
心の声との対話
今朝の歩き瞑想では、「平成天皇(上皇陛下)の品格への憧れ」が浮かんできました。世界中の誰もが尊敬する権威を有しながら、誰よりも低姿勢かつ同じ目線で向き合われるお姿。一生涯かけても陛下のように自分を磨いていきたいと、改めて憧れの気持ちを確認いたしました。
そこで湧き出てきた心の声「何もできない一般庶民のくせに、何を言ってんだ?」。少し前の私なら、こんな声を認識した時点で、へこみます。「やはりそうだよな。なんてったって私は〜」と憧れの気持ちを打ち消してきました。
「何の取り柄もない」「何をやってもダメだな」と考えてきたのは少なくも30年以上。スジ金入りの自己卑下歴にはかなりの自信があります。あるものといえば、無意識に観てしまう名前の画数等の能力。嫌いなのに観てしまう自分の愚かさを嘆いてきました。
今回は、完全に違っていたことに感動。「そうだよ。何もできない一般庶民さ。だからいいんだよ。一般庶民が陛下みたいになりたいって、憧れちゃダメなのか?私は誇りある一般庶民だ。何が問題だ?」と咄嗟に反論。本当に瞬時でした。
人間の可能性
かつて出会ったあるメンターが、「私は新月(満月)生まれだ」「幼少期から天才と呼ばれてきた」「著名人の血を引いている」等を自慢気に語っていたことがありました。当時は、どこかでそれを「羨ましい」と感じていたのも事実です。
「今も羨ましい?」と問うた時、「No」とキッパリ即答。「私は特別な存在でありたい」と願ってきましたが、そもそも特別でない方は、世に1人もおりません。私個人の生涯目標として、《1万人以上の天才輩出》をあげています。十分すぎるほどの可能性を感じています。
なぜなら、人間の可能性は冗談ではなく無限大だから。キリストやお釈迦様等が特別能力が高いのではなく、人間が素晴らしいのです。あなたが本当に願うなら、ノーベル賞でも不可能ではありません。イメージできたことは、規模次第ですが時を経て、必ず実現できます。だからこその自立具現化コーリング(ファビゲーシング)なのです。