛り上がりました。

私たちは誰しも、喜びを得ようと生きています。「奥さんと一緒に散歩したい」「ついつい名前を鑑定してしまう」等は、明らかに自発的な喜びを得るための行為です。自分以外の第三者に頼まれた行為は、確実に長続きしません(ゴミから教わったこと)。

お母さん宅に戻り、「よかった!!!」と大絶賛。お母さん「そうでしょう(*^o^*)」とご満悦。私たちも、すごく嬉しくなりました。

「喜ぶ」を与える

多くの皆さんは、「受ける」ことに引け目を感じてしまいがちですが、あなたはいかがでしょうか?

営業で何度も断られ続けてきた私には、かなり大きな人生のテーマです。受けることが苦手だったから、与え方が分からず喘ぎ苦しんできたのかもしれません。

あなたは、あまりにも大きな愛情を受けた時、理由なく反発したことありませんか?オファーをいただいたら、ごく短時間かつ無意識のうちに返せるかどうかを判断しています。

よくも悪くも、許容範囲外の受容力は、極端に落ちます。お母さんが喜んでくださったことから、許容範囲を深め広げる価値を教えていただきました。

夜には施術予約が入っていましたが、約1時間遅れてしまいました。ながらも詳細な理由を話し、そのお客様も喜んでくださいました。彼には全く無関係なんですが・・・。

「喜ぶ」というエネルギーが、時空や対人関係を超えて伝わるものなんだと、実感できました。「喜ぶ」という感情表現には、素晴らしい価値があるんですね。

ゴミから教わったこと
感情表現の重要性〜山梨のお父さん
認知症の根本解放策