山本 健正 先生の生涯

数々の受勲

私の師匠である山本健正先生は、本当にすばらしいと尊敬する一人です。

文化功労賞をいただかれたのをはじめ、2010年オバマ大統領諮問機関・ローマ法王べネディクト16世からも賞を得られています。諸々の賞を得られたからすごいんじゃなく、それだけの賞を与えられるほどの人格をお持ちだという事。驚いたながらも、やっぱりと感じています。

幼少期は体が弱く、あまりにつらくて自殺未遂の経験もあるそうです。

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見かねた親が、空手を習わせたら全国レベルになり、大ケガをし瀕死の状況に追い込まれた事も。そこで整体師を志すようになったそうです。

毎月愛媛まで、お母さんの施設へ見舞いとボランティア施術に行かれていました。約¥3,500万かけて、世界中のノウハウを現地で学び修得され、レストランや整体、いろいろあったそうですが全部で40店舗の経営をされていたそうです。かなり独自的な理論を持たれています。ある時騙され、借金取りに追われる毎日を過ごすようになったとか。

出張整体のみで¥196万/月を稼ぐほどに、24h完全営業された話も聴きました(いいチラシの作り方・撒き方まで教わりました)。

努力と天性

何よりも、3万人の統計から「仙骨矯正」を見出された事。発見したのはアメリカだったそうですが、今のやり方とは完全にちがってるようです。直に質問してみましたが、日本人の骨格や通えそうな習慣に適合させたそうです。

「施術時間のギネスに載せませんか?」とお誘いを受けるほどに、施術に強烈に想いと時間を割いておられます(10人/日の患者様と向き合い、休みは年で2日)。

全額返金保証は、整体ではあり得なかった言葉じゃないでしょうか。私は初めて聴きました。「コリを溶かす」といった施術も、夢で与えられたなんていう域です。

先生ご自身は、誰かに教えるような事をとても嫌っていたようです。多くの要請あって開くようになった経緯を知りました。

HPで知ったんですが、「こんなとこ切なる思いで探してなかったら、絶対に見ない」というくらいの検索ランクでした。HPを読む限りではすさまじい方です。だからと言って私が成長できるかは別問題です。

天才の中にも、2つの派があると考えています。両方持ち合わせてるステキな方もたくさんいらっしゃいますね。

感性派:感性で理解してますから、なんとなくいつの間にか理解し、できるのが当たり前みたいな感覚です。しかし教えるとなれば、できない方の視点では見つめきれませんから、「なぜ分からないんだ!?」となり、「お前等がバカだから分からないんだ」に発展していくケースもたくさんあります。

努力派:元はドン臭い方が経験を積み重ね、熟練した才能を生み出したようなタイプです。そういう方は培ってきた経験を伝えればいいだけです。例えばプロの世界で、選手時代は大して目立ちませんでしたが、監督やコーチになって輝きを放ち頭角を現し始めるような感じでしょうか。

見学時、私は座学の時間しかいれませんでしたから、施術内容はまったく知りませんでした。しかしながら即決しました。理由は通ってる皆さんの”目の輝き”です。

勉強してる最中に、確定申告の心配をしてる方がいました。「お前そんな事は稼いでから心配しろよ!」と皆さん大爆笑。話していた彼も、始めて半年経っていなかったそうです。

師匠である山本健正に、後者の要素をビンビン感じました。もちろん先生は両方兼ね備えておられます。接してみて、「人が好き」という思いに満ち溢れています。勉強し始めて、レベルの高さに圧倒されました。「へ!?あの痛みが一瞬で!?うそ!!!」の連続でした。

同じようにやっているにも関わらず、先生のは痛みが取れてるのに私のは変わらないといった具合でした。私の目に狂いはなかったと思いつつも、いつ「お前には才能がないよ」と見切りをつけられるかといった不安との戦いの日々が続きました。

生涯の恩師である理由

2ヶ月目頃、先生に一人残るよう言われました。その時、「見切りをつけられる時が来た!」と腹を決めました。どうすれば切り抜けられるかを真剣に考えました。結果、たわいもない事務手続きでした。先生にそう考えた事を伝えた時、返答に目頭を熱くしました。帰りは感動し、泣きながら家路につきました。

「なんだお前そんな事考えてたのか!絶対大丈夫!どんな不器用でも、繰り返していくうちに変わっていくから。お前よりひどいのもいっぱいいたよ!」

なんとか開業にこぎつけたものの、資金はまったくありません。出張で基盤を作っていくしかありませんでした。やってもやっても結果は出ません。まだまだ自分を好きになれてはいませんでしたから、「こんな私じゃ・・・」という先入観がどうしても拭えませんでした。

それでも「健創庵」という命名をしていただき、すごく気に入っています。

新聞屋を辞めるためには開業するしか道がなかったからそうしたんですが、やはりアルバイトせざるを得ず、先生の下にも通い続ける日々が続きました。授業中寝る事もしょっちゅうでした。たくさん叱られましたが、私のためを思って言って下さっているのが肌身に伝わり、早く正さんといかんなって思いになったものです。

先生はただ一人、私の成功を信じ続けてくださった方です。「もぉぉダメだ!」と思えた時も、「お前はできる!大丈夫!」と励まされ続けました。先生なしに今の私は到底あり得ません。当時大多数の皆さんが、「あぁ、やっぱりこいつはこんなもんだ」と見離すような状況下で、こういった事を私にだけ言ってたと思いますか?

将来誰かが「吉永智己の生涯」なんて書いてくれる日が来る事を夢見て、先生の後継者たれるよう日々の足跡1歩ずつを最高に輝かせたいものです。

投稿者:

RyuAnshin

Universal Flow Therapy 健創庵 龍 庵真(りゅうあんしん)と申します。
 少なくとも20万人超のお名前と向き合わさせていただいた経緯から、生き方より理想を創り出す「姓名承認マイスター」を広げています。 
 究極のセルフマネジメントで自立成長を応援。 絶対に目標達成したい方へ、未知の可能性を実感の理想具現化サポート。 
 
 15才で自衛官となり、出身地の長崎よりも首都圏での生活が2/3となりました。 
 私自身のセルフイメージが強烈に低く、どんなに素晴らしいことをしても、悪い意味でバランスをとるような出来事が起きていました。 マジメに生きようともがきつつも、運命の荒波に翻弄され続けた期間は、30年を超えます。 
 今まで一貫してお伝えしてきたのは、 本当の癒しは、ご自身にしかできません。 
 「立名コーチング」という独自の理論により、 ・過去と未来を今ココに集約させ ・理想とする未来のご自身からアドバイスを受ける ・理想とする未来のご自身を発信源に、過去の記憶を癒す 方法を編み出しました。 
 世界中にiPhoneレベルで 「理想の自分像って?」 を訊き合って認め讃え合えている感動世界を見るために、今を生きています。 
 どうぞよろしくお願いいたします。

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