言葉にできない変化の余韻
──何かが、確かに変わっている。その「何か」をうまく言葉にできずにいるのがもどかしい。けれど、言葉にできないからこそ、大事にしたくなる気持ちもある。
昨日の対話の余韻が、まだ胸のあたりに柔らかく残っている。自分の声が変わったと指摘された時は、死角から張り手が飛んできた感覚で、言われている意味を理解できずにいた。ながらも確かにあの瞬間、何かが解けたような感覚があったのだ。
「富美子」という名前を、これまで避けていたわけではない。私はこの名前と、まともに向き合ってこなかった。だからこそ、「私の中に住む他人」という感覚があったのだ。あくまで書類の上だけの「私」で、そこに生きた感情を通わせることがなかった。
──それでも、あの時は違った。龍先生とのあの瞬間、私は確かに「富美子」だったのだ。今振り返ってみてよく分かる。湧き上がってくる想いは、まるで誰かに呼びかけられているようでもあり、私の奥から湧いてきているようでもある。どちらにせよ、今までとは確実に違っている。
富美子という名の奥にいた私

富美子という名の奥に、まだ私の知らない私がいる。かつその存在を、ようやく「迎え入れる準備」ができたような気がした。龍先生も、本名を人生と照らし合わせて再定義できたからこそだと語っていたように、確かに今は絶好のチャンスだ。
私はどう生きたいのだろう?私が「心の底から望んでいる私」って?「与えられた人生」じゃなく、「私だけの船で帆を掲げる」なら、何をどうすればいい?娘 雅子からの一言をきっかけに、今まで考えたこともないようなことに思いを巡らせるようになった。
「これでいい。」────その言葉が、ふと心に落ちてきた。取り繕う必要も、整った結論も、いらない。ただこの一歩を、自分の意志で選んだことが、何より確かなことだった。「よくやった!」と褒め讃えられているような気持ちが芽生えてくる。
再び届いた、導きの声
そして、次の一歩をどう進めていくか、考え始めていた。そんな折に、真紀子さんからメール。
「富美子さん
先日はありがとうございます。信頼尊敬する龍先生をお繋ぎできましたこと、本当に嬉しく感じています。
龍先生との対話を交えて思えたのが、共通点の多さと深みです。やはり富美子さんとは、出会うべくしてお会いしたような気がしてならないんです。
またZOOMで語り合ってみませんか?」
嬉しい。今の私においては、真紀子さんは通過点の目標的人物としてふさわしい。私の方からお誘いしたいと考えていたら、真紀子さんから連絡いただけるなんて!」
「もちろん、喜んで!」と返信し、日程調整。お会いできるのが楽しみだ。