名を持たぬ遺品〜早乙女芽衣子さん物語2

名を持たぬ遺品〜早乙女芽衣子さん物語2

名を持たぬ遺品

冷蔵庫の音が、やけにうるさく感じる。あれから何日経ったのだろう?もう曜日の感覚もない。梅雨明けの強い日射しを避けるように、カーテンは閉め切ったまま。ながらも1つだけ、課したことがある。

優花の遺品を、きちんと見ること。

ずっと避けてきた。段ボールにつめたまま、開けることもできなかった。優花が住んでいたマンションの管理人が整理してくれた荷物を、玄関に押し込んでいたのだ。

段ボールを開けると、生活の痕跡が出てくる。服・書類・化粧ポーチ・薬・電気代の請求書・・・・。手紙はない。日記もない。スマホもロックがかかっていて、何も見られない。母親として、私は何も知らない。彼女が何を考え、何に傷つき、何を願って生きてきたのか――その証拠が、どこにもない・・・。

県政では、インタビューに意気揚々と答え、県から国を活性化させていく構想を練っていた。「私がいる日本が、このままで終わるわけがない」そう確信していた。確実にブームを起こせる自信があったのだ。あの日までは・・・。

名前って、なに?

涙は出ない。ただただ、深い沈黙。1つだけ見つけたのは、小さなメモ帳。表紙の裏に、書いてあったのは「名前って、なに?私は私のことを、どう呼べばいいのか、分からない。」

ページはそれだけ。あとは白紙。何度も開いて、書こうとして、やめた跡がある。

息がつまる。これは、誰にも見せていないノートだったのかもしれない。私にも友人にも、見せきれなかった小さな叫び。本当は誰かに聴いて欲しかったのだ。誰かに自分の存在を、声を気づいて欲しかったのだ。「もうムリだ」とあきらめ生命を絶ってしまうまで、何があったのだろう?

「名前って、なに?」

無意識のうちに自分の名を口にする。

「・・・早乙女 芽衣子」

名の重み

オーラをまとっていた当時の言葉の響きと比べても、かつての威厳はない。1人の老いた女性のつぶやきが部屋に沈んでいく。自らの名を、こんなにも無意味に感じたのは初めてだ。そしてふと、頭の奥に引っかかるものが湧き上がってきた。

「優花は、本当は何と呼ばれたかったんだろう?」

「呼び方(Do or Have)」というよりも、「存在のあり方【Be】」に対する問いのように響いた。

「あの子は、私にどう見て欲しかったのか?どんなふうに、名づけて欲しかったのか?」

机の上にうつ伏せで置いてあった写真立てを、そっと起こした。優花が笑っている。その笑顔が、ものすごく遠く感じた・・・・・・。

今はもう、誰も彼女の名を呼ばない。この世界で、彼女の名前を声に出すのは、私だけになってしまった。だからこそ――その名の重みを、私が引き受けなければならない気がした。

きっとそれが人生最期と決めた私の、最初の一歩なのだ。


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元県知事の孤独〜早乙女芽衣子さん物語1

元県知事の孤独

◯◯県 盆地を見下ろす高台の自宅。長年暮らしてきたこの家で、初めて「無音の時間」を感じている。

私は、早乙女 芽衣子(さおとめ めいこ)、72歳。つい2ヶ月前まで◯◯県知事だった。「女 角栄」とも称され、政界でも異例の「母であり、知事である」リーダーとして知られた存在。政界一家に生まれ、政党の後ろ盾もあった。知性と胆力には自信があり、一目置かれていた。夫を病で亡くし娘を1人で育てながら、政治という戦場を生き抜いてきた。知事から国会へいつ乗り出していくのか、噂が絶えなかった。

今は肩書きもなく、呼ばれることもない。むしろ呼ばれたくない。新聞や雑誌の取材も遠ざけた。街で声をかけてくるのは、今も熱心な支持者だけだ。けれど、そのどれにも応えきれないでいる。誰にも会いたくない。もう何もしたくない。生きていくことさえ・・・。

当時インタビューを受けていた自宅リビングには、配達されたままの新聞・宅配の段ボール・未開封の郵便物が散乱している。台所はインスタント麺等の食べ残しや腐りかけている食べ物がそのまま置いてある。お風呂に何日入っていないだろう?数える気持ちにもならない。梅雨が明けた日射しの中、雨戸を閉め切り、陰鬱とした日々。

辞任の本当の理由は、語っていない。「体調不良」「政治的混乱」いくつもの憶測が飛び交ったが、すべて違う。――愛する娘 優花(ゆか)の自殺。

元県知事の孤独〜早乙女芽衣子さん物語1

遺影の前で

自ら命を絶ったという連絡を受けた日のことは、青天の霹靂で今も現実味がない。連絡が来たのは、県庁の執務室だった。職員が震える声で伝えてきたあの一報。すぐに向かったが、もう冷たくなっていた。遺書もなく、ただ静かに逝った。享年48歳。

政治への職務に夢中で、娘に関われていなかったことに気づく。結婚後まもなく離婚し、10年以上1人。正月や盆等の節目で会ってはいたが、笑顔で問題なさそうだったので、「幸福だろう」と決め込んでいた。今まで「言えなかった」のだ。

「なぜ自殺なんて・・・」と、表面的にしか関わってこなかった私には、理由が全く分からない。「ごめんね・・・」と謝罪の気持ちと、自分を責め立てる声が脳内に響き渡っている。

遺影の前に座る。娘の笑顔は、写真の中で永遠になった。この笑顔とは、誰に向けたどんな笑顔だったのだろう?私に残されたものは空虚だ。「母親失格」「人間失格」客観的に誰かから言われるわけではない。私自身が、私への罵倒だ。

本当の望み

辞任における記者会見では泣かなかった。訃報にも政治的配慮を求め、冷静に記者の質問に答えた自分を、今はただひたすら恥じている。

葬儀を終えた後、すべてが止まった。1人で住むには広すぎる。リビングの壁面には、知事時代に寄贈された感謝状や表彰状がそのまま並んでいる。だがソファには本や服やアクセサリーが無造作に積まれ、テーブルの上には娘の部屋から持ち出した写真立てがうつ伏せに置かれている。その空間で、朝も昼も夜も関係なく、遺影の前で座っているだけ。

秒針音すら、心に突き刺さる。私はまちがっていた。もう生きていない方がいいのだろう。もう私を心配しないでほしい。関わらないでほしい。

あの子は、どんな名で呼ばれたかったのだろう?どんな人生で、どんな嬉しいことや悲しいことがあったのだろう?なぜ・・・・・自ら人生を閉じてしまったのか?私は「早乙女芽衣子」として、娘 優花へどれほどの愛情を込めてきたのか?

「優花の本当の望みとは何だったのだろう?」

私も後を追って逝くのもいいが、せめてそれだけは知りたい気持ちが芽生えてきた。確かに私はまちがったのだ。しかしながら何をどうまちがったのか、確認せずに死ぬのは優花に申し訳なさすぎる。

おそらくはこれが母親として、早乙女 芽衣子として最後の役割となるだろう。最期は優花のために生きようと決め、何をすることが適切かを、ようやく考え始めた。

あとがき

絶望感に関しては、これまでたっぷり味わってきました。生きる意味を見失い、誰にも助けを求められず、1人沈み込んでいくような日々。それでも、生きていかねばなりません。絶望に浸りながら働かざるを得なかった記憶は、かなりの長期に至ります。

この物語が、どのように進み、どこへ向かうのか――早乙女芽衣子という1人の女性が、自らの命と名にどう向き合っていくのか。ぜひ、これからの展開にご期待ください。


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小さな決断〜藤堂富美子さん物語6

小さな決断〜藤堂富美子さん物語6

翌朝の静けさ

翌朝。洗濯物をたたみながら、昨日の対話を何度も思い返していた。

「名前は、守るものではなく現れるもの」が、夜を越えても胸の奥で響いている。

長年、美雅という芸名に誇りを持ってきた。弟子にも、舞台にも、恥じない生き様を刻んできたつもりだった。それは「私であり続けるための鎧」でもあったのだと、今さらながら気づいたのだ。

言葉にうまくできないが、鎧は錆び付いており、磨くことを怠っていたのだ。かつ、今までの磨き方ではダメで、全く新しい何かが必要な気がしてならない。そもそも鎧をまとい続けている必要があるのだろうか?

本当に「守るものではなく現れるもの」ならば、鎧をまとわずとも名前は現れてくるはずだ。私は娘 雅子にも、弟子たちにも、この鎧を着せようとしてきたのかもしれない。

選ばされてきた人生

思い返せば、舞踊の世界に入ったのも、名を受けたのも、「流れ」だった。自らが明確に「これが私」と決めた記憶がない。名前も立場も、人間関係さえも────与えられたものを受け入れ、守ることに必死だった。

もはや「選ばされてきた人生」では、もう立っていられない。

「富美子さんの人生、きっと変わりますよ」真紀子さんの言葉が、今は現実味を帯びて胸に残っている。変わりたい。変わらなければと思っている。でも──どう変わればいいのだろう?何を望んでいるのか、自分でも分からない。

「姓名承認」なるものも、まだ完全に信じているわけではない。占いでもなく、改名でもなく、自分で自分の名前と向き合う?・・・それで何が変わるのか。

それでも確かに、昨日の対話の中で、初めて「もっと自分の名前を深く知ってみたい」と感じた。昨日のご縁が、心にわずかな灯をともしている。

真紀子さんがしきりに言っていた、「似ていると思うんです、私たち」──私に見えていない何かが、真紀子さんには見えているのかもしれない。

「美雅」としての名を、ここで閉じるのではない。「富美子」である私が、どう解釈するのかを選ぶのは、私自身だ。

小さな「決断」

富美子は、携帯端末を手に取り、慎重に文字を打った。

「真紀子さん

昨日はありがとうございました。
龍先生の言葉、一晩たってもまだ胸に残っています。

私・・・自分の名前を、今までとは違う視点で考えてみたくなりました。
改めて龍先生がおっしゃられる「姓名承認」の機会をいただけませんでしょうか。

藤堂富美子」

メッセージを送信後、1人お茶を淹れた。私はこれまで、誰かの言葉に従うことはあっても、自ら決断したと感じた瞬間は数えるほどしかない。すぐに何かが変わるわけではない。ながらも確かに、自ら選んだ「小さな決断」だった。

「まだ私にも、これからがあるのかもしれない──いや、きっとあるに違いない」

そう思えたことが、今は何よりの希望だった。

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