第1回では姓名判断の虚構性と代案、第2回では結婚等によって名前が変わる本当の理由について。第3回では、『白鳥運子は31画』というマンガを通し、全承認のシステムが引き起こし得る「都合のいい自己正当化の狂気」について触れました。
「すべては幸せのための伏線」という言葉を、単なる現実逃避の免罪符にしてしまえば、他者の尊厳を踏みにじる怪物へと容易に変貌します。「つけられた名前が悪いから」等の隠れ蓑によって、欺瞞をさも本当であるかのように正当化できます。
では私たちはその狂気や欺瞞に落ちることなく、いかに「自らが創造主となる人生」を実践していけばいいのでしょうか?
答えは、脳内での都合のいい日和見感をいったん止め、日常の中で自らのエネルギーを観察する「瞑想的な逆算」にあります。日々欠かさず歩き瞑想を重ねていますが、何かしらあなたを活性づけるヒントになれば幸いです。
脳の暴走を止める「日常の観察」
私たちは、放っておくと頭(脳)だけで物事を解決しようとします。「この失敗にはこういう意味があるはずだ」「あの人が悪いのはこういう理由だからだ」と、頭の中でストーリーをこねくり回し、都合のいい解釈の檻を作ってしまいます。これこそが、第3回の主人公が陥った罠です。
「名前肯定感」や「人生の主権を取り戻す」という営みは、日和見感とは無縁です。まずひっそりと座り、あるいは日常を歩きながら、自分の内側にある性質とエネルギーを、たまたまつけたTV番組を見るかのように客観的に定点観測すること。
・今、「私の内側」はどのようなエネルギーで満たされているか?
・外側のルール(他人の評価や吉凶の言葉等)に触れた時、「私の内側」はどう動いているか?
頭のノイズをシャットアウトし、「今ここにあるあり方」を客観視点でホールド。この静寂の時間が、主観の暴走に対する強力なブレーキ(安全弁)となります。
意識的にノイズは止められません。よく活用するのが、潜在意識の解放セッションで用いる「客観視」です。「あ、怒ってる。はぁ〜、だからこうなったんだ」等の感情を、物語を読み進めるかのように。
「時を計り損ねた現場」からの逆算

どれほど静かに自分を観察していても、私たちは生きている以上、時を計り損ねて大失敗をやらかすこともあれば、泥水をすするような現実に直面することもあります。私自身、何度も出会してきました。
しかし当事者意識を持つ方は、責任転嫁も罪悪感への埋没もしません。その泥沼の現場で、静かに深呼吸をし、内側のエネルギーを逆算し始めます。「この手痛い大失敗のエネルギーを、どうやって大逆転の燃料に変えていこうか?」。
これは、無理やりポジティブに思い込もうとする「綺麗事の自己啓発」とは根本的に異なります。 今起きている現実を100%引き受けた上で、そのエネルギーの性質を冷静に見極め、自発的な意志で扱いこなすと決める「冷徹なリアリズム」です。
五行論等の智慧を「鵜呑み」に盲信する生き方をやめませんか?先人が築き上げたルールを納得レベルまで「理解&把握」した上で、自らのエネルギーとして完全に扱いこなす生き方へ移行するのです。まさに「型破り」の奨励です。
自分の名前に宿る性質とエネルギーのすべてを、心血注ぎながら『自分の意志で扱いこなす』人生とは、「エネルギーの逆算」を日々淡々と、日常の泥臭い実践の中で繰り返していくことに他なりません。
あなた自身が主導権を握る
他人が決めた「吉凶」に一喜一憂し、都合のいい言葉に依存する生き方は、一見楽に見えます。小さくまとまり、安定した生き方を選ぶのも、あなたの人生です。どうぞお好きなように。
しかしもしあなたが、「私が決めたことだから」とハラを決めて視える世界は、圧倒的に次元が違うこと、お分かりでしょうか?きっかけや動機は、多種多様にあるでしょう。「私が決めたことだから」という1点だけは、あらゆるすべてに通じているのではないでしょうか?
「私が決めたことだから」とハラを決めても、まだまだ甘い箇所があるかもしれません。だからこそ深めがいがあります。頭の中の言い訳(免罪符)をすべて焼き尽くし、日常の静けさの中で自らのエネルギーをコントロールする主導権を、自らの手で握り直してください。
あなたが本当の幸福感を全うできますよう、私はただただ祈っています。
あなたへの問いかけ
・今まで頭の中でこねくり回してしまった「自分への都合のいい言い訳」は、例えば何でしたか?
・その思考のノイズを一度止め、静かに息を吐き出した時、あなたの内側に残る「本当のエネルギー」はどんな色や形をしていますか?