一体化の妙味

結論は、「主観と客観両方から見つめましょう」ってこと。 先入観を取っ払い、新しい視点で見つめてみたい方にはおススメです。どちらかへ傾くほどに、焦点はボヤけ麻痺してきます。

猫背に悩んでいた当時
2005年当時、歌舞伎町掃除にて。猫背に悩んでいながらも、もはや当たり前で麻痺していました。

私は超がつくほどのコリ症で、誰が見てもはっきり分かるくらいに猫背でした。よって疲れは半端ではなく、いつも辛い日々が続いてました。それで誰かへの施術で精神的な癒しを受けるほか、解決の手段はありませんでした。整体が趣味になってしまった所以です。今は仙骨矯正のおかげで、だいぶ心配がなくなりました。

自分で指圧していても、さほど気持ちよくはありません。たまに誰かがいつも辛そうだからと、親切でもんでくれる事もありました。すでにそれなりの域に達していたからか、「あぁもぉぉ代われ!こうやってやるんだよ!ほら!!」と結局は・・・。どうしてなのかずっと考えてきました。

転機

ある日ラジオで流れていたニュースに感動しました。 それはある学会での発表でした(どこの何だったかは覚えてません)。いわく「自分で指圧しても大して気持ちよくない理由は、″今からここを押しますよ″という神経信号と″今からここを押されますよ″という神経信号が、自分から発せられているから」だとか。

この事で深刻に悩んでいた私は、ピンときました。だからラジオだろうが、はっきり覚えているんだと思います。

簡単に言えば、「自分自身でじゃんけんをしているようなもの」です。 ぜひ想像してみてください。左手でパーを構え、右手でチョキを構えている。さぁジャンケンポン!じゃあ次は・・・、何回も繰り返そうと思うでしょうか?もしこれをおもしろがってやっているような方は・・・。

理由は、「刺激がないから」です。相手が何を出すのかが分からないから手に汗握りますね。もしジャンケン勝負一回で全財産を賭けるとなれば、かなり燃えませんか?
あまりにも近いと、感覚が麻痺してきます。一体化しすぎていると、分からなくなってきます。

事例

例えば心臓の鼓動。胸に手を当ててみれば分かりますが、常時寸分狂わず正確に約4,000本/日の2Lペットボトル分の血液を動かしています。もし心臓みたいな社員がいたら、どんな社長も雇いたくなるでしょう。それに気付いていますか?

腸は毎日1兆個の細胞が死に、生まれ変わってます。その自覚ありますか? オナラ(特にすかしっ屁)は臭いですよね?大半の方にそんなものがお腹の中に入っているんですよ?

「健康の価値は、病気になってみて分かる」なんて、よく言われますね?ぎっくり腰で来られた方が、施術ですっかりよくなり、喜んで帰られました。しかしその夜再発してきたそうです。理由は潜在的コリが残っていたからです。我慢できず近くの病院で精密検査を受けて、10分くらいで見抜いた原因とまったく同じ事を言われたとか。「〇〇病の一歩手前だったよ。ぎっくり腰になってよかったねぇ」と言われたそうです。

射撃のプロ(自衛官当時の先輩)からのアドバイス。「リラックスした状態で、焦点がボヤけてきたら当たる」とか。当時の私にはえらく混乱し、さらに当たらなくなった記憶があります。

自らが成長しているかどうかの自覚にもつながります。 心と体が別人格として存在してる事を認められますか?なのに心と体は、幽体離脱でもしてない限りずっと一緒に生活しています。 分かりやすいのは、久々に会った方です。同窓会等で会ったら、かっこよくきれいになった方、ずいぶん老けた方、ほとんど変わってない方、いろいろありますね。いつも一緒だと、違いに気付きづらいものです。

警備会社で働いた時期もありました。施設警備(建物等)で教わった事は、「いつもと違う場所に置かれていないか?いつもと違った雰囲気や物音等ないか?」が着眼点だと。

仲翼(仲良く)

私たちは、先入観によって曖昧にされています。いかに先入観を払拭し、正しく適切な把握ができるのか?

渦中にいると、その分見えてくるべきものが見えてきづらくなってきます。もし「こんなにすごいものなのに、なぜ分からないんだ?」と憤りを感じる方がいらっしゃるとしたら、たまには見つめた事がない視点から見つめてみられてはいかがでしょう?多くのすばらしい経営者は、現場に出かけてお客様からの意見を聴き反映させてます。

ある不動産の営業マンが、いかにして業績を上げるかを研究してるとしましょう。本屋に行ったら、どこに行くでしょう?たいていは「いかに説得するか?」の情報棚ですかね?しかし不動産を買おうとしているお客様は、「いかに安くいい物件を見つけるか?」の情報棚に行きます。お客様が説得の情報誌棚に行く事はまずありません。

政治においても、右翼と左翼の熾烈な論争が繰り広げられていますが、「仲翼(仲良く)」なんてのもアリじゃないですか?こちらをモトに、違った発想が生まれてくるんじゃないでしょうか?ぜひ身近な話に置き換えてみてください。

「怒り」と「依存」と「?」

悩み苦しんでいた当時

以下は、胆嚢のメンタル的要素が何なのかを模索していた当時の記事です。胆嚢に関しては、なかなか絞りきれませんでした。多くの皆さんのサポートによって、実現できました。

コリリンテーブル©

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思いの外、今日は胆嚢に集中した施術でした。2時間のうち大半を費やし、結果「スッキリした!」とすごく喜んで頂けました。胆嚢はメンタル面がまだ見えておらず、臨床データを集めているところです。

前から膵臓・胆嚢・肝臓は、「3つでセット」だと書いてきました。

あるヘビーユーザーに施術していて、”言わされた”感を持っています。問題解決するために、原因を突き詰めていきました。そこからさらに深く入ってみた内容です。

怒り

大半の場合怒りとは、「今の自分は悪くない」と、誰かに何かに責任転嫁する事から湧いてきます。(「~が#ったから悪いんだ」「~あの時は▲だったよなぁ(過去の栄光)」・・・)自分に対しての怒りもそうですね。いったい自分の中の誰にその感情を向けているんでしょう?またそれは、どこから湧いてきているんでしょう?

怒りからは、何も建設的なものは生み出されません。何のメリットもないのにそんな感情を持ってしまうのは、「今の位置と状況」を明確に把握できていないからではないでしょうか?こんな状態を「依存」とは言えないでしょうか?

依存(中毒)

依存の場合はどうでしょう?(空気や食べ物、血液循環等、依存しなければ生きていけないものは例外です。)依存心が湧いて来れば、自然と自信が萎えてきます。もし頼りきってるものがなくなれば、その方はどうなるでしょう?

私は20歳当時、アルコール依存症なくらい酒に溺れていました(17歳から浴びるほど飲んでいました。時効ですよね(^^ゞ)。その酒を断つとは決めたものの、その禁断症状はかなりキツかったです。無性にイライラしてきて、何かにつけて怒っていました。断酒が習慣化されるまでの私の周囲にいた友人は、今はもう誰もいません。

怒りの感情が悪いと知的理解がある方は、必死にそれを抑え堪えようとします。表面的に愛想良く振舞っていても、いつの日か化けの皮が剥がれてしまいます。どちらにしても、肝臓に負担がかかるようになるでしょう。

今はまったくそんな状況になかったとしても、以前そんな感情を抱いていた事があるなら、多少の個人差はあれどすべての皆さんがこんな問題を抱えています。表面化している課題は氷山の一角で、見えずに体の中に封印されたものが「潜在的コリ」です。

橋渡し

膵臓・胆嚢・肝臓がとりわけのセットである以上、胆嚢は「怒り」と「依存」をつなげ得るような感情になると考えてます。もしこういった各臓器や筋肉等の関係性を明確にできれば、健康を害してしまう経路が見えてくるでしょう。

ダイエットや抗ガン治療だろうが、原因が分かれば多くの皆さんが、自然治癒力にゆだねきれる道が見えてきます。薬など、自分以外の何者かが治療に最後まで〇〇(「許す=?」)を、持ってくれるわけではありません。すべてはご自身次第です。