日常の静寂からの逆算〜永続的な人生の主人公へ

第1回では姓名判断の虚構性と代案、第2回では結婚等によって名前が変わる本当の理由について。第3回では、『白鳥運子は31画』というマンガを通し、全承認のシステムが引き起こし得る「都合のいい自己正当化の狂気」について触れました。

「すべては幸せのための伏線」という言葉を、単なる現実逃避の免罪符にしてしまえば、他者の尊厳を踏みにじる怪物へと容易に変貌します。「つけられた名前が悪いから」等の隠れ蓑によって、欺瞞をさも本当であるかのように正当化できます。

では私たちはその狂気や欺瞞に落ちることなく、いかに「自らが創造主となる人生」を実践していけばいいのでしょうか?

答えは、脳内での都合のいい日和見感をいったん止め、日常の中で自らのエネルギーを観察する「瞑想的な逆算」にあります。日々欠かさず歩き瞑想を重ねていますが、何かしらあなたを活性づけるヒントになれば幸いです。

脳の暴走を止める「日常の観察」

私たちは、放っておくと頭(脳)だけで物事を解決しようとします。「この失敗にはこういう意味があるはずだ」「あの人が悪いのはこういう理由だからだ」と、頭の中でストーリーをこねくり回し、都合のいい解釈の檻を作ってしまいます。これこそが、第3回の主人公が陥った罠です。

「名前肯定感」や「人生の主権を取り戻す」という営みは、日和見感とは無縁です。まずひっそりと座ったり日常を歩きながら、自分の内側にある性質とエネルギーを、たまたまつけたTV番組を見るかのように客観的に定点観測。

・今、「私の内側」はどのようなエネルギーで満たされているか?
・外側のルール(他人の評価や吉凶の言葉等)に触れた時、「私の内側」はどう動いているか?

頭のノイズをシャットアウトし、「今ここにあるあり方」を客観視点でホールド。この静寂の時間が、主観の暴走に対する強力なブレーキ(安全弁)となります。

意識的にノイズは止められません。よく活用するのが、潜在意識の解放セッションで用いる「客観視」です。「あ、怒ってる。はぁ〜、だからこうなったんだ」等の感情を、物語を読み進めるかのように。

「時を計り損ねた現場」からの逆算

日常の静寂からの逆算〜永続的な人生の主人公へ

どれほど静かに自分を観察していても、私たちは生きています。時を計り損ねて大失敗をやらかすこともあれば、泥水をすするような現実に直面することもあります。私自身、何度も出会してきました。

しかし当事者意識を持つ方は、責任転嫁も罪悪感への埋没もしません。その泥沼の現場で、静かに深呼吸をし、内側のエネルギーを逆算し始めます。「この手痛い大失敗のエネルギーを、どうやって大逆転の燃料に変えていこうか?」。

これは、無理やりポジティブに思い込もうとする「綺麗事の自己啓発」とは根本的に異なります。 今起きている現実を100%引き受けた上で、そのエネルギーの性質を冷静に見極め、自発的な意志で扱いこなすと決める「冷徹なリアリズム」です。

五行論等の智慧を「鵜呑み」に盲信する生き方をやめませんか?先人が築き上げたルールを納得レベルまで「理解&把握」した上で、自らのエネルギーとして完全に扱いこなす生き方へ移行するのです。まさに「型破り」の奨励です。

自分の名前に宿る性質とエネルギーのすべてを、心血注ぎながら『自分の意志で扱いこなす』人生とは、「エネルギーの逆算」を日々淡々と、日常の泥臭い実践の中で繰り返していくことに他なりません。

あなた自身が主導権を握る

他人が決めた「吉凶」に一喜一憂し、都合のいい言葉に依存する生き方は、一見楽に見えます。小さくまとまり、安定した生き方を選ぶのも、あなたの人生です。どうぞお好きなように。

しかしもしあなたが、「私が決めたことだから」とハラを決めて視える世界は、圧倒的に次元が違うこと、お分かりでしょうか?きっかけや動機は、多種多様にあるでしょう。「私が決めたことだから」という1点だけは、あらゆるすべてに通じているのではないでしょうか?

「私が決めたことだから」とハラを決めても、まだまだ甘い箇所があるかもしれません。だからこそ深めがいがあります。頭の中の言い訳(免罪符)をすべて焼き尽くし、日常の静けさの中で自らのエネルギーをコントロールする主導権を、自らの手で握り直してください。

あなたが本当の幸福感を全うできますよう、私はただただ祈っています。

あなたへの問いかけ

・今まで頭の中でこねくり回してしまった「自分への都合のいい言い訳」は、例えば何でしたか?

・その思考のノイズを一度止め、静かに息を吐き出した時、あなたの内側に残る「本当のエネルギー」はどんな色や形をしていますか?

「すべては幸せのための伏線」という全承認の狂気

白鳥運子は31画(1) (マガジンポケットコミックス)

あなたは『白鳥運子は31画』(原作:松明明利、作画:ますやまある)というマンガ、ご存知でしょうか?「どうせ姓名判断系の、薄っぺらい話だろ」と冷えた感覚で読み始めたのを覚えています。

「あなたの名前は素晴らしい。大吉数だから、絶対に幸せになれる」

親からそう言われ、呪文のようにその言葉を握りしめてきた主人公。現実に待っていたのは「運子(うんこ)」(本名は「かずこ」)と弄ばれいじめられ、踏みにじられ続けた卑屈な人生。 そんな歪んだ人生の果てに、ついに一線を越え、殺人を犯してしまった1人の物語――。

『白鳥運子は31画』という物語の強烈な始まり。

殺人を偽装し、嘘のDNA鑑定書まで作り出します。なぜなら「これもすべて、私が最高の幸せを掴むための、完璧な伏線だから」という強烈な確信。

不気味で、ゾクッとするほどの狂気。この1話目を読み終えた時、占い業界や世の自己啓発やスピリチュアルが孕む「最大の闇」と「核心」が、ここにすべて凝縮されていると確信しました。

占い業界が生み出した「怪物」

既存の姓名判断は、まるっきり悪印象なやり方で人間を縛り付けます。「この画数は大凶だから不幸になる」とアラ探しをし、不安を煽って依存させます。

しかしこの物語の主人公に起きた悲劇は、その真逆です。 彼女は「31画という大吉数(固定された正解)」を押し付けられたがゆえに、悲惨な現実とのギャップに心が耐えきれなくなり、決定的に歪んでいきます。

そして、追い詰められた彼女の魂が、最後にたどり着いたのが「解釈の逆算」。

「この殺人や強奪・偽装でさえも、私が私の人生の主人公として、より大きな救いを得るために自らセッティングした完璧なプログラムなのだ」。ここであなたに、問いたいのです。「本人が100%納得していれば、その解釈はすべて正義なのか?」。

他者を徹底的に排除し、自らの内側のつじつま合わせ(主観)だけを肥大化させた時。全承認のシステムは、他者の尊厳をも踏みにじる「全肯定の怪物」を生み出してしまいます。

「被害者」を辞める本当の覚悟

私が提唱している「姓名承認」や「幸せ解釈」においても、「どうぞ都合のいいように解釈してください」と言ってきました。このマンガを読んで、「現実逃避のための免罪符」を作り出してしまっているかもしれないと、恐怖を感じました。

主人公の彼女の決定的な間違いは、全承認のシステムを「犯した大罪から目を背け、自分を正当化するための言い訳」に使ってしまった点にあります。

本当の「人生の主権を取り戻す」とは、どういうことなのでしょうか?私が考える限りには、【自らがやらかしてしまった大失敗も、背負ってしまった業も、傷つき傷つけてしまった過去も。そのすべてを「自分が引き受けた上で、どう周囲へ光を発信していけるか」という圧倒的な当事者意識(魂の覚悟)のこと】です。あなたのお考え、聴かせていただけませんか?

「名前が素晴らしいから幸せになれる」という、外側のルールに依存しているうちは、大吉数であろうがいじめられ、最後には怪物を生み出す原動力になりかねません。この世に、素晴らしくない名前は存在していません。昔の私のように、「悪い人生だ」と思い込む要因は、名前への歪んだ解釈です。だからこそ、自己肯定感の前に「名前肯定感」なのです。

主人公は、「うんこ」と嘲られ卑屈な人生を送ってきました。中にはいかに嘲られようとも、逆手にとってウケをとる方がいるかもしれません。「名前が素晴らしい」と言われながらも、名前によって卑屈な人生となった本当の原因は、主人公自身が名前の理解を納得レベルに落とせているのか疑問です。

「人生の主導権を誰にも渡しちゃダメですからね」施術家当時から一貫して伝えてきたメッセージ。画数があなたを幸せにするのではありません。あなたがその名前に宿る性質とエネルギーのすべてを、心血注ぎながら「自分の意志で扱いこなす」と決めた瞬間からしか、本当の人生は始まらないのです。

綺麗事のスピリチュアルを焼き尽くす

「名前を肯定すればハッピーになれる」 そんな甘い言葉で、占い業界やカウンセラーは今日も優しい言葉を売り付けています。

この『白鳥運子は31画』の狂気は、その綺麗事を一瞬で焼き尽くします。「解釈を変える」「主権を取り戻す」ということは、人生の全責任を自らが背負うという「狂気的なほどの覚悟」と同義なのです。

他人が決めた「吉凶」のルールで安心している人生も、大いにけっこうです。小さくまとまり安定した生き方、悪くありません。あなたの人生です。逆に、時を計り損ねて大失敗をやらかした方もいるでしょう。その泥水をすすりながら「このエネルギーすらも、ここから大逆転の燃料にしてやる」と言い切れるか。

主権を他人に渡したまま、周囲の価値観という檻の中で飼いならされる人生。どんな泥を塗られた今までであろうと、自らが創造主となって物語を創造する人生。どちらがあなたにふさわしいのでしょうか?

繰り返します。あなたの人生。あなたの人生を、他の誰かに操られるのは、あまりにもったいなくないでしょうか?あなたが本当の充実感や安らぎを全うできますよう、祈っております。

あなたへの問いかけ

・あなたが「自分に都合のいい言い訳(免罪符)」として使ってしまっている、占いや他人の言葉はありませんか?

・人生の「大失敗」さえも、責任転嫁や罪悪感に囚われながらも「自分の燃料にする」と決めた時、あなたの内側からどんな感情が湧き上がってきますか?

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結婚等で名前が変わる本当の理由〜呪縛の被害者から人生の創造主へ

結婚等で名前が変わる本当の理由〜呪縛の被害者から人生の創造主へ

「結婚して画数が悪くなり、夫婦仲が悪くなった」
「親の離婚のせいで、不条理に名前が変わって自分の運命が狂わされた」

人生の最大の転機とも言える「結婚と離婚による改姓」のリアルな現場。もし名前の呪縛に、被害者として立ち止まっているのだとしたら、大いにもったいなくないでしょうか?

結婚等で名前が変わる「事実」

一般的に、結婚して名前が変わるのは「相手を好きになったから」「家族になるから」という理由で語られます。20万人超の名前と人生に向き合ってきた私には、全く違う見解です。

あなたがその方と結婚し、その姓を名乗ることになった本当の理由。それは単に相手に惚れたからよりも、あなたご自身の魂が名前が変わる将来性に興味を持ち、「その生き方を自ら引き受ける」と覚悟したからです。

既存の多くの姓名判断業者は、「結婚して画数が悪くなったから、このままだと離婚しますよ」などと脅してきます。ナンセンス極まりない頭ごなしな決めつけです。彼らはもともと、そうした嘘をまことしやかに言っているにすぎません。

なぜなら、印鑑等の売り付けたい目的があるからです。彼らにはあまりに当たり前すぎて悪気はないのかもしれませんが、結果としてアラ探しをせざるを得なくなります。売るためには不安や恐怖に陥れるのが簡単だからです。

どんなに仲が良かろうが、今のご時世、離婚の可能性が0の夫婦なんて存在しません。にもかかわらず、いざ離婚となった時に「ほら見たことか、名前のせいだ」「相手のせいだ」と、相手や運命を怨むように仕向けるのです。

怨んで幸せになれるのなら、どうぞお好きなだけ怨んでください。ながらも、それであなたが心からの幸せを実感できるようになるとは、私には到底思えません。

「性質とエネルギー」ですべて説明できる

本当は逆です。もし仮に、新しい名前になって激動の人生が始まったのだとしましょう。あなたは「その激動を経験してでも、手に入れたい何か」があったから、自らその名前を引き寄せたのではありませんか?

結婚したその瞬間には、確かにその名前(生き方)に興味があったのです。時に人は離婚という選択をします。それはなぜか。「もうその生き方に興味がなくなったから」です。

興味がなくなったのであれば、その名前でいる必要はありません。だからこそ、元の名前にリセットして再出発。それはとても自然で、主体的なエネルギーの切り替えです。

逆に、離婚してもお子さんとの関係や仕事の都合等で、あえて名前を変えない選択をする方もいらっしゃいます。既存の姓名判断なら「元夫の運気を引きずる」なんて不吉なことを言うでしょう。

ですが、変えない側も同じ道理です。名前に宿る性質やエネルギーが、「2人の状態」から「1人の純粋な状態」へと戻るだけ。変化がないわけでは決してありません。

既存の姓名判断には、この「性質やエネルギー」という発想自体がありません。だから画数だけで価値観を強制固定し、縛ろうとします。しかしこの視点さえあれば、人生のあらゆる選択を説明できるようになります。

何かデメリットがあるでしょうか?

さらに言うと「幸せ解釈」に、何かデメリットがあるでしょうか?

交流会等で、名前をほぼ瞬時に解説できるため、「私は?」と列を作ることも多々ありました。Google検索よりも確実に速いので、間違ったことを口走っているかもしれません。構わず言いきることにしています。理由は、その方の幸せを心から願っての言葉だから。一期一会、もう会うことがないかもしれません。その瞬間を大切にしたいのです。

・「環境や名前に人生を狂わされた被害者」として生きるのか。
・「自分の興味とエネルギーに従って、自ら人生を選択してきた勇敢な主人公」として生きるのか。

どちらにせよ、「私が決めたことだから」と言えるのならば、どちらでもいいと考えています。とは言え、どちらをあなたの人生に採用した方が、生きるエネルギーが湧いてくるでしょうか?答えは明白です。吉凶という価値観に一喜一憂し、環境に支配されるのはもう終わりにしませんか?

過去の記憶すべてを引き受ける

過去の名前も、今の名前も、よくも悪くも生きてきた記憶からは逃れられません。改名したからと、その記憶が消えるわけではないのです。

ならば、やるべきことは「悪い画数を排除する行動」ではありません。「その名前で生きてきた自らの全承認」だと主張してきましたが、あなたはどのようにお考えでしょうか?

子どもの頃に親の離婚で名前が変わった経験を持つ方もいらっしゃいます。一見不条理な被害に見えるその激動も、体内記憶において「もしや離婚して姓が変わるかもしれない」という前提のもと、受精したのだとしたら?「他人に人生の主導権を渡さない『真の自立』を果たす」ために、必要があって自ら演出したシナリオだったのだとしたら?

あらゆるすべてにおいて、いいも悪いも含まれています。一見悪い(凶)名前だと感じていた中にこそ、真の自立(吉)という本質魅力が眠っているのです。

誰が決めたかも分からない古いルールに言いくるめられ、被害者として生きる必要なんて、微塵もありません。あなたが歩んできた改姓の歴史は、あなたが主人公として輝くための、完璧な伏線です。

環境や名前に支配される側から、あなた自らが人生の創造主となる側へ。その主導権を、もう一度あなたの手に握り直しましょう。いよいよ、あなたの出番です。

運気が悪いのは名前のせい?幸せを実感できる秘訣

怒りに震えて批判していた2020年当時から、冷静に客観視している今だからこそ書けること。

運気が悪いのは名前のせい?幸せを実感できる秘訣

姓名判断20万人超と6年間紡いできた確信

これまで連載してきた「堺歩美さん物語」等は、前回の最終回をもって一区切り完結いたしました。お付き合いいただき、ありがとうございます。

物語という形を通して私が伝えたかったこと。それは、登場人物たちの生き様であると同時に、今こちらを読んでいただけている「あなたご自身の人生の物語」でもあります。

今回はフィクションの幕をいったん閉じます。あなたご自身の現実と「名前と運」について、「伝える」と覚悟を決めた2020年からの6年間と、20万人超の名前と向き合ってきた話をさせてください。

27歳で全く信じていなかったながらも職業として始め、真剣に向き合ってきたからこそ条件反射レベルに至ります。多くの皆さんに「Google検索より速いですね」と驚かれます。

しかし姓名判断が大嫌いで、仕事にしようとはどうしても思えません。よって私には、師匠がおりません。だからこそ「姓名承認」という完全独自の文化を紡ぎ出せたのは、結果として幸せだと噛みしめております。

「画数が悪いから不幸」という呪縛

世間には、長年稼ぎ続けている姓名判断業者が溢れています。 彼らは「この画数は凶だから不運になる」「名前のせいで人生がうまくいかない」と、不安を煽り立てます。そして「改名しなさい」「この解決策◯◯◯を買いなさい」と、手軽な行動を勧めてきます。

私は、こうした既存の姓名判断が持つ構造を、問題だと感じつつも2020年当時ではいくら言っても無理だと痛感しました。今ならわずかな違いを感じています。彼らのビジネスは、あなたを中毒症状へ巻き込むシステムです。

「名前のせいで不幸になっている」という被害者のポジションにあなたを留め置き、人生の手綱を放棄させようとします。例えば流派によって言い分にズレがある事実、あなたはご存知でしょうか?理由は、できた経緯が曖昧だからです。

分かりやすく、ボールを転がしたとしましょう。バックスピンでもかけない限り、転がした方向へ向かいます。同じように「悪い」と言い始めたら、「嘘も100回繰り返せば真実に」という諺があるように、まことしやかに聞こえてきます。吉凶とは、「思い込ませてきた技術」にすぎません。

そんな「既存の時代遅れな遺産」に過ぎない客観的な正しさや、流派のルールに、あなたの貴重な人生を振り回されていいのでしょうか?古い枠組みで深い闇へ陥れ呪縛をかけ、洗脳しようとするシステムの残骸に、あなたの人生が言いくるめられるなんて残念でなりません。

徹底追究

人間はどうしたら、心からの幸せを実感できるのか?

真偽を重要視してきた私は、ある日自らに問いかけました。「今、幸せ?」答えは当然No。「じゃあ、どうする?」となります。「幸せ?」と問うている以上、「幸せかどうか?」が最大の命題だと考えることにしました。これが「幸せ解釈」の原点です。

この究極の問いから逆算し、多くの名前と向き合う中で、「姓名承認」が降りてきた2020年から一貫した確信があります。例えば私の本名は26画です。26画は、波瀾万丈だと評されています。確かに大いなる波瀾の中生きてきました。

26画が持つ性質やエネルギーは、「一貫性」です。一貫性という矛盾を嫌い、つじつまを合わせたがる傾向性を持っています。そのエネルギーが強いほどに、周囲が矛盾だらけに思えてきます。結果、巻き込まれてしまうのです。

とはいえ、巻き込まれようとひたむきに向き合い続けていると、だんだん波風が緩まっていきます。いつの日か、拮抗する凪のような調和状態となる日も十分あり得ます。要は、ご本人自身が質や量を適切に理解と把握を経て、扱いこなせる人生を作り出せるか次第です。

すべての画数において、性質やエネルギーを一覧表化し、ストーリーを作り出しています。結婚して名前が変わる場合も、「◯◯◯という名前から、⚫︎⚫︎⚫︎をしたかったからなんでしょうね」と、即興で変容のプロセスを物語化できます。

こうなってくると、吉凶とは全く無関係だという点、お分かりでしょうか?「私には師匠がいない」という理由は、私ほどに追究する方に会ったことがないからです。姓名判断とは似て非なるものなので、一緒くたに扱われることを嫌ってもきました。

「本当 or 嘘」の解放

「だから何だっていうんだ」「ゴロ合わせ、でっち上げ、思い込みじゃないのか」

そう思う方もいるかもしれません。実際、まちがいかもしれません。しかしそんな真偽の判定は些細なこと。超重要なことが抜けています。

大切なのは、この解釈をあなたご自身の人生に当てはめた時の納得感です。
・いかに深く心の底から「どおりで」「だから!」と腑に落ちきるか?
・「私が決めたことだから」と言いきれるエネルギーが湧いてくるかどうか?

それこそが、人間が幸せを実感するための確かな道筋だと主張いたします。本来の吉凶という価値観は、陰陽五行に基づいています。吉の中にも凶を含んでおり、凶にも吉が存在しています。

姓名判断で言う吉凶がナンセンス極まりないのは、頭ごなしな決めつけです。画数すべてにおいて、いいも悪いも含まれているのです。あなたにはどう映っていますか?

過去の名前も、今の名前も、よくも悪くも生きてきた記憶からは逃れられません。すべてはあなたが「あなたとして存在する」ために必要で、引き受けてきたもの。親から愛情込めてつけられた名前が、吉凶といういつ誰が決めたか曖昧なルールに縛られ呪われる必要が、あるのでしょうか?本当に?

環境や名前に支配される側から、あなた自らが人生の創造主となる側へ。 これから、あなたの人生の手綱を取り戻す「姓名承認」、1歩ずつ始めてまいります。

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魅力編者〜堺歩美さん物語24

魅力編者〜堺歩美さん物語24

「魅力編者」としての余白

決定的な節目、龍先生と出会って、10年が経つ。社長という看板を背負い、かつて「いかに取り繕うか」しか考えていなかった編集長時代には、あり得ないほどのネットワークと影響力の中に身を置いてきた。

娘 直美の万引きを発端に、「うわっつら仮面の私」を叩きのめされた。殻を打ち破りたい切実な気持ちと、「人が簡単に変われるわけがない」という先入観がせめぎ合い、飛び込むしかなかった。今では本当に感謝している。

今、私は経営の第一線から退き、「顧問」という立場である。それは責任や利害という鎧を完全に脱ぎ去り、場を調和させる究極の「余白」としてのあり方、「魅力編者」という位置を生み出している。社長として培ってきた器があるからこそ、今は組織の枠を飛び越えた4つの生き方を完璧に調和させ、体現できている。

4要素の結実

プロデューサー

役職等の盾を持たずとも、私自身がメディアだ。外舘親子のような本質を突く表現者の傍らに黒子として寄り添い、何者かになろうとしていない才能にスポットライトを当てている。

出版コミュニティの磁石

飯田橋は、ピラミッドではなく円環のプラットフォームだ。「自立具現化コーリング」を意識ある方々へおつなぎしてきた。説明しようがないので、おつなぎする方が最短解であり、確実だ。共通言語をベースに、スタッフや作家たちと安らぎを分かち合う日常がここにある。

メンター&エディター

10年前、龍先生のセッションで経験した「私1人では絶対にたどり着けなかった心身の解放」。あの時もらった「間」。今度は私が若手編集者や作家たちに手渡し、彼らの価値を引き出し活かしている。

余白の作家

編集する側から、自ら表現する側へ。あの娘との泥臭いもがき、2027年という時代の転換点の予兆。言葉にならない領分を内臓をちぎるようにして紡いだ「自身の著作」が、今世界へ浸透している。

他にも多くのステキな方々と出会って紡がれてきた軌跡を、「魅力編者」としてどう編集して世に出せばいいのか、ワクワクが止まらない。

世界への一歩を

当時は娘を機に必死に悩み、ぶつかり、のたうち回っていただけだった。未来への準備なんて、発想が湧かず何もできなかった。「言葉にしてはいけない」と自らに禁止令を出していた事実には、本当に驚いた。

龍先生から「肺を解放できましたよ」と言われた時の呼吸の深みに感動した記憶が、今も鮮明に残っている。白髪やシワが見え始めてきたが、それも愛おしい。苦しくも愛おしい泥の中からしか、「これでいい」「これがいい」「だからこそいい」という究極の承認は生まれ得なかったのだ。

今は長女 育美と次女 直美、2人とビジネスパートナーとして気づきを共有し合っている。札幌の母 麻由美と打ち合わせ、定期的に4人で家族旅行を楽しんでいる。

新緑の風薫る空の下、あるいは新しい時代の息吹の中で。「堺歩美」という広大な余白は、世界への一歩を踏み出すため、今日も誰かと分かち合っている。

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覚醒〜堺歩美さん物語23

社長室の編集 

2030年、春。社長に就任して最初に取り組んだのは、社長室という空間の編集だ。これまでの権威を象徴するような、重々しく沈み込むソファ。それは訪れる方を「客という記号」に固定し、背筋を強張らせる装置のようではないか。

温もりある木のテーブルと、座る方の体を自然に支えるタイプへと入れ替え。「堺社長、これでは外部の方への威厳が・・・」秘書の懸念はごもっとも。それでもやる。私を訪ねてくる方々が求めているのは、威厳ではなく、対話から生まれる予兆のはず。

覚醒〜堺歩美さん物語23

散歩を通じて社員と向き合い、家族と対話しながら得た確信。私の役割は、本質魅力にスポットライトを当てることだ。本質魅力がない方はいない。いかに引き出し、「これでいい」「これがいい」「だからこそいい」と、承認を分かち合うこと。

外部との交差点

就任以来、取引先や作家、投資家等々、多くの方々が訪ねてくる。彼らは、社長室に入った瞬間戸惑う。扉は常に開いており、かつての社長の重圧はない。和やかな光と一輪の花、スニーカーを履いた私が座っているからだ。

「ここは、不思議と落ち着きますね」 多くの賓客が、ソファに腰掛けた途端に漏らす。

私は彼らと向き合う際、社長ではなくなる。相手を思いやる気持ちで、お声がけする1人の「場を整える編者」である。彼らもまた肩書きという鎧を脱ぎ、自分でも気づいていなかった本音を語り始める。

相手の声の動きに合わせて、心を寄り添わせていく。その後訪れる豊かな静寂は、強張った心が和やかにほどかれていく。社長室は、合意を形成する場ではない。互いの本質魅力が芳潤に混ざり合う、最高級の茶室のような空間へと変容していく。

深まり広がる覚醒

編集は、社長室という四角い部屋の中だけに留まらない。外部の方々が、整えられた状態で弊社を去っていく。その背中に、新たな時代の風を感じる。常務だった頃には、私の手が届く範囲でしか変えられなかった。

今は社長という看板を通じて、弊社と関わる外の世界の空気までも、同時に書き換えていける。社長だからこそのご縁もでき、 連鎖的相乗効果が起きている。着手できる範囲が深まり、広がるとは、こういうことだ。「いかに取り繕うか?」しか考えていなかった編集長当時にはあり得ないこと。

私は今日、誰とどんな対話するのだろう?2030年、桜舞い散る激動の空の下。社長という余白は、あり方を伝えるという世界をなじませるため、小さいながらも確かな発火点になっている。

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空気を編集する〜堺歩美さん物語22

迷路を抜ける「安心」

2026年秋。出版業界全体の地盤沈下が進み、弊社も「これまでの正攻法」が一切通用しなくなる閉塞感に包まれている。焦る経営陣が数字を詰めれば詰めるほど、現場は疲弊し、離職者が相次ぐ。その中で我がライフスタイル部だけが、表だった広告を出しているわけでもないのに、なぜかヒット作が連発している。

空気を編集する〜堺歩美さん物語22

役員会議室の重い扉の向こうでは、2027年という得体の知れない予兆に怯える方々が、数字という名の「過去の遺物」を必死に積み上げていた。

役員会議室で、1人の役員が問いかける。「堺さん、なぜ君のところの本が、広告も打たずにこれほど売れるんだ?会員数も鰻登りで、いったい何が起きているのか?」

私は部屋全体を見渡しながら「それは・・・私たちが、単なるレシピではなく『安心』『どう生きるか』を届けているからだと思います」と返す。

役員たちは顔を見合わせる。彼らが必死に「どう売るか」を考えているよりも、生き方やあり方を根底に置いてきた。不安を抱える読者たちの心に、深く優しく刺さっていたのではなかろうか。

沈黙という安らぎ

私は、 反論も、肯定も、説得もしない。 イスの背もたれに体を預け、窓から差し込む秋の陽を味わっている。

沈黙が、重苦しい会議室に満ちていく。 かつての私なら、この「空白」を恐れて、何か気の利いた言葉で埋めようとしただろう。けれど今の私は、この静寂こそが最も饒舌であることを知っている。

私のあまりの「何もしなさ」に、役員たちが1人、また1人と、毒気を抜かれたように筆を置く。 「・・・堺さん、君は、怖くないのか?」 1人の役員が、すがるように漏らす。

フフッと小さく、独り言のように笑う圧倒的な安らぎ。「自分の中でちゃんと立てない方は、誰かを立たせようとして、余計に疲れてしまうのかもしれませんね」そんな思いが、言葉になる前にふっと消えていく。

気づけば、会議室の空気が変わっている。言い負かされたわけでも、納得したわけでもない。彼ら自身の中にあった「数字」という呪縛が、どうでもよくなった感覚。

社内という宇宙

2027年初日「常務取締役兼編集統括を任ずる」との辞令。年末に社長から呼ばれた一言「君をこの部屋に置いておかないと、僕らは数字の迷路に迷い込んでしまいそうだから」。現場との関わりを保ち続けるという条件で引き受けた。

私の机は、重厚な扉に守られた「常務取締役室」へと移された。「・・・また、いらっしゃらないのか?」 秘書の声が廊下に響く頃、社内を「散歩」している。ハイヒールからスニーカーに履き替えて。

社内という宇宙〜堺歩美さん物語22

かつての私は、他部課のフロアを通るだけで体が強張り、目を伏せていた。今は、常務取締役兼編集統括という、全社を見渡す「目」を持っている。

「堺常務、お疲れ様です!あの・・・この企画、どうしても行き詰まっていて」廊下で、あるいは給湯室で、立ち止まる。「散歩」の途中で受ける質問。常務室の革椅子では、決して届かない現場の「生身の震え」だ。

「・・・ここ、もう少しだけ、あなたの『余白』を信じてみないか?埋めようとせず、もう少し向き合ってみよう」常務室という、本来なら重責で隔絶された場所。そこを拠点にしながらも、社内という宇宙を歩き続ける。

質問に答え、背中を押し、時に頷く。私の役割は、確かに変わった。かつては1冊の本を編むことが仕事だった。今はこの会社に流れる「空気」そのものを編集しているのだ。

2027年。澱んでいた空気を爽やかに流していく。編集部が変わっていったように、弊社も穏やかな呼吸に合わせて着実に、新しい形へと作り替えていけるのだ。

余白の地平〜堺歩美さん物語21

言葉にならない領分

朝、目が覚めたベッドの上。窓から差し込む光が、以前よりも鮮明に、粒立って見える。イスに座り、ただ呼吸を繰り返す。肺の奥まで空気が沁み入り、背中が内側から広がる感覚。丹田に気力がみなぎっているのが分かる。

「ビジョンが曖昧だ」 昨夜感じたその戸惑いは、今朝、満たされた納得感。これまでの私は、未来を「作る」ことに必死だった。足りないものを埋めるために、必死に計画を立て、正解を、目標を、私の外側に求めていた。

今は、その「足りない」という感覚が消えている。満たされているから、追いかける必要がない。今の私の中にあるのは、広大な「余白」だ。それは、何も無いことの不安ではない。何でも描き込める、あるいは何も描かなくても成立する、圧倒的な自由の感触。

滲み出す輪郭

飯田橋のオフィス。デスクと向き合っていても、すぐにPCを開く気にならない。かつてなら、1分1秒を惜しんでメールを処理し、周囲に「仕事をしている私」を見せつけていただろう。ふと、これからの仕事のあり方について考えている。

「自立具現化コーリング」 インタビューで美奈さんから聞いたキーワード。同じようにたどってみたからこそ、今の体感と重なり始めている。これから向き合うのは、誰かが作った正解をなぞることではない。

私という存在から、何が滲み出ようとしているのか?それを、整えずに、そのまま世界へ映し出すこと。龍先生のサポートを経て、1人では決してたどり着けなかった「心身の解放」という土台の上に、新たな私の輪郭が着実に結ばれようとしている。

「編集長、少しお時間いいですか?」 昨日のスタッフが、また声をかけてきた。 彼の顔にはまだ迷いがありつつも、以前のような私への依存はない。

私は、椅子から立ち上がろうとして、止めた。座ったまま、ただ、彼を視野に入れる。

「ええ、いいわよ。話して。長くなるなら場を変えようか?」 私自身も聞いたことがないほど深く穏やかな声に驚く。美奈さんが言っていたように、変化した私のエネルギーが、周囲へも浸透する相乗効果。実際に起きているのかもしれない。

始まりの予感

帰り道。飯田橋の駅へと続く坂道を下る。夕暮れの外堀通り。行き交う人々の足音、家路を急ぐ車の列、お堀の底から響いてくる中央線の重低音。そのすべてが、私を通り抜けていく。

帰りの電車に揺られながら、ふと気づく。私はもう、「誰か」になろうとはしていない。今の私にできることを、不格好なままでも差し出す。それだけでいいのだという、強く静寂な確信。

マンションに着き、玄関のドアを開ける。部屋の明かりをつける前に、暗闇の中に立ってみる。不安はない。ここにあるのは、1人ではたどり着けなかった、新たな私と世界との「間」。 明日、何が起きるかは分からない。分からないまま、この自由な空白へ飛び込んでいく。「・・・さあ、いこう」 湧き出てくる自分自身を突き動かすような声。それは、ようやく始まった、本当の意味での私の人生の産声。

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心身の解放〜堺歩美さん物語20

何もしない

朝の吉祥寺駅。中央線がホームへ。人の流れに紛れながら、ふと気づく。急いでいないのに、足が止まらない。整えようとしなくても、そのまま動いている。呼吸が楽で、深く吸えている。足どりがものすごく軽い。

車内。いつもなら、頭の中で今日の段取りをなぞっていたのに、何もしていない。窓に映る自分をぼんやり見ている。つい1ヶ月ほど前までは、通勤中の化粧だった。「何をするか」「誰と会うか」を考え、ファンデーションの厚みやルージュの色を調整していた。何もしないことが、妙に心地よい。

飯田橋で降り、会社へ。歩幅を合わせようとも、速めようともしていないのに、流れから外れていない。どこにも力を入れていないのに、崩れていない。

「それでいこう」

「おはよう」オフィスに入る。

「編集長、例の件ですが・・・」スタッフが資料を差し出す。受け取り目を通す。すぐに言葉が出てこない。そのまま黙っている。

「それで、どう進めるつもり?」とっさに出た言葉に、間が空く。予想外だったのか、驚いた表情でこちらを見る。そんなに驚かれるような私だったのか?彼自身の言葉で語り始める。途中で口を挟む気にならない。最後まで聴いて、うなずく。

「それでいこう」以上。心なしか嬉しそうなスタッフ。私も嬉しくなる。

沈黙という「間」

午後、作家との打ち合わせ。言葉を探している沈黙。以前なら、何か言って埋めていた。
今日は、沈黙という「間」が心地よい。軽くコーヒーを1口。コーヒーポットからお互いのカップに注ぎ足し、そのまま待つ。

心身の解放〜堺歩美さん物語20

「堺さん。・・・今の感じ、なんかいいですね」作家がぽつりと言う。理由は訊かず、軽く微笑みうなずく。安らぎを分かち合えている充実感。そうだ、私が求めていたのはこういう感覚だ。

安らぎに満ちている

帰り道。中央線の満員電車の中吊り革につかまり、達成感とともに1日を振り返る。前に美奈さんが言っていた「求めてきたマリアージュ」の意味を噛みしめている。当時は何を言っているのか、雲をつかむような感覚だった。変わろうと努力した感覚は皆無だ。気づいたらいつの間にか、切り替わっている。

吉祥寺で降り、改札を抜け、家路へ。夜の商店街を抜け、雑踏の空気が穏やかに入ってくる。エレベーターを上がり、ドアを開ける。部屋の中の安らぎに、思わずアツい何かが込み上げてくる。またこうして家に帰って来れたことがありがたい。

リビングの灯りをつけ、イスに座わる。明確なビフォーアフターの違いに、驚きとともにビジョンの曖昧さに戸惑いが湧いてくる。

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