
残響
朝。目が覚めても、昨日の感覚が残っている。美奈さんの「届く声」が、頭に鳴り響いている。顔を洗うが、鏡は見ない。キッチンに立ち、コーヒーを淹れる。音だけが響く。
足音。直美が来る。
「おはよう」
「・・・おはよ」短い。続かない。パンを焼く。皿にのせる。いつもの動き。
「今日、何時に出るの?」
直美がかすかに引きつり笑う。「ママらしい」
鼓動が止まる。「どういう意味?」
「そのままだよ。ちゃんとしてるフリしてるだけでしょ」
露呈
空気が変わる。
「フリって何?」声が少し荒強くなるのが分かる。
「いつもそうじゃん。言いたいこと言わないで、あとから勝手に抱えて」
言い返す言葉を探す。見つからない。
「別に・・・そんなこと」
「ほらね」被せられる。
「ママ、何も言わないで『分かってるでしょ?』って顔するの、ずっと無理」髪をクシャクシャにしながら。
胸の奥が動く。「・・・そんなつもりは」
「つもりじゃなくて、そうなってる」
言葉に詰まる。昨夜、ドアの前で止まった感覚が重なる。今朝、飲み込んだ言葉も。同じ動き。同じ止まり。
「ねえ、ちゃんと話してよ」テーブルを、指でトントン鳴らしている。
まっすぐ言われる。逃げ場がない。言葉を選ぶ。整える。・・・出てこない。沈黙。そのまま立ち尽くす。直美が息を吐く。
「やっぱりね」ボソッと言って、視線を外す。コーヒーを一口。
その瞬間、はっきり分かる。今までと同じことを、またやった。何も変わっていない。目の前で。「やっぱりね」と視線を外されたまま終わるはずだったのに、なぜか・・・。
崩れ
「・・・待って」と口に出してしまい、自分ながらに驚く。何を言おうとしているのか分からない。それでも、このまま引けばまた同じになると分かっているから、引けない。直美が振り返る。喉が詰まる。言葉が出ない。それでも、出す。
「・・・私、分かってるフリしてるかも」
言った瞬間、逃げていたことがはっきりする。直美の表情が変わる。
「やっと言った」なんとなく嬉しそう。
直美の一言で支えていたものが崩れる。何をどう言えばいいのか分からないまま、それでも止められない。
「うまく言えない。でも・・・ずっと避けてたと思う」整えられていない言葉が、そのまま出ていく。今までなら選んで、整えて、結局出さなかった言葉が、形にならないまま外に出る。初めてだと分かる。こんなふうに話すのは。
直美は何も言わない。ただ見ている。評価も否定もなく、そのまま受けている。その沈黙の中で、もう隠せないと分かる。このまま取り繕うことはできない。ここで止めたら、さっきと同じになる。
それでも、どう続ければいいのかは分からない。ただ1つだけはっきりしている。このやり方では、もう無理だということだけ。