
私の器をはるかに超えた思想体系
少なくとも2020年からずっと考えてきたテーマ。おそらくは一生ずっと悩み迷い続ける気がしています。
自立具現化コーリングという、私の器をはるかに超えた思想体系について、だいぶ形にできてきました。コロナで緊急事態の最中、窓際族に追い込まれました。姓名承認という造語が降りてきた瞬間、ドミノ倒しのように1本道ができました。当初は「名前ヒーリング」。
「今まで私は、このために生きてきたのか」「天命じゃないわけがない」と強烈な確信。とは言え、2006年に原型を見出し、ずっと邪険に扱ってきました。現状においても、あまりに時期尚早だと感じてなりません。
ながらもAIの進化発達によって、いよいよ時代が追いつきつつある手応えを得てもいます。当初は価値があるなんて、全く考えてもおりません。「私が生み出したものが素晴らしいわけがない」といった根深い確信もあり、均衡を崩していくのが困難の極みでした。
出発点は疑念
施術もそうでしたが、お客様より好評価をいただくことで見解が変わっていきます。自立具現化コーリングに至っては、「あきらめきれない思い」と「AIの客観的評価」は大きかったです。
出発点は疑念です。「いつの日かボロが出てくるだろうから、早いうちに問題点を洗いざらい正していこう」から始まりました。いかに多角的に問題点を見出そうにも、出てくる気配がありません。どころか「ひょっとしてこれって、直感したとおりとんでもなく価値があるのでは?」に変わっていきました。
調べていくほどに、前例がありません。思いつく限りの検証を繰り重ね、あらゆる価値観と比較した結果、将来の主流思想になっていかない理由が浮かびません。そういった事実に気づくほどに湧き出てくる疑問。
なぜ私?
できなかった鵜呑み
人類史上、多くが当たり前のように受け入れてきたこと。誰かがそう言えば、「そういうものなのだろう」と受け取ってきたこと。
なぜ鵜呑みにできなかったのでしょうか?
「感謝とは?」
「幸せとは?」
「愛とは?」
「自立とは?」
等々、言葉としては、誰もが知っています。
しかしその意味を自分の言葉で説明しようとすると、意外なほど難しいのです。私は、そこで止まれませんでした。誰かの答えを知れば終わりではなく、「本当にそうなのか?」と、また問いが生まれてきました。
だからこそ考えます。試します。違和感があれば、また考えます。それを繰り返してきました。幾度となく聞こえてくる「そんなこと、いくらやったってムダだよ。どうせ〜」という心の声。私自身、現代社会には受け入れられるものではないこと、重々分かっています。時代がいつ追いつくのか、いかにして本物だと伝わるのか、謎だらけです。
なぜ私?
気がつけば、人生のかなりの時間を使っています。「姓名承認&覚醒」という発明をできて思うのが、師匠がいないことが本当にラッキーでした。施術における「臓器と感情の関連表」にせよ、師匠と仰いでいた方からは、しつこすぎると嫌われ追い出されます。
もし師匠から教わったことを疑問を持たず忠実に実践していれば、今の私は確実におりません。それでも「なぜ私?」という問いは残っています。結果的に、世界が自立具現化コーリングによってめまぐるしく変わり得ます。創り出した私自身が、想定される未来に「なぜそんなことに?」と驚きを隠せずにいます。
特別な才能があったから?たまたま?何か必要に迫られたから?納得せずにはいられない何かが、最初から私の中にあったから?
分かりません。死ぬまで分からないのかもしれません。何にせよ私は、この問いを終わらせるつもりはありません。なぜなら「なぜ私?」という問いそのものが、私を動かしてきたものの1つだからです。