
迷いの重圧
迷いを解消したとはいえ、心にはまだ何かが引っかかっている。
「この道を進めばいい」と未来の自分が示してくれた。ながらも「私は本当にこのまま進んでいいのか?」という疑念が、時折心をよぎる。
まるで霧がかった道のようだ。行く先には光が見えるのに、足元がぼんやりしている。こんな気持ち、今まで味わったことがない。得体の知れない重圧に、ものすごく苦しくなる。
そんな中、再び龍先生と話す機会を得た。
「前回の対話で、迷いはある程度解消できました。でも・・・まだ、確信持てません。」
画面越しに、静かに微笑む龍先生。
「では、もう一歩踏み込んでみましょう。前に「◯年後の真紀子さん」と言いましたよね?」
「はい。そうですね」
『◯年後の真紀子さん』
「『◯年後の真紀子さん』例えば私の場合、中学生当時はセルフイメージが極めて低く、『世界なんてなくなってしまえばいい』と本気で考えていました。しかし今は、そんなこと微塵も考えていません。全く逆で、『世界平和に貢献できるなら、役割は何だろう?』と深め広げています。その時々の状況に応じて、願っていることはかなり違ってきます。」
「そうですよね。だから考え出して、混乱してきたんですね」
「はい。真紀子さんは失敗だと感じていても、他人からそうは見えなかったり。」
「今、まさにそんな心境です。見た目には成功しているように羨まれることもありますが、成功とはかけ離れている感覚です。」
「そうなんです。よく気づかれましたね。『未来の自分』では、1分先の自分も『未来の自分』です。死ぬ前の自己実現できている確証持てない自分も『未来の自分』です。『未来の自分』では、目標設定が曖昧です。」
究極のパートナー
「ならば、ハイヤーセルフ?」
「はい。ハイヤーセルフや守護霊、アカシックレコード・・・。様々言われるようになってきました。これも、いかがでしょう?本当にふさわしい道が示されるでしょうか?」
「そうなのかも知れませんが、私はなんとなく距離を置いてきました。浮き足立ってしまう気がして・・・」
「そのとおりです。もっと的確で、究極と言えるパートナーがいます。」
「究極のパートナーですか?」
「はい。私は、『私が決めたことだから』と言える生き方に価値を置いています。何をどう決断するにおいても、『私が決めたことだから』の一言が出るかどうかで、印象が全く変わりませんか?」
「そうですね。雲泥の差です」
「はい。もしうまくいかなかったとしても、この一言の重みを理解している分、納得できます。だからこそ次に向かえます。『私が決めたことだから』の重みを理解するには、自己対話なしにはあり得ません」
自己対話の価値
「自己対話。たくさんしてきましたが、龍先生の言葉には本当に確信が素晴らしいですね。自己対話の重要さや深みが伝わってきます」
龍先生との対話から思うこと。これまでの自己対話は、いかに浅かったのだろうか?今までも自己対話をしてきたつもりだった。それは「本当に私が決めたこと」になっていただろうか?ふと、そんな疑問が浮かんだ——。
「自己対話こそが究極のコーチ&コンサルだと考えています。ながらも多くの皆さんが首を傾げます。そこで立てた仮説は、客観視できないがゆえに独りよがりにハマってしまうと考えているからだと見立てました。」
「はい。私も同じく心配で疑問視側です。」
「ですよね。そこでお伝えしたい解決策が、『究極の自己対話』です。自己対話ながらにも、『究極のパートナー』と呼べる存在を創り出し、対話を深めきれるとしたら?」
「そんなことが本当にできるのなら、スゴイことですよね!」
「はい。だから私の専門分野が『覚醒を意図的に起こす技術』となるんです」
私は深くうなづいた。自己対話を究極まで深めることで、本当に私が進みたい道が見えてくる・・・?
「私にとっての『究極のパートナー』とは、一体どんな存在なんでしょう?」
「答えは、小学5年生で教わります。ごくありふれた言葉で、現状では軽視され過ぎており、もったいなさすぎて簡単に答えを出したくありません。」
混乱しながらも、やはり何かがある気がしてならない。
さらに話が続く・・・。