
前回からに続き、美奈さんへのインタビューはまだ続いていた。厨房の奥で、小さく火の音がしている。営業日の賑わいとは違い、店全体がゆっくり呼吸しているような静けさだ。
私はメモ帳のページをめくった。
「もしよろしければ、そのセラピーについて、もう少し詳しく聴かせていただけますか?」
美奈さんは小さく頷いた。
見えない領域
「そのセラピーって、どんなことをするんですか?」
率直に尋ねると、美奈さんは少し笑った。
「それが、一言で説明するのが難しいんです」
「難しい?」
「ええ。何かを教わる、という感じでもないんです」
そう言って、少し考えるように視線を上げた。
「むしろ、自分の反応を見ていく感じ、でしょうか」
反応。その言葉を書き留める。
「体の反応、ですか?」
「体もそうですし、考え方もですね」
美奈さんは続けた。
「龍先生は、何かを押し付けることはありません。こちらの反応を見ながら、質問されるんです」
質問。それはカウンセリングのようなものだろうか?美奈さんは首を振った。
「少し違う気がします」
料理に似ている
「どう違うんでしょう?」
「うーん・・・」考える間を置いてから、美奈さんはゆっくり言った。
「料理に近いかもしれません」
思わず顔を上げた。「料理?」
「はい」美奈さんは頷いた。
「どういうことでしょう?」
「素材って、それぞれ持っている味がありますよね。無理に変えるんじゃなくて、そのまま活かす」
確かにフレンチでも和食でも、よく聞く話だ。
「龍先生も、それに近い感じなんです」
「どういう意味ですか?」
「もともと自分の中にあるものを、ただ見つけていく感じなんです」
その言葉を聞いた瞬間、なんとなく既視感を覚えた。さっき美奈さんが言っていた言葉。
《自分の中にあったものを、やっと使えるようになってきた》と、どこかつながっている気がする。
無理が減る
「だから最初は、何が起きているのかよく分からないんです」
美奈さんはそう言って、小さく笑った。
「でも、続けていると気づくんです」
「何に?」
「無理が減っていることに」
穏やかな声。
「料理でも、店でも、人生でも。今までは頑張っていたところが、自然に動くようになるんです。『あ、これが求めてきたマリアージュなんだ』って感じています。」
私はペンを止めた。「頑張らなくなる」。それは一見、怠けているようにも聞こえる。けれど美奈さんの話を聞いていると、そういう意味ではない気がする。むしろ逆だ。本来の力が、邪魔されなくなる。そんな感覚ではないか。
周囲も変わる
「不思議ですよね」
美奈さんはそう言って、気持ち肩をすくめた。
「説明しようとすると難しいんです。でも、店のスタッフも少しずつ変わってきていて」
隣に座っていたスーシェフが、小さく笑った。「確かに。言われて気づけました」
短い一言だったが、どこか実感がこもっている。その様子を見ながら、ふと思う。もしそれが本当なら。それは単なるセラピーの話ではない。
深い人
私はもう一つ、気になっていたことを尋ねた。
「その龍先生は・・・どんな方なんですか?」
少しだけ間を置く。
美奈さんは一瞬、遠くを見るような表情をした。
そして、ゆっくり答えた。
「そうですね・・・」
小さく笑う。
「一言で言うなら」
少し首をかしげてから、言った。
「とても深い人です」
その答えは、思っていたよりもずっとシンプルだった。けれど不思議と、強く心に残った。
深い人。そう言われた瞬間、なぜか訊き返せなかった。