〜してもいい(許可)

呪縛からの解放感

こちらを口グセにし始めて、ずいぶん楽になりました。もちろんお客様方にもシェアさせていただき、かなり喜ばれています。

私は自分が嫌いでたまりませんでした。特に20歳当時までなんて、自衛官でありながらも強烈な左翼主義者でした。世の中をよくするためにはどうすればいいかを真剣に考え実践する方々と接してきつつも、かなりの矛盾を自らに感じざるを得ませんでした。

今となっては、この言葉は「自己矛盾との戦勝記録」とも言えるでしょう。超強力な威力を発揮できるようになりました。

この言葉を口にし始めてよかったと思えることは、私自身が自分を縛っていたことに気付けたからです。そんな呪縛からの解放感がありました。ぜひぜひ一緒に口ずさんでみてください。私がよく言っている例です。

「腹いっぱい好きな物を食べてもイイ」
「最高に輝いた人生を歩んでもイイ」
「趣味みたいな天職に就いてもイイ」
「喜びに満たされた日々を過ごしてもイイ」
「世界を変える礎になって、世界中の方から感謝・尊敬されてもイイ」
「毎日好きな事を好きなだけやっている自由人であってもイイ」
「世界一の大金持ちになってもイイ」
「世界一のボランティア王になってもイイ」
「めちゃめちゃ健康人になって、精力的な毎日を送ってもイイ」
「歴史に名を残すような、有名人になってもイイ」
「”私の手の中に、宇宙のすべてがある”と考えてもイイ」
・・・・・・・・・・・
いくらでも出てきます。きりがありませんから、これくらいにしときます。

大切なのは、自分自身に「許可」を出すこと。「やってもいいけど、やらなくてもいい。どちらでもいい」といった具合に―――。

コリリン解放

限界を超える秘訣

例えば学生時代、授業中に「先生、トイレ行ってもいいですか?」と言ったことありませんか?私は休み時間にちゃんと済ませていたにも関わらず、なぜかしょっちゅうそんな恥ずかしい思いをしていました。最も恥ずかしかったのは、修学旅行の打ち合わせを6年生全員でしていた時に我慢できなかった事です。これは先生から許可をもらっていますね。そんな人生を過ごしてきたおかげか、許可を得る事が当たり前になってきました。

私は、これを【限界を超える秘訣】と考えています。限界を作っているのは、あなた自身です。「限界を決め付けている私」が勝手に「今までダメだったんだから、今回もできるはずがない」と決め付けています。

大半の症状の原因は、股関節か臓器にあります。その原因は、生活習慣です。生活習慣の原因は、考え方です。考え方の原因は、生い立ち(親子関係等)です。生い立ちまでさかのぼって解放すれば、大半は「本来あるべきあなた」が見えてきます。

もし「限界なんてないんだ!絶対にできる!できるんだ!」なんてある熱血営業マンが、毎日そんなことを言い続けたとしましょう。その先にあるものは何でしょう?思い通りの成果が出てれば問題ないでしょうが、ダメな場合・・・言わなくても分かりますね。

この方は、本当にできると潜在意識から、心の底から思い込めているんでしょうか?この言葉「~してもいい」は、潜在意識で限界を感じてようが、あまり関係ありません。「どちらでもイイ」んですから。

潜在意識は、言葉の単語自体に反応するようです。例えば、「ピンクの像、想像しないでくださいね」と言われて、想像してしまった方!

もし、大言壮語を口にしたとしても、誰からお咎めを受けるでしょう?「してもしなくてもイイ。どちらでもイイ」んですょ?もし世界中の皆さんが、ご自分自身に許可を出す毎日を過ごすとしたら、どうなるでしょう?

一体化の妙味

結論は、「主観と客観両方から見つめましょう」ってこと。 先入観を取っ払い、新しい視点で見つめてみたい方にはおススメです。どちらかへ傾くほどに、焦点はボヤけ麻痺してきます。

猫背に悩んでいた当時
2005年当時、歌舞伎町掃除にて。猫背に悩んでいながらも、もはや当たり前で麻痺していました。

私は超がつくほどのコリ症で、誰が見てもはっきり分かるくらいに猫背でした。よって疲れは半端ではなく、いつも辛い日々が続いてました。それで誰かへの施術で精神的な癒しを受けるほか、解決の手段はありませんでした。整体が趣味になってしまった所以です。今は仙骨矯正のおかげで、だいぶ心配がなくなりました。

自分で指圧していても、さほど気持ちよくはありません。たまに誰かがいつも辛そうだからと、親切でもんでくれる事もありました。すでにそれなりの域に達していたからか、「あぁもぉぉ代われ!こうやってやるんだよ!ほら!!」と結局は・・・。どうしてなのかずっと考えてきました。

転機

ある日ラジオで流れていたニュースに感動しました。 それはある学会での発表でした(どこの何だったかは覚えてません)。いわく「自分で指圧しても大して気持ちよくない理由は、″今からここを押しますよ″という神経信号と″今からここを押されますよ″という神経信号が、自分から発せられているから」だとか。

この事で深刻に悩んでいた私は、ピンときました。だからラジオだろうが、はっきり覚えているんだと思います。

簡単に言えば、「自分自身でじゃんけんをしているようなもの」です。 ぜひ想像してみてください。左手でパーを構え、右手でチョキを構えている。さぁジャンケンポン!じゃあ次は・・・、何回も繰り返そうと思うでしょうか?もしこれをおもしろがってやっているような方は・・・。

理由は、「刺激がないから」です。相手が何を出すのかが分からないから手に汗握りますね。もしジャンケン勝負一回で全財産を賭けるとなれば、かなり燃えませんか?
あまりにも近いと、感覚が麻痺してきます。一体化しすぎていると、分からなくなってきます。

事例

例えば心臓の鼓動。胸に手を当ててみれば分かりますが、常時寸分狂わず正確に約4,000本/日の2Lペットボトル分の血液を動かしています。もし心臓みたいな社員がいたら、どんな社長も雇いたくなるでしょう。それに気付いていますか?

腸は毎日1兆個の細胞が死に、生まれ変わってます。その自覚ありますか? オナラ(特にすかしっ屁)は臭いですよね?大半の方にそんなものがお腹の中に入っているんですよ?

「健康の価値は、病気になってみて分かる」なんて、よく言われますね?ぎっくり腰で来られた方が、施術ですっかりよくなり、喜んで帰られました。しかしその夜再発してきたそうです。理由は潜在的コリが残っていたからです。我慢できず近くの病院で精密検査を受けて、10分くらいで見抜いた原因とまったく同じ事を言われたとか。「〇〇病の一歩手前だったよ。ぎっくり腰になってよかったねぇ」と言われたそうです。

射撃のプロ(自衛官当時の先輩)からのアドバイス。「リラックスした状態で、焦点がボヤけてきたら当たる」とか。当時の私にはえらく混乱し、さらに当たらなくなった記憶があります。

自らが成長しているかどうかの自覚にもつながります。 心と体が別人格として存在してる事を認められますか?なのに心と体は、幽体離脱でもしてない限りずっと一緒に生活しています。 分かりやすいのは、久々に会った方です。同窓会等で会ったら、かっこよくきれいになった方、ずいぶん老けた方、ほとんど変わってない方、いろいろありますね。いつも一緒だと、違いに気付きづらいものです。

警備会社で働いた時期もありました。施設警備(建物等)で教わった事は、「いつもと違う場所に置かれていないか?いつもと違った雰囲気や物音等ないか?」が着眼点だと。

仲翼(仲良く)

私たちは、先入観によって曖昧にされています。いかに先入観を払拭し、正しく適切な把握ができるのか?

渦中にいると、その分見えてくるべきものが見えてきづらくなってきます。もし「こんなにすごいものなのに、なぜ分からないんだ?」と憤りを感じる方がいらっしゃるとしたら、たまには見つめた事がない視点から見つめてみられてはいかがでしょう?多くのすばらしい経営者は、現場に出かけてお客様からの意見を聴き反映させてます。

ある不動産の営業マンが、いかにして業績を上げるかを研究してるとしましょう。本屋に行ったら、どこに行くでしょう?たいていは「いかに説得するか?」の情報棚ですかね?しかし不動産を買おうとしているお客様は、「いかに安くいい物件を見つけるか?」の情報棚に行きます。お客様が説得の情報誌棚に行く事はまずありません。

政治においても、右翼と左翼の熾烈な論争が繰り広げられていますが、「仲翼(仲良く)」なんてのもアリじゃないですか?こちらをモトに、違った発想が生まれてくるんじゃないでしょうか?ぜひ身近な話に置き換えてみてください。