
「藤間 美雅」という呪縛
名前は、着物のようなものかもしれない──────。法事を終え帰宅し、ふとした静寂の中、そんなことを考えていた。
黒い礼服の上に纏っていた喪章を外すと、同時に何か1つの役割が自分から剥がれ落ちるような感覚があった。娘 雅子や親族との対話を通じて、「富美子」としての声にようやく魂が宿ってきた。その実感が、確かな感触として残っていた。
帰宅後、鏡の前に座った。そこには、確かに「藤間 美雅」がいた。先日の個別面談で龍先生が語っていたこと。「今まで必要だったからこそ、威厳と誇りを持って貫いてこれました。違和感を抱くようになったということは、更新期に入っているのでは?本当に必要なものと不要なもの、改めて整理を要するのかもしれませんね」
本当にそのとおりだと感じている。今のままではどっちつかずで、舞台に立てる自信を持てずにいる。今こそ「藤間 美雅」という呪縛から解放し、その原点に立ち還りたい衝動が、胸の奥から湧き起こっている。
演じ続けた名前の記憶
化粧を落としながらふと、15歳当時を思い出す。名取になり、「美雅」を襲名した日のこと。まだ舞の何たるかも理解できていなかった少女が、与えられた名を重たくも誇らしく感じていた。
「藤間美麗(みれい)」──祖母。
「藤間雅麗(まれ)」──母。
「藤間美雅(みやび)」──私。
祖母から3代に渡って、意味と願いが込められた名だ。だが、この名に何を託されたのかは、ずっとよく分からなかった。「守らなければ」という責任感だけが先行していた。
今日改めて実感したのだ。──私は、美雅という名を守るために生きてきた。舞台での立ち居振る舞い。弟子や関係者との接し方。すべてが「美雅」としての演技だったのかもしれない。おそらくは、なくなった主人とも・・・。
「それって、悪いことなのかしら?」
自らに問いかける。決して、悪いわけではない。役割が本音を覆ってきたのだ。誰かの期待に応えることは、美徳でありながら、時として「富美子」を遠ざける。役割がいかに重く私の人生にのしかかってきていたのか、噛みしめている。
──「美雅」という名前を演じる人生。その違和感を、私はずっと押し殺してきたのかもしれない。逆に言えば、押し殺さなければ「美雅」を演じきれなかった。だからこそ「私の中の他人」なのだ。今さらながらに「富美子」を蚊帳の外に追いやっていたことに気づいた。
まとわりつく名の重み
その夜、古い衣装箱を開いた。母が残してくれた舞台衣装。そこに添えられた1枚の紙に目が留まる。
「名前とは、役割の源。だが、役割の終わりは、存在の終わりではない」
筆跡は、母・雅麗のものだった。その言葉が、胸に沁み込んでいく。「役割を生きる」から、「名前を生きる」へ。「美雅」と「富美子」を融合させて生きたいと決めてから、少しずつ富美子としての私が目を覚まし始めている。
この変化が、どこに向かっていくのか?今はまだ、「気づき始めた」ことが、すべてだった。今でも感じているのが、まとわりつく名の重み。以降も知れば知るほど、この重みがどんどん増していくのだろう。だからこそ、望ましい解釈が必要不可欠なのだ。
名前とどのように向き合っていくのか、方向性が定まってきた。だからと言って、「美雅」と「富美子」を調和融合させた方がいいと分かっていながらも、現状では矛盾し完全に乖離している。今の私では、まだ「着替え方」が分からない。けれどきっと龍先生なら、その方法をともに見つけてくださるはずだ。対話の機会をいただけないか────そう思いながら、手帳を開いた。