名を持たぬ遺品〜早乙女芽衣子さん物語2

名を持たぬ遺品〜早乙女芽衣子さん物語2

名を持たぬ遺品

冷蔵庫の音が、やけにうるさく感じる。あれから何日経ったのだろう?もう曜日の感覚もない。梅雨明けの強い日射しを避けるように、カーテンは閉め切ったまま。ながらも1つだけ、課したことがある。

優花の遺品を、きちんと見ること。

ずっと避けてきた。段ボールにつめたまま、開けることもできなかった。優花が住んでいたマンションの管理人が整理してくれた荷物を、玄関に押し込んでいたのだ。

段ボールを開けると、生活の痕跡が出てくる。服・書類・化粧ポーチ・薬・電気代の請求書・・・・。手紙はない。日記もない。スマホもロックがかかっていて、何も見られない。母親として、私は何も知らない。彼女が何を考え、何に傷つき、何を願って生きてきたのか――その証拠が、どこにもない・・・。

県政では、インタビューに意気揚々と答え、県から国を活性化させていく構想を練っていた。「私がいる日本が、このままで終わるわけがない」そう確信していた。確実にブームを起こせる自信があったのだ。あの日までは・・・。

名前って、なに?

涙は出ない。ただただ、深い沈黙。1つだけ見つけたのは、小さなメモ帳。表紙の裏に、書いてあったのは「名前って、なに?私は私のことを、どう呼べばいいのか、分からない。」

ページはそれだけ。あとは白紙。何度も開いて、書こうとして、やめた跡がある。

息がつまる。これは、誰にも見せていないノートだったのかもしれない。私にも友人にも、見せきれなかった小さな叫び。本当は誰かに聴いて欲しかったのだ。誰かに自分の存在を、声を気づいて欲しかったのだ。「もうムリだ」とあきらめ生命を絶ってしまうまで、何があったのだろう?

「名前って、なに?」

無意識のうちに自分の名を口にする。

「・・・早乙女 芽衣子」

名の重み

オーラをまとっていた当時の言葉の響きと比べても、かつての威厳はない。1人の老いた女性のつぶやきが部屋に沈んでいく。自らの名を、こんなにも無意味に感じたのは初めてだ。そしてふと、頭の奥に引っかかるものが湧き上がってきた。

「優花は、本当は何と呼ばれたかったんだろう?」

「呼び方(Do or Have)」というよりも、「存在のあり方【Be】」に対する問いのように響いた。

「あの子は、私にどう見て欲しかったのか?どんなふうに、名づけて欲しかったのか?」

机の上にうつ伏せで置いてあった写真立てを、そっと起こした。優花が笑っている。その笑顔が、ものすごく遠く感じた・・・・・・。

今はもう、誰も彼女の名を呼ばない。この世界で、彼女の名前を声に出すのは、私だけになってしまった。だからこそ――その名の重みを、私が引き受けなければならない気がした。

きっとそれが人生最期と決めた私の、最初の一歩なのだ。


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元県知事の孤独〜早乙女芽衣子さん物語1

元県知事の孤独

◯◯県 盆地を見下ろす高台の自宅。長年暮らしてきたこの家で、初めて「無音の時間」を感じている。

私は、早乙女 芽衣子(さおとめ めいこ)、72歳。つい2ヶ月前まで◯◯県知事だった。「女 角栄」とも称され、政界でも異例の「母であり、知事である」リーダーとして知られた存在。政界一家に生まれ、政党の後ろ盾もあった。知性と胆力には自信があり、一目置かれていた。夫を病で亡くし娘を1人で育てながら、政治という戦場を生き抜いてきた。知事から国会へいつ乗り出していくのか、噂が絶えなかった。

今は肩書きもなく、呼ばれることもない。むしろ呼ばれたくない。新聞や雑誌の取材も遠ざけた。街で声をかけてくるのは、今も熱心な支持者だけだ。けれど、そのどれにも応えきれないでいる。誰にも会いたくない。もう何もしたくない。生きていくことさえ・・・。

当時インタビューを受けていた自宅リビングには、配達されたままの新聞・宅配の段ボール・未開封の郵便物が散乱している。台所はインスタント麺等の食べ残しや腐りかけている食べ物がそのまま置いてある。お風呂に何日入っていないだろう?数える気持ちにもならない。梅雨が明けた日射しの中、雨戸を閉め切り、陰鬱とした日々。

辞任の本当の理由は、語っていない。「体調不良」「政治的混乱」いくつもの憶測が飛び交ったが、すべて違う。――愛する娘 優花(ゆか)の自殺。

元県知事の孤独〜早乙女芽衣子さん物語1

遺影の前で

自ら命を絶ったという連絡を受けた日のことは、青天の霹靂で今も現実味がない。連絡が来たのは、県庁の執務室だった。職員が震える声で伝えてきたあの一報。すぐに向かったが、もう冷たくなっていた。遺書もなく、ただ静かに逝った。享年48歳。

政治への職務に夢中で、娘に関われていなかったことに気づく。結婚後まもなく離婚し、10年以上1人。正月や盆等の節目で会ってはいたが、笑顔で問題なさそうだったので、「幸福だろう」と決め込んでいた。今まで「言えなかった」のだ。

「なぜ自殺なんて・・・」と、表面的にしか関わってこなかった私には、理由が全く分からない。「ごめんね・・・」と謝罪の気持ちと、自分を責め立てる声が脳内に響き渡っている。

遺影の前に座る。娘の笑顔は、写真の中で永遠になった。この笑顔とは、誰に向けたどんな笑顔だったのだろう?私に残されたものは空虚だ。「母親失格」「人間失格」客観的に誰かから言われるわけではない。私自身が、私への罵倒だ。

本当の望み

辞任における記者会見では泣かなかった。訃報にも政治的配慮を求め、冷静に記者の質問に答えた自分を、今はただひたすら恥じている。

葬儀を終えた後、すべてが止まった。1人で住むには広すぎる。リビングの壁面には、知事時代に寄贈された感謝状や表彰状がそのまま並んでいる。だがソファには本や服やアクセサリーが無造作に積まれ、テーブルの上には娘の部屋から持ち出した写真立てがうつ伏せに置かれている。その空間で、朝も昼も夜も関係なく、遺影の前で座っているだけ。

秒針音すら、心に突き刺さる。私はまちがっていた。もう生きていない方がいいのだろう。もう私を心配しないでほしい。関わらないでほしい。

あの子は、どんな名で呼ばれたかったのだろう?どんな人生で、どんな嬉しいことや悲しいことがあったのだろう?なぜ・・・・・自ら人生を閉じてしまったのか?私は「早乙女芽衣子」として、娘 優花へどれほどの愛情を込めてきたのか?

「優花の本当の望みとは何だったのだろう?」

私も後を追って逝くのもいいが、せめてそれだけは知りたい気持ちが芽生えてきた。確かに私はまちがったのだ。しかしながら何をどうまちがったのか、確認せずに死ぬのは優花に申し訳なさすぎる。

おそらくはこれが母親として、早乙女 芽衣子として最後の役割となるだろう。最期は優花のために生きようと決め、何をすることが適切かを、ようやく考え始めた。

あとがき

絶望感に関しては、これまでたっぷり味わってきました。生きる意味を見失い、誰にも助けを求められず、1人沈み込んでいくような日々。それでも、生きていかねばなりません。絶望に浸りながら働かざるを得なかった記憶は、かなりの長期に至ります。

この物語が、どのように進み、どこへ向かうのか――早乙女芽衣子という1人の女性が、自らの命と名にどう向き合っていくのか。ぜひ、これからの展開にご期待ください。


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人生という舞台で命を体現〜藤堂富美子さん物語17終

命の体現者

日本舞踊家、藤堂富美子。芸名『藤間美雅』として半世紀以上生きてきた私は、この1年、自らの命と本気で向き合い続けてきた。誰よりも私の命(めい)に耳を澄ませてきたと自負できる。

その姿勢は家族にも、弟子たちにも、かつての母 雅麗つながりの方々へも、確実に影響を及ぼせている。「努力」「忍耐」を重要視していた当時とは雲泥の差である。望んだことが極めてスムーズに進んでいる。

変化の実績として大きく3つ。

1 海外公演の実現

かつては「格式や流派の内規」「英語への苦手意識」「海外舞台への不安」等を理由に断っていた案件。
→ 「舞で命を伝える覚悟」が明確になり、自ら出演を志願している。半年後に初のNY&LA公演が決まっている。

2 外国人アーティストとのコラボレーション

命の体現者〜藤堂富美子さん物語17終(フラメンコダンサーとのコラボ公演)

従来は「型が崩れる」「伝統が失われる」ことへの恐れから共演を避けていた。
→自らが「型と命の融合者」と名乗ったことで、価値の本質が変容。フラメンコダンサーとの共演で、「型」と「魂」の共鳴を実感し、感激。「異文化=崩し」ではなく、「異文化=響き合い」への意識転換。

3 外国人の弟子入り

かつては「日本語も話せないし、続かないだろう」と閉じていた門戸。
→ 心があれば国籍など関係ないと気づき、入門を許可。「日本舞踊で命の意味を感じたいです」と言った若いフランス人女性に対し、「ようこそ」と一礼。

「役割を生きるだけじゃなく、存在を生きる。そのための名の意味を、初めて理解できました。分かっていた過去の私を恥ずかしく感じています」「『気負うことなく凛と立つ』の意味を、美雅先生の生き様から理解できました」

そう語ったのは、最も近くで私を見守ってきた弟子だった。娘や息子たちもまた、変化に気づいている。

「お母さん、前と全然違うね。一緒にいることが居心地いいよ」「今度、家族皆で遊園地に行こうよ」 「私の娘の授業参観へ行ってみない?」

孫たちと関わらせてもらえるようになり、祖母としての役割に充足感を抱いている。穏やかな日常の中に、確かな変化が浸透している。関わる人々の命までも柔らかく照らし始めている。

何より感謝の念が常に込み上げてくる。封印してきたわだかまりをどんどん解放できている。笑顔が日々の生活に溶け込んでいる自覚があるのだ。本当にありがたい。

宇宙の循環システム

龍先生がおっしゃる「自立具現化コーリング」における「核を突き抜けた世界との自由自在な往来」の意味を噛みしめている。まさに人類歴史の偉人たちがたどり着きたかった世界ではなかろうか。

分かってしまえばたわいもないシンプルさだが、「誰も知り得なかった境地をどうやって?」と疑問が湧いてしまう。

「私は、『型と命の融合者』この名とともに生きていく。そして、きっと更新する日が来るだろう。それでいいと思えている。命が変化する限り、名も進化していい。なぜなら私には生命があるから。生かされているからには、何らかの役割があるのだ。役割を全うするために、人生という舞台、今を生きるのだ。

役割を全うすることが、巡り巡って全体の調和へ導かれ、結果として私に返ってくる。『自立具現化コーリング』や『遺名』を通じて、そんな宇宙の循環システムに気づかせていただけた。」

かつて芸名として生きてきた『藤間美雅』の道。その歴史を敬いながらも今、存在名『藤堂富美子』『かつて支えてくれた夫 藤堂徹の遺志』全て背負って命を刻んでいく。

「これが、私の命の結晶。ありがとう」

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命に名を刻む時〜藤堂富美子さん物語16

命に名を刻む時〜藤堂富美子さん物語16(自ら決めた遺名の書化中)

藤堂富美子さん物語、いよいよ次回で最終回です。今回は、「自立具現化コーリング」「遺名コーリング」同時進行で受けていただき、1年を経た最終日。

名を決める覚悟

「これが、私の今の答えです」

悩みに悩み、考えに考え抜いた。約1年かけて龍先生と語り合って思い巡らせてきた結論。

「型と命(めい)の融合者──これが私の遺名です。舞を生き、舞に救われ、舞で多くを伝えてきました。ながらも私は、型を教えたかったわけじゃない。命をどう込めるか?を、生命がけで問い続けてきました。

すごく参考になったのが、龍先生の問いかけです。何か損得勘定を抜きにした、真理追究の結晶体かのような、純粋な問いかけ。本当に感化されました」

画面の向こうの龍先生が、深く頷く。

「ありがとうございます。そうだったんですね。私は一心不乱無我夢中にやってきただけです。そんなに評していただき感無量です。

やはり『スジが貫かれた名』ですね。これから、この名が富美子さんを支え、導き、そして多くの皆さんの勇気になります。特にこだわっているわけではないと思いますが、どれだけ世に広がっていくかは、いかに魂と向き合ったかに比例します」

少し涙ぐみながら、言葉を継いだ。

究極の節目

「はい。本当にどうでもいいです。今の私には、これが最善の答えです。

ここで、1つの疑問が湧いてきました。もしかしたら未来の私が、もっと大切な何かに気づく日が来るかもしれません。だとしたら、今回の遺名は、私の死にふさわしいものとは言えなくなります。だけど今回決めた以上は、覆せないものなんでしょうか?」

「さすがです。いい質問ですね。結論から言うと、『究極の節目』です。今回の遺名は、遺言や遺書の名前バージョンです。遺言も、『死んだ時のために』と早い時期から書いておく方もいらっしゃいます。 死ぬかもしれないという気持ちで、死をイメージしながら書くのが遺言です。 遺名も同じです。

では、更新されたものには価値がないんでしょうか?法的には無効かもしれませんが、ご本人においては?『どんな死に方をするか?』をイメージすることで、生き方に変化が起きませんか?

仮に更新できないものとしてみましょう。死ぬまで1回しか決めきれません。だとしたら、死後に誰かによってつけられるものと同レベルになってしまいます。『自ら決める』からこそ、緩みを持たせて更新可能なものとするんです。」

今を生きる覚悟を問う

大きく柏手を打った。「なるほど!確かにそのとおりですね。この1年間、今までないくらいに真剣に向き合いました。実際にやってみなければこの価値は分かりようがありませんね。『究極の節目』すごく合点がいきました」

「そうですよね。私もさんざん自殺願望と向き合ってきました。自分が嫌いだったからこそ、どうすればいいかを考えざるを得ませんでした。結果として、死生観につながっていったんですね。

かつ、志を持てた今と当時では、また違います。今は『どんなことがあっても絶対に死ねない』と考えています。迷惑をかけながらも期待してくださった方へ、恩義に報わずにはどうしても死ねません。」

手を合わせ、深く一礼する。「ありがとうございます。もともと当家は仏教徒ではないので、戒名というしきたりはありませんでした。ながらも夫の死に際して、戒名料を要求されたことが納得できていなかったんです。今、すごく晴れ晴れした気持ちです」

「そうでしたか。よかったです。私もきっかけは親父の死でした。仏教徒ではないのに、強烈な不快感を抱きましたよ。そういった思いが、今回の富美子さんを通じて覚悟できましたよね。こちらこそありがとうございます。」

「この名と共に、私は生涯現役を貫きます。」

未来へ託す自己の核心

「遺名」とは、死後のために誰かにつけられる名ではありません。それは、生きている今を凝縮し、自ら選び決める、命の約束のこと。

あなたなら、どんな名を遺しますか?

型のように固めず、命のように変化する──あなた自身の「遺名」が、今この瞬間から始まります。

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時空を超えた命名(遺名という提案)〜藤堂富美子さん物語15

時空を超えた命名(遺名という提案)〜藤堂富美子さん物語15

魂に火を灯す問いかけ

ZOOM画面越しに、作務衣姿の龍先生が見える。先日の姓名覚醒セッションにおいて実感したが、多次元な発想を自由自在に展開できている様に驚愕。ながらもどこにでもいるような一般人と何ら変わらない雰囲気に、真紀子さんが尊敬する理由を理解できた。

「今日もどうぞよろしくお願いいたします。真紀子さんから、『自立具現化コーリング』について熱くお勧めいただいたので、詳細をお聴きしたくて」

「ありがとうございます。はい。私も真紀子さんから伺っています。素晴らしいです。真紀子さんがおっしゃられるように、確かに表情や雰囲気が全く違いますね」

「そうですよね。ありがとうございます。先日の『姓名覚醒』を通じて深みという価値がよく分かりました。だからこそ、悩みも深まってきたんでしょうね。うまく言葉にできないのがもどかしいんですが、確実に今のままではダメな気がしてなりません。」

悩みは、未来への入口

「素晴らしいことですね。『悩み』『課題』『目標』って、脳の都合から言えば同じなんです。切り口や見方が違うだけです。要は悩みって、成長欲求なんですよ」

「・・・ああ、悩んでる自分に『これでいい』を出してもいいんですね」

今まで悩みを重く受け止めていたが、気持ちが一気に軽くなった。「人生は解釈次第」と繰り返しておられたが、本当にその通りだと実感し、目頭を熱くした。

「ありがとうございます。本当にそうですよね。やはり真紀子さんが言われていたように、『自立具現化コーリング』受けた方がいいでしょうか?」

「はい。真紀子さんも熱く語っていらっしゃいましたよ。確かに受けてくださることで、さらなる具現化は進みます。ながらも私が祈った限りには、富美子さんには物足りない気がしています。」

「は?そうなんですか?なぜでしょう?」

「死ぬまでの価値」の先へ

「はい。自立具現化コーリングは、『死ぬまでの価値』です。ということは、富美子さんご自身の人生だけで終わってしまうんです。」

「はい。それの何が問題なんでしょう?」

「富美子さんのお悩みの本質は、『本物すぎること』ではないでしょうか?日本舞踊界に関わり、型にこだわり、人生の最優先に考えてきましたよね?」

「そうですね。血の滲むような研鑽に幾度も涙を流してきました」

「そうやってきた『美雅』を、『富美子』と調和させようとしています。」

「はい。それが何か?」

「問題は富美子さんご自身が、いかに妥協点を払拭できるかだとみています。まだ構想を練っている段階ですが、富美子さんの死後にも影響力を発揮できるとしたら、いかがでしょう?」

「考えたこともありませんでしたが、もしそんなものが本当にあるなら、とんでもなくすごいんでしょうね!」

時空を超えて名を遺す

「現状では仮で『遺名(ゆいみょう)』と名付けています。簡単にお伝えするなら、死後にも通ずる名前です。

戒名の目的は、仏教徒が死後に帰依するためにつけられるそうです。要は、『御釈迦様の弟子』という前提があります。ずっと違和感を抱いてきたのが、私たちって皆さん対等では?イエスキリストさんも、勝手に神格化されてますが、キリストさんご自身は崇め奉られたいとは思っていません。

どこぞのお偉い方につけられるより、ご本人の生き様を振り返って『全うする生き方』を定めてみませんか?」

「なんとなくすごいのは分かりますが、例えばどういったことでしょう?」

「例えば、パッと出てきた長嶋茂雄さん。詳しくは知りませんが、彼ほど読売ジャイアンツや日本野球界に貢献した方はいないとも言えるのでは?彼は「Mr.ジャイアンツ」とも呼ばれており、「背番号3」は、永久欠番とされています。他にも『手塚治虫=マンガの神様』『美空ひばり=昭和の歌姫』『黒澤明=世界のクロサワ』等あります。このご本人バージョンですね。」

「なるほど。確かに興味あります。」

相違点

「ありがとうございます。よかったです。ずっと祈って考えてきた1つです。『自立具現化コーリング』は、まだ気づいていない『未知の内なる視点』との対話を通して、これからの人生のあり方を描いていくプロセスです。

今回ご提案する『遺名(ゆいみょう)』は逆です。これまで歩んできた人生と、本来の自分自身を統合し、『死後にも通ずる名』を生きているうちに命名していくプロセスです。

自己対話を深めていく上では、『自立具現化コーリング』も加えた方がいいですが、そちらはお任せいたします。」

「かしこまりました。せっかく真紀子さんが熱くお勧めいただいているので、すべて受けてみようと考えています。詳細を教えていただけますか?」

「承知いたしました。では、プレセッションの時間を持ちましょう。そこで、『未知の内なる視点』『究極のパートナー』が誰なのか、お伝えさせていただきます。こちらは、今まで500人超に問うてきて、ヒントを交えて答えきれた方は5人。分かってみればごく当たり前なんですが、分かるまでは五里霧中です。どうぞ楽しみにしておいてくださいね」

一気に道が照らされ、目の前が明るくなった。

#悩み
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死ぬまでの価値〜藤堂富美子さん物語14

予感

湯島天神の裏手、小さな路地に佇む稽古場。春の陽射しが障子を透け、畳の香りが優しく漂う。鹿威し(ししおどし)の音に心地よさを感じながら、畳に正座をしていた。筆をとり、夫の位牌に向けて言葉を綴っていた─────。

手には、亡き夫 徹の遺影。そしてその隣には、今はもう使われていない美雅名義の名刺と、封を開けたままの手紙。

「すべて、終わったわけじゃない」

私の中で、何かがまた動き出していた。

夫 徹の位牌が倒れたあの日以降、目には見えない何かのサポートを感じるようになっていた。「もう守られているだけの人生ではない」と、自らの足で立つことへの決意が芽生えていた。

帯をたたむ所作の中で

死ぬまでの価値〜藤堂富美子さん物語14

母 雅麗の帯を丁寧にたたんでいて、絹の手触りと香りが、時間の流れと共に心に沁みてくる。たたみ終えた帯をタンスにしまいながら、ふと胸の奥に1つの問いがよぎった。

「私が本当に望む人生って、何なんだろう?」

時計の針さえもない私だけの部屋に、どこかざわつく感覚がある。新しい人生を歩む覚悟を決めたはずなのに、どこか取り残された何かがある。

「娘に何を受け継ぎたいのか? 弟子たちに、舞の何を残すことが私の役割なの?」

今までも問うてきたのかもしれないが、深みが全く違っている。答えはまだ見つからない。現状の私のままではどうしようもできないことだけは分かる。これまでとは異質の問いが、芽生えているのを確かに感じていた。

真紀子さんとの再対話

翌日、真紀子さんと再びZOOMをつないだ。画面越しに現れた真紀子さんは、私の顔を見てすぐに言った。

「富美子さん、なんだか・・・表情が変わりましたね。穏やかだけど、決意が伝わってきます」

「そう?まだまだ問題は山積みですが、ようやく形にできてきた気がするの。誰かに認められるためじゃなく、私が私であるために。」

「それって、セッションでお話していた『使命の更新』につながっているかもしれませんね」

「そうですよね。おそらくは使命の輪郭が明確になってきたからだと感じていますが、さらなる深みが増した感があって。今の私には見出せない絶望感も抱いています。この苦しみから向き合いたいと思っているけど、何をどうしたらいいのか分からずにいます。

先日の、姓名覚醒のセッションがあまりに素晴らしく、ステージが一気にドンと上がった感覚があります。だからこその悩みだとも感じています。進むべき道が垣間見えたのに、私自身が整っていないんです」

真紀子さんの目が潤む。

死ぬまでの価値

「・・・素晴らしいです。きっと富美子さんが生き抜いてきた、あり方の集大成を見出そうとなさっているんでしょうね。なんとかしてあげたいけど、私も富美子さんの深みという感覚が、なんとなく分かります。」

「ありがとうございます。真紀子さんとは、インタビュー記事を本で読んだ時から、深いご縁を感じましたからね。」

「そうですよね。富美子さんからメッセージをいただいた時、他人とは思えない親近感がありました。

富美子さん、それだけ強い問いが湧いているということは、もう『次のステージの自分』が待っているということかもしれませんよ。やっぱり自立具現化コーリング、受けてみてもいいんじゃないかな?

それが答えにならないかもしれないけど、私も受けてみて本当によかったから。『人生が変わるって、こういうことを言うのね』と改めて思える内容でした。富美子さんが死ぬまでの生涯価値ありますよ」

少し驚いた。けれど不思議と、心のどこかで「その言葉を待っていた」気がした。

「・・・そうね。今なら、向き合える気がしますわ」画面に向かって、決意を込めて頷いた。


#専業主婦

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#人生
#セッション
#覚醒

継承と更新〜藤堂富美子さん物語13

姓名覚醒を経て

「藤間 美雅」の名を守ることで、私は「妻・母・師匠・家元」としての役割を果たしてきた。けれど、そのすべてにおいて「藤堂 富美子」という私を置き去りにしていたこと、姓名覚醒を経てようやく気づけてきた。またさらに・・・。

主人の位牌が倒れた時、驚きとともに何かが流れ込んでくるような感覚。 不思議と、怖さはない。

「ありがとう」

その声が、彼のだったのか、定かではない。ながらも確かに、心の奥で何かが融けたのを感じた。龍先生から「ご主人様が肝臓ガンで亡くなられたということは、溜め込み続けてきた感情整理が追いつかなかったから」と言われたことが鮮烈なショックだった。

主人が語りたかったこととは?ずっと考えていた。まさに位牌の件と関連があるとしたら、タイミングから考えても『過去の私への手紙』とつながっているに違いない。

主人は、養子として婿入りしてくれた。確かに私は支えてもらっていた。私は主人に何を貢献できたのだろう?主人へのありがたみなんて、空気のように薄く感じていた。相応に私への負担がかからないよう、どれだけ配慮してくれていたことか。今さらながらに申し訳なさと感謝の気持ちが湧いてくる。

私は多くの愛を受けていたのだ。気づけなくてごめんね。これからは、「藤間 美雅」「藤堂 富美子」だけでなく、夫「藤堂 徹」とも一緒に生きていこう。

その夜、娘 雅子が台所で一言ポツリと呟いた。

「お母さん、最近ちょっと柔らかくなった気がする」

その言葉に、思わず涙が滲んだ。ああ、私は、ようやく「美雅」ではなく「富美子」として、母に戻れている──そう感じた。ようやく自分を許せた実感を得たのだ。

継承と更新〜藤堂富美子さん物語13(気づきへの感謝の涙)

弟子との対話

翌日。稽古場に顔を出すと、弟子たちが一斉に立ち上がり、いつものように一礼をしてくれた。

「皆さん、今日は少し時間をいただけますか?」

弟子たちの表情が引き締まる。

「私は、これまで『藤間 美雅』として生きてきました。今ようやく『藤堂 富美子』としても立っていたいと考えるようになりました。名前に込めた願いと、これからのあり方を、私自身で選び取っていきたいのです。よろしいでしょうか?」

静寂の中で、1人の弟子が声をあげた。

「先生・・・私たち、ずっとそのお言葉を待っていたんです。先生お1人に重圧を背負わせてしまっていることを申し訳なく感じていました。だからと言って、行動に移せず困っていたんです。先生が切り出してくださり、今初めて道が照らされました」

その言葉に、張り詰めていた何かがほどけた。私は「誰も後継者がいない」と思い込んでいた。弟子たちにしてみれば、私が何もかも尽くしてきたがゆえに、関われる限界を感じていたのだ。

本当に申し訳なく感じた。私の勝手な独りよがりで、「一生懸命頑張っているのは私だけ」と感じていた。ゆだねきれなかった器の狭小さを恥じた。

「ありがとう。これからは一緒に、もっと自由に、舞を表現していきましょうね。違和感や改善等のご意見、どんどん出してください。そこにこそ発展のチャンスがあるかもしれません。」

微笑みながら深く頭を下げた。本当にありがたくて、涙が込み上げてくる。

許しとつながりの修復

その数日後、長年距離を置いていた姉から、珍しく手紙が届いた。

「法事ではありがとう。突然だけど母の着物を見ていたら、ふとあなたのことが気になって」

封筒の中には、母 雅麗が若い頃に愛用していた帯が同封されていた。

許してくれたのかもしれない。いえ、きっと私自身が、姉との間にあったわだかまりを解放したいと、できると思えてきたのだろう。「藤堂 富美子」として、覚悟の表れなのかもしれない。

「許すとは、ニュートラルな状態です。『してもいいけど、やらなくてもいい。どうぞお好きなように』と言われているんです。要は『何があろうとも受け入れる覚悟』なんです」と語られていたのが脳裏に浮かんだ。

今までずっと許したくも、なぜ許せなかったのか?そもそも「自分を許す」とは、自分の中の何をどうすることが「許した」となるのか?言語化と重要なことの再定義が、こんなにも重要だったのかを身をもって実感できた。

思えば、娘からの一言。「それって、お母さんの満足よね?」まさに青天の霹靂だった。それからというもの、何をやっても失敗する気持ちが芽生えてきた。蟻地獄の巣へ引き込まれていくような恐怖を感じたからこそ、真紀子さんと出会えた。

名から命の継承

「名前で生きる」とは、単に与えられた名を守ることではない。 込められた意味を、自らの意思で更新していくこと。ここを全く理解できていなかったことに気づけたのは、人生の大転換点だったと噛みしめている。

「美雅」は、祖母と母が託してくれた大切な芸名。 そこに私の意志が加わった時、ようやく「名の継承」ではなく、「命の継承」に変わるのだと気づけた。

今ようやく私は、その更新の第一歩を踏み出せたような気がしている。

「姓名覚醒 あなたバージョン」では、どんな展開が起こるのでしょう?

響命チェックリスト

あなたが「本質の命」に出会うために

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過去の私への手紙〜藤堂富美子さん物語12

過去の私への手紙〜藤堂富美子さん物語12

「藤間 美雅」を喜んでいた少女へ

「どうして、今さらそんなことを?」

鏡の前で化粧を落としながら、つぶやいた。 ながらもその問いは、ずっと私の中にあったものだ。

龍先生との面談の最後、ふいに提案された言葉── 「もしよろしければ、過去の富美子ちゃんに手紙を書いてみてください。誰のためでもなく、富美子さんのために」

当初は戸惑った。でもやってみようと思った。 もう一度、過去の私と向き合ってみたかった。理由は、龍先生とのセッションにおける実感。「過去も未来も、結局は今現在の解釈次第」であること、身をもって理解してしまった。

セッション前に言われていた「ゆでたまごから生タマゴへは戻れないように、元の状態に戻れなくなる」の意味がとてもよく分かる。「ルビンの壺」のように、いったん見えてしまったら、見えない状態には戻れないのだ。

龍先生は、今まで何をしてこられたのだろう?なぜこんな気づきを得て素晴らしいものを作っていながら、今まで無名だったのか?不思議でならない。

「15歳の富美子ちゃんへ」

あなたは、あの時から不安だった。「藤間 美雅」という名を授かって、誇りと同時に戸惑っていた。皆が拍手してくれても、あなたはまだ舞の意味すら分かっていなかった。それでも、あなたは笑っていたね。「大丈夫よ」って、無理にでも言えるようにしてきた。

それが「藤間 美雅」という名の演技の始まりだった。でもね、私は知っているの。あなたの笑顔の奥に、ずっと「藤堂 富美子」が泣いていたこと。

日本の検察では検挙されてしまったら、99.9%有罪確定されてしまう。相応に絶対に間違ってはならない重圧に苛まれることになるという。あなたも「藤間 美雅」という名を授かり、3代続いてきた流れと日本舞踊界の重圧に悩み苦しんできたよね。

本当に苦しかったよね。キツかったよね。仲が良かった、継承を拒否した姉からの嫉妬混じりの目線や仕打ちにも耐えてきた。多くの皆さんからの期待に応えるため、薄氷の上を歩くような心境だったね。周囲の期待に応える私になるしか、道が思いつかなかったよね。

本当の富美子ちゃんは、何がしたかったの?どうして欲しかったの?今まで分かってあげきれなくて、本当にごめんなさいね。まだ間に合うなら、富美子ちゃんと感動を分かち合いたいの。どうすればいいかしら?

手紙を書くことで、目を覚ます

ペンを持つ手が止まらなくなる。 あんなに曖昧だった記憶が、書くことで息を吹き返してくる。自動手記という言葉を聞いたことはあったが、まさか私が体験することになるとは考えてもいなかった。

「名前の中に、誰も知りようがない涙があった」

その言葉が、自然と浮かんできた。ハッキリ認めきれたことが、初めて「藤堂 富美子」としての希望につながっていく。

私は、私を裏切らない。 私は、私を置いていかない。過去を消したいとは思わない。 けれど、過去を意味づけたいと思っている。「過去の過ちを揉み消そうとするなんて、もったいないですよ」と熱く語っていた龍先生の言葉の意味を、スルメのように噛みしめている。

未来を迎えにいく準備

「名を守る生き方から、名を育てる生き方へ」

富美子ちゃんとの対話の中で紡ぎ出せた感覚。今まで「藤間 美雅」という名を守るために必死に生きてきた。これからは、富美子と美雅、共生共栄の道を歩んでいこう。富美子も美雅も、どちらも私。よろしくね、私。

まるで更新するための祈りのようだった。

「ありがとう、美雅。ありがとう、富美子」

そうつぶやきながら手紙を閉じた。 まさに富美子として新たな一歩を踏み出す前の、小さな儀式になった。

小さな儀式のあとに

手紙を書き終え、フーっと一息ついて立ち上がった瞬間。
仏間から「カタン」と音が聞こえた。見に行くと、主人の位牌が倒れている。

「えっ・・・・・・・・?」

一瞬、息が止まる。風もない。揺れもない。
ただ、位牌だけが倒れていたのだ。

「あなた・・・・・・・見ていてくれたの?」

涙が込み上げる。なぜかその瞬間、「もう演じなくていいよ」という声が聴こえた気がした。「藤間 美雅」として生き抜いてきた私を、ようやく「お疲れさま」と言ってもらえたような────────。不思議な安堵感が、胸を満たしていった。

声に宿るもの〜藤堂富美子さん物語9

富美子さんは、日本舞踊の世界でTV出演するほどの名人。そんな彼女の変容を、まずは声から表現。

変化の共有

真紀子さんとのZOOMでの再会は、思った以上に自然だった。画面の向こうには、変わらぬ穏やかな眼差し。けれど、私の中には明らかに、先日とは違う「何か」が育っている。

「お久しぶりです、富美子さん」 「こちらこそ、ありがとうございます。なんだか、不思議ですね・・・。またこうしてお話しできることが」

言葉を交わす内に、心が柔らかく解けていく。今の私は、もう他人行儀ではなかった。

「実はあのセッション以降、周囲の人から『声が違う』って言われるんです」

思いがけず、自分からそんな話を切り出していた。口にした瞬間、私自身が一番驚いていたかもしれない。

「やっぱり!それ、私も感じました」 真紀子さんが、少し身を乗り出すように言った。 「どこか柔らかく、でも芯があって。なんというか、伝えるための声じゃなくて、伝わる声って感じがして」

伝える声と伝わる声。 なるほど、そんな違いがあるのかもしれない。

2つの名の狭間で

「正直、美雅としての私が正解だと思い込んできました。芸名の方が評価されやすいし、弟子や関係者との関係もあります。でも今、富美子でいることに、変な抵抗感がないんです」

「分かります。名前って、ただの識別情報じゃなくて呼ばれ方なんですよね」

呼ばれ方──────。 それは、自分がどう在ろうとするかに直結する。

芸名に生きることは、ある意味では「課せられた責任」への義務でもあった。 今の私は、富美子という「命名」に立ち返ることで、責任のためではなく私のために声を出せるようになっていた。

「声が変わったのではなく、ようやく戻ってきたのかもしれませんね。先生もよくおっしゃるけど、『正確に言うと変わるわけではなく、本来の状態に戻る』ですから」 真紀子さんがそう言った時、胸の奥がじんわり温かくなった。

「戻ってきた・・・・・。そうかもしれません」

思えば、いつからだろう。誰かの期待に応えようと、いつも「〜しなければ」で言葉を発していたのは。今は、自分の内なる声が出ようとしている。誰かのためではなく、私の中から生まれてくる声。富美子という名に宿っていた、まだ使われていなかった声。

今、ようやく───思い出したのだ。

娘からの電話

真紀子さんからのメールの余韻に包まれていたその夕方、携帯電話が震えた。着信画面に浮かんだのは、「雅子」。娘からの電話だった。

「もしもし、お母さん?週末の法事のことで連絡したくて」

そうだった。亡き主人の十三回忌が近づいていたのだ。

「ありがとう、助かるわ。場所は去年と同じお寺?」

「うん、叔父さんたちとも連絡済み。あとね・・・、声が何か違うよ」

「え?」

唐突に言われた言葉に、思わず声がつまった。

「なんていうか・・・柔らかいっていうか、ずっと遠くで話していた声が、急に近くなったみたいな。なんか不思議」

──やっぱり、聴こえていたのか。

娘にまで伝わっていた声の変化。 龍先生が言っていた周波数の話が、急に現実味を帯びてきた。

法事の準備と家族の気配

法事の準備に追われながらも、静かな確信が根を張っていた。仏間に飾る花を選ぶ時、雅子が小声で言った。

「お母さん。あのさ・・・もしかして、何か始めようとしてる?」

「どうして?」

「雰囲気がね、変わったっていうか。前はいつも張りつめてたのに、今は、自然体って感じがするの」

娘の観察眼には舌を巻く。あえて言葉にしなかったが、心のどこかで「気づいてほしい」と願っていたのかもしれない。

「今ね、自分の名前と向き合っているの」

「えっ?『富美子』?」

「そう。美雅じゃなくて、富美子として生きてみようかと思って」

娘はしばらく黙っていたが、ふっと微笑んだ。

「いいと思う。美雅のお母さんも好きだけど、富美子って呼ぶと、なんか温もりを感じるよ」

受け継がれてきたもの

3代続く舞踊の家系。その流れに乗るように、15歳で名取となり「美雅」を襲名した。祖母の美麗(みれい)、母の雅麗(まれ)、そして私 美雅(みやび)。名前にまつわる意味と歴史。それは誇りであり、重荷でもあった。

「舞いの美しさに、心の雅を重ねる」──それが、美雅に込められた意味だと母は言っていた。「美雅」という名には、かつて込められた想いがあった。けれど今、「美雅」に込められた願いを、託された使命として生きていきたい────

今、私が迎え入れようとしているのは、役割だけではない。名前の意味に宿る本質、命の音(ね)そのもの。富美子という名前の声は、今ようやく私の中に根づこうとしていた。やはり私には、龍先生のサポートを受けた方がいいのだろう。真紀子さんが尊敬するなら、きっと私にもそうなる未来があるのだろう。

「これでいい」の奥へ

法事を終え、親族と別れた後の帰路。

「ねえ、お母さん」

雅子がぽつりとつぶやいた。

「なんかさ・・・今日のお母さん、昔に戻ったっていうより、初めて会った感じだった」

「それって、いい意味?」

「うん。なんか、ちゃんと一人の女性っていうか。お母さんがお母さんである前に、『富美子さん』っていう1人の人間だったんだって、今さらだけど思えたの」

富美子は、ただ頷いた。──そう。今、私はようやく「私自身」に還ろうとしているのかもしれない。その実感が、心地よく胸を温めていた。

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思い出せた声 〜藤堂富美子さん物語8

言葉にできない変化の余韻

──何かが、確かに変わっている。その「何か」をうまく言葉にできずにいるのがもどかしい。けれど、言葉にできないからこそ、大事にしたくなる気持ちもある。

昨日の対話の余韻が、まだ胸のあたりに柔らかく残っている。自分の声が変わったと指摘された時は、死角から張り手が飛んできた感覚で、言われている意味を理解できずにいた。ながらも確かにあの瞬間、何かが解けたような感覚があったのだ。

「富美子」という名前を、これまで避けていたわけではない。私はこの名前と、まともに向き合ってこなかった。だからこそ、「私の中に住む他人」という感覚があったのだ。あくまで書類の上だけの「私」で、そこに生きた感情を通わせることがなかった。

──それでも、あの時は違った。龍先生とのあの瞬間、私は確かに「富美子」だったのだ。今振り返ってみてよく分かる。湧き上がってくる想いは、まるで誰かに呼びかけられているようでもあり、私の奥から湧いてきているようでもある。どちらにせよ、今までとは確実に違っている。

富美子という名の奥にいた私

思い出せた声 〜藤堂富美子さん物語8(幼き富美子ちゃん回想)

富美子という名の奥に、まだ私の知らない私がいる。かつその存在を、ようやく「迎え入れる準備」ができたような気がした。龍先生も、本名を人生と照らし合わせて再定義できたからこそだと語っていたように、確かに今は絶好のチャンスだ。

私はどう生きたいのだろう?私が「心の底から望んでいる私」って?「与えられた人生」じゃなく、「私だけの船で帆を掲げる」なら、何をどうすればいい?娘 雅子からの一言をきっかけに、今まで考えたこともないようなことに思いを巡らせるようになった。

「これでいい。」────その言葉が、ふと心に落ちてきた。取り繕う必要も、整った結論も、いらない。ただこの一歩を、自分の意志で選んだことが、何より確かなことだった。「よくやった!」と褒め讃えられているような気持ちが芽生えてくる。

再び届いた、導きの声

そして、次の一歩をどう進めていくか、考え始めていた。そんな折に、真紀子さんからメール。

「富美子さん

先日はありがとうございます。信頼尊敬する龍先生をお繋ぎできましたこと、本当に嬉しく感じています。

龍先生との対話を交えて思えたのが、共通点の多さと深みです。やはり富美子さんとは、出会うべくしてお会いしたような気がしてならないんです。

またZOOMで語り合ってみませんか?」

嬉しい。今の私においては、真紀子さんは通過点の目標的人物としてふさわしい。私の方からお誘いしたいと考えていたら、真紀子さんから連絡いただけるなんて!」

「もちろん、喜んで!」と返信し、日程調整。お会いできるのが楽しみだ。

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