前回からの美奈さんへのインタビューが、今回も続きます。

思いがけない話題
「実は、私・・・」
美奈さんはそう言って、少し言葉を探すように視線を落とした。厨房の灯りがほのかに揺れている。さっきまで聴いていた料理や店の話とは、それた雰囲気が流れ始めていた。
「こういう話、まさか取材ですることになるとは考えてもいませんでしたが・・・」
そう前置きしてから、ゆっくりと続けた。
「今、あるセラピーを受けているんです。きっかけは、舌ガンです。ステージ1で、もう寛解していますけどね」
セラピー。私はメモをとる手を止めた。料理人の話としては、意外な言葉だった。しかもガン、舌ガンだった時期があったなんて。
「最初は正直、半信半疑でした。料理のことでも、店のことでもないですしね。でも、受けていくうちに・・・、不思議な変化が起きて」
「変化・・・・・・ですか?」
「ええ」美奈さんは穏やかな表情のまま、頷いた。
体の変化
「考え方が変わった、というより・・・、『体の感じ方が変わった』という方が近いかもしれません。」
体の感じ方。その言葉に、少し首をかしげる。「どういう意味でしょう?」
美奈さんは少し考えてから、言葉を選ぶように話し始めた。
「例えば、呼吸ですね。前より深くなった気がします。あと、声も。無理に出そうとしなくても、自然に出るようになったというか・・・。当たり前の基準が違うんです。私が変わることで、店も変わりました。私が何かをしたわけではありませんが、スタッフ全員に影響がありました。」
そう言いながら、少し照れくさそうに笑った。となりのスタッフとアイコンタクトを交わしている。
「さっきおっしゃられていた『声』も、もしかしたらその影響かもしれません」
思わず頷いた。確かに、ただ落ち着いているだけの声ではない。どこか無理がなく、自然に響いてくる。今まで声に関しては、特別な感覚がある。多くのインタビューを経てきて、声と感情は密接に関連づいている。「声で人生が読み解ける」と自負している。
美奈さんの声は、長期にわたって今の声なわけがない。一般的には、どうやっても手をつけられない領域があると考えるとつじつまが合う。明らかに何らかの出来事を通じて、磨かれた声だ。それは技術では説明しようがない種類のものだ。
出会い
「そのセラピーは、どなたが?」
そう尋ねると、美奈さんは姿勢を正し、凛とした声で
「龍 庵真(りゅう あんしん)という男性です」
その名前を聞いた瞬間、改めてメモを再開した。
「龍先生、ですか?日本人?」
「はい。日本人です。きっかけは友人のお勧めです。あまり詳しいことも分からないまま、試しに受けてみたんです」
「受けてみて、どうでしたか?」
美奈さんはすぐには答えない。考えるように間を置き、それからポツリ。
「すぐに理解できたわけではないんです」
「そうなんですね」
「ええ。今でもよく分からない点は多いです。」
当たり前が変わる
続けた理由を尋ねると、美奈さんの声のトーンがまた変わった。「体の方が、先に反応していたからです。『当たり前が変わる』ので、振り返った時に気づけました。」
体が、先に反応する。その言葉は、どこか印象的だった。「例えばどういう反応ですか?」
「うまく説明できないんですけど・・・、なんとなく無理がなくなっていく感じです。『マリアージュ』って、フレンチでよく聞きますよね?私の中で、どんどんパズルが組み合わさっていくような」
料理の話をしている時とは、少し違う口調だ。けれど、不思議と説得力がある。
「頑張らなくても、自然に動けるようになるというか。料理の時も、店のことを考える時も。『なんだ。私って、これをやりたかったのね』って」
そう言いながら、美奈さんはカップにお茶を注いだ。湯気がゆっくりと立ち上る。
探求の始まり
「それで、続けているうちに気づいたんです」
「何に、ですか?」
「自分の中にあったものを、やっと使えるようになってきたんだなって」
その言葉を聴いた瞬間、私はかすかに視線を上げた。
《自分の中にあったもの》それは料理の技術の話でも、店の経営の話でもない気がした。もっと根本的な、核のような何か。
「それが・・・、さっきの『声』につながっているのかもしれませんね」美奈さんはそう言って、照れくさそうに微笑んだ。
私はメモ帳を閉じ、もう一度美奈さんの顔を見た。
料理人としての人生。
母から受け継いだ資質。
今話しているこの変化。
それらが、どこかでつながっている気がする。ただ、まだ全体は見えていない。静かにペンを取り直した。
「もしよろしければ、そのお話・・・。取材の域を超えてるようにも感じますが、もう少し詳しく聴かせていただいてもいいでしょうか?」
美奈さんは驚いたように目を丸くしつつも、間を置き頷いた。「ええ。もちろんです」