鏡に映る私の顔
昨夜、龍先生の継続セッション。言葉にできなかった感情が理解できるようになってきた。何より驚いたのが、無性に怯えていた原因が腎臓や肺にあったという事実。「ちゃんとやらなければ」という衝動が湧き出ていた経路をたどり、気にならない状態へ導いていただけたのは圧巻だ。施術家としての経験からの見識だというが、怪しがっていたことが恥ずかしくなる。
一夜明けて、何かが切り替わった感覚はあった。はっきり説明できないが、今までと同じでないことだけは分かる。朝の目覚めで、昨日と同じ天井を見上げた瞬間、いつもなら先に動き出していたものが穏やかなままだ。
起き上がる前に1日が組み上がっていく感覚。「どこでズレるか?」「どう立て直すか?」「どこを先に潰すか?」が来ない。今まで、顔を洗う時に見たことがなかった鏡に映る私の顔。化粧は駅に着いてホームか電車の中だったが、今した方がいい気持ちになる。
キッチンに立ち、コーヒーを淹れる。いつもなら、もう仕事の修正が始まっていた。まだ起きてもいないことを、幾重にもシュミレートしていた。龍先生が言う通り、「ちゃんとやらなければ」という防衛反応からくる動機でやってきていたのだ。それが湧かないまま、朝が進んでいく。
深み
外に出て、通勤のいつもの道。人の流れに合わせながら、前なら自然にやっていた細かい調整に気づく。ぶつからない位置、歩く速さ、わずかなズレを埋める動き。今は、その必要を感じない。昨日までの違いに気づいて、そのまま通り過ぎる。

会社に着きデスクに座り、メールを開く。並んでいる内容を1通ずつ確認中の、深呼吸してみての気づき。深みが違う。「自信がない・息が浅い・猫背はセット」と言われていたのがよみがえる。画面上の私しか分からないのに、すべて見抜かれていたのか?確かにイスの座り心地も、湧き上がる感覚も・・・。
1通、返信を書く。整えないわけではない。適正化させ、そのまま送る。しばらくして「了解です」と返ってくる。今まで「言葉を選び整えて、結局出さない」を繰り返してきた。今の私には、余剰な熟考は不要なのだ。「やはり!」「よし!」という気持ち。
止まっている
昼。いつもなら次の段取りを詰めている時間。頭の中を探るが、同じようには動かない。代わりに、はっきりしていることがある。「前は、止まれなかった。止まれば崩れると思っていた」。今は「止まっている」。しかし何も崩れていない。
仕事を終え、帰り道を歩く。朝と同じ道なのに、疲れ方が全く違う。背筋が立っている。呼吸が深い。かつ、見守られているかのような、包み込まれている安心感。これが美奈さんが言っていた「求めてきたマリアージュ」なのだろうか?
家に着き、ドアを開ける。同じ場所。同じ空間。だからと言って、前と同じ私に戻る理由が、見当たらない。私は、生まれ変われている。静かに一日が終わる。